第30話 農園実習と執事の追跡
季節は新緑の輝きを増し、王立学園リュミエール学の実習が、王家管理の特別な農園で行われることになった。普段立ち入れぬ聖域での学びに、生徒たちの期待と興奮が高まる。
ソール教の聖典に『奇跡の植物』と記されるリュミエール。その息吹を肌で感じる貴重な機会に、ヴィオレットも胸を高鳴らせた。侍女や、専属執事レオンも護衛や雑務係として同行を許されている。
実習当日、一年生全員を乗せた数十台の馬車で王都郊外へ。農園は厳重な管理下にあり、手入れの行き届いた様々な品種のリュミエールが陽光を浴びて美しく輝いていた。
パステルピンク、エメラルドグリーン、黄金色、ラベンダーグレー……多種多様な色彩と、それぞれの花や葉が放つ微かな光や独特の香りが五感を刺激する。
それは以前に見た、クラリスのリュミエール畑とはまた違う、人の手による秩序と神秘が調和した、「秩序の光」を体現するかのような光景だった。
農園管理官の説明後、生徒たちはグループに分かれ実習を開始。ヴィオレットのグループにはクラリスとカミーユもいる。クラリスはまるで旧知の友のようにリュミエールに話しかけ、しゃがみ込みそっと触れ、その声に耳を澄ませる。
「この子、元気がなくて……水が足りないかな? ちょっと喉が渇いてるって言ってます」
カミーユが目を見開き驚愕の声を漏らす。
「……比喩ではなく、本当に聞こえていたのですか!?」
「あら? カミーユは比喩だと思っていたの? わたくしもリュミエールの感情はなんとなくですがわかるので、クラリスは実際に声が聞こえていると思っていましたわ」
「……!」
クラリスはそんな二人に優しく微笑み、別のリュミエールに触れた。
「あ、でも、こっちの子はね、なんだか嬉しそうに歌ってる! お日様の光をいっぱい浴びれて幸せだって!」
クラリスの言葉に、周囲の生徒たちは半信半疑ながらも興味深そうに耳を傾ける。リュミエールの「声」を聞くという彼女の特別な才能を間近で見るのは初めてだった。それは書物から知識を得るヴィオレットとは全く異なるアプローチだ。
教師指導のもと、リュミエールが健全に育つ環境、特に適切な水分量、土壌成分、人の手による魔力注入、光や感情との呼応性について学ぶ。ヴィオレットは古文書知識と観察眼で葉の色艶、茎の張り、土壌などを注意深く観察、分析する。
一方、クラリスは触れて声を聞くことでリュミエールと対話し、何を求めているかを教えてもらう。
「ヴィオレット様、この子、やっぱり土の中が少し固くて息苦しいって言ってます! もう少しだけ、優しく耕して柔らかくしてあげると喜ぶと思います」
クラリスの言葉に、ヴィオレットは頷く。
「なるほど。確かに、この一部分の土壌は粘土質が多そうですわ。リュミエールが求めるのは、水はけの良い、しかし養分を適度に含む柔らかな土壌……クラリスさんの感覚とわたくしの知識が合致しますわね」
二人は互いの知識と感覚を突き合わせ議論を深める。リュミエールが最適に魔力を吸収・伝導する条件と、心地よい環境の一致に知的な興奮を覚えた。他の生徒は、二人の異なるリュミエールを理解するアプローチに目を見張るばかりだった。
実習が進む中、ヴィオレットは担当区画の一部で、特定のリュミエールが僅かに輝きを失い、葉に微細な斑点があることに気づく。
それはビューコン村の風土病の時の、リュミエールの成木の葉の状態に酷似していた。他の株の生き生きとした共鳴に対し、その周辺の株からは冷たい、歪んだ魔力の波動が感じられる気がした。
ヴィオレットは咄嗟に、傍らに控えるレオンに小声で囁く。
「レオン、こちらをご覧になって。このリュミエール、少し様子がおかしい気がするのだけれど……まるでビューコン村で見た……」
レオンも異常に気づき観察。屈み込み根元を探ると、奇妙な紋様が刻まれた古びた金属片が見つかった。
ヴィオレットが金属片を手に取ると、ぞわりと肌が粟立つ冷気を感じた。
(この紋様は……? 始めて見ますわね。ですが、どこか不吉な気配。リュミエールを弱らせる負の干渉源に違いないですわ)
レオンも眉をひそめ、クラリスも気持ちの悪そうな表情をしている。
「管理官の方に伺ってみましょう」
二人が管理官に金属片を見せ、リュミエールの異常について尋ねると、管理官は一瞬、顔色を変えた。しかし、すぐに笑顔を浮かべる。
「ああ、それは古い土壌改良材の残りでしょう。リュミエールの生育には問題ありません。お気になさらないでください」
管理官は、曖昧に言葉を濁した。管理官が立ち去った後、ヴィオレットとレオンは無言で視線を交わし、互いに同じ疑念を抱いたことを確認した。
(やはり、何かを隠している……?)
この農園には、何か公にされていない秘密があるのかもしれない。そして、それはリュミエールの異常と、あの奇妙な金属片に関係しているのではないか。
もしかしたら、これはビューコン村の病とも繋がっているのだろうか。悪夢が示した啓示が、現実と重なり始めるのを感じ、ヴィオレットの胸に再び張り詰めた緊張が走った。
その日の実習から帰ると、ヴィオレットは人払いをしてレオンに尋ねた。
「レオン、あの金属片……何か心当たりは? あの紋様と、リュミエールを弱らせる冷たい魔力……」
レオンは少しの間黙考した後、静かに首を振った。
「いいえ、お嬢様。見たことのない紋様です。しかし、あの性質……リュミエールの魔力の流れを歪め、共鳴を阻害する類と思われます。古代の遺物か……あるいは……禁忌の魔導具に関連するものかもしれません。お嬢様のご覧になった、ビューコン村の悪夢との繋がりが懸念されます」
彼の言葉で、以前に古文書庫で見つけた『古代文明』の記述や、リュミエールの力を歪める禁忌の技術についての断片的な情報と結びついた。悪夢がまたヴィオレットを追いかけて来るのかもしれない。
リュミエールの神秘、古代の遺物、そして陰謀の影……前に座るレオンを見つめる。変わらず傍らにいてくれる彼の存在が、今のヴィオレットにとって何よりも確かな、頼もしい支えだった。
♢♢♢
(レオン視点)
ヴィオレットお嬢様が学園に入学して一月半が過ぎた。農園での発見は、レオンが水面下で進める調査に、新たなパズルの一片を加えるものだった。
ランプの灯りが、王国の貴族勢力図、派閥相関図、ドヴェルノン公爵家の情報を静かに照らす。白い手袋に包まれたレオンの指が家系図の一点を辿る。
第二王子リシャール殿下の王太子擁立を目指す神秘主義派閥筆頭、叔父ラウル・ドヴェルノン公爵。そして、オーギュスタン殿下の婚約者であるお嬢様を疎ましく思う者たち。情報は点だったが、農園の金属片が歪んだ形へと繋ぎ始める。
レオンは、金属片とお嬢様を狙う者たちの企みから、全ての黒幕がドヴェルノン公爵家、そして叔父ラウル公爵である可能性を確信する。ドウェルノン公爵は第二王子の擁立以上の事を画策しているのかもしれない。
(奴らなら、やりかねない……)
ヴィオレットお嬢様が、彼らの勝手な都合や企みの犠牲になることだけは、断じて許せない。
彼は長年秘密裏に築いた独自の情報網『土蜘蛛』へアクセスする。手元の魔導具に暗号指令を打つ。王都の協力者たちへ、学園内監視強化、特にオーギュスタン、ロザリー、ドヴェルノン子息テオドールの動向詳細報告。第二王子とラウル公爵の会合や金の流れの調査。
ビューコン村の病発生源再調査、昨年から継続するドヴェルノン公爵領内の不穏情報収集。全てを厳重警戒のもと、次の段階へ進める。
虫の音だけが響く静かな夜。レオンは窓辺に立ち、闇に沈む学園の庭園を見下ろす。夜闇に溶け込むリュミエールの僅かな輝きが瞬く。お嬢様の安らかな寝顔を思い浮かべると、胸が温かくなる。同時に、見えざる脅威に対する強い警戒心と、使命への揺るぎない覚悟が湧き上がる。
(お嬢様は光に生きるべき方だ。リュミエールの輝きのように、清らかで、護られるべき存在。私が、この手で必ず守り抜く……)
白い手袋をゆっくり外し、過去の傷跡が残る手をじっと見つめる。ドヴェルノン家での忌まわしい記憶と刻まれた誓い。決意を覆い隠すように、再び手袋をはめ直す。
情報網からの報告が集まると、陰謀の輪郭が不気味に明確になっていく。レオンの瑠璃色の瞳には、冷徹な分析力と共に、愛する主を守る静かな闘志が燃えていた。




