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第3話 悪夢の影と執事の誓い

 ♢♢♢


(レオン視点)



 婚約式から三日。誰もが祝賀ムードに包まれている中、レオンの仕えるヴィオレットお嬢様だけが、日に日に生気を失っていく。あの日の華やかな笑顔が嘘のようだ。


 紫水晶(アメジスト)のような輝きを持つ(すみれ)色の瞳は静かな憂いを宿し、光を失っている。


 お嬢様の専属侍女たちに尋ねても、皆、首を横に振るばかり。ただ塞ぎ込み、何も語ろうとされないと聞かされた。

 

 そんなお嬢様の異変を、専属執事のレオンは誰よりも早く察知していた。

 

 月光を掬い上げたような白銀の髪を持つ青年。吸い込まれそうな瑠璃色の瞳には、常に憂いを帯びた陰影が宿る。


 整った顔立ちに、黒曜石のような光沢を放つ漆黒の執事服を完璧に着こなし、彫刻のように凛とした佇まいだ。

 

 完璧主義のレオンにとって、主であるヴィオレットお嬢様の不調は自身の責任を痛感させ、静かに良心を苛む。

 

 午後の庭園。リュミエールの花畑前の東屋に、一人佇むお嬢様の放心した姿を見た時、レオンの胸には言いようのない不安が広がった。


 甘く優しい芳香が漂う中、リュミエールの花弁は美しいグラデーションを描いていた。中心の鮮やかなピンクから始まって、外側は光を帯びた白へと移り変わり、陽光を浴びて温かい光を溢れさせている。

 

 普段なら、その幻想的な美しさに目を輝かせ、小さな手を伸ばすはずのお嬢様の菫色の瞳は、目の前の花ではなく、遥か遠い何かを見つめているようだった。

 

 音もなく自然に傍らに近づき、レオンは静かに声をかけた。


「お嬢様、このような美しい場所で、何をなさっていらっしゃいますか?  少しお疲れのご様子ですね……」


 ゆっくりと振り返ったヴィオレットお嬢様の瞳には、深い悲しみが沈んでいる。


「……はい……少し、疲れてしまいました」


 その声は、まるで小さな囁きのように弱々しい。聡明でしっかりとした普段のお嬢様からは想像もできないほど、頼りない響きだった。


 静寂に包まれた東屋は、一人物思いに耽るには最適の場所。木漏れ日が幼い令嬢の頬を優しく照らし、そよ風がリュミエールの花穂を揺らす。


 レオンは心配そうに眉をひそめ、この静けさの中で、少しでもお嬢様の心が休まればと、心から願った。


「もし、私にお話できることがございましたら、どうか遠慮なさらずにお聞かせください。お嬢様の心に巣食う不安を、ほんの少しでも和らげることができれば、私にとって何よりの喜びです」



 

 ♢♢♢


(ヴィオレット視点)


 

 レオンの声は普段より低く、しかし確かな温かさを孕み、そっと語りかけてくる。ヴィオレットの繊細な心に寄り添うように。


 両親に話しても、きっと取り合ってはもらえないだろう。何よりも、ボーフォール侯爵家は王家への忠誠を第一としてきた。もし、この悪夢の内容が王家に関わることだと知れたら、両親はどう考えてしまうだろうか。


 侍女たちに話したところで、「おかしな夢を」と笑われるのは想像に難くない。けれど、レオンのあの静かで深い瑠璃色の瞳に見つめられていると、どんな秘密も打ち明けられるような、不思議な安心感に包まれるのだ。


 普段は感情を表に出さない彼だからこそ、この突飛な話を真剣に聞いてくれるかもしれない――そんな、小さな希望が、ヴィオレットの胸に灯った。 


 ヴィオレットは凍り付いたように沈黙していた。小さな唇を噛みしめ、不安げに両手を握りしめている。


 レオンの底なしの優しさを湛えた眼差しが、言葉を持たない励ましのように彼女の背中をそっと押した。

 

「レオン……実は、わたくし……あの、婚約式の夜に、とても恐ろしい夢を見たのです」


 震える声で、ヴィオレットは悪夢について語り始めた。昨日のことのように鮮明に蘇る、豪華絢爛な音楽、眩いシャンデリア。


 そして、婚約者であるオーギュスタン殿下からの、氷の刃のような冷たい婚約破棄の言葉。今も耳の奥で鮮やかに響く王子の声。

 

「……あんなに優しかった殿下が、どうしてあんな酷いことを……?」


 ヴィオレットの声は、今にも泣きだしそうに震えていた。


「わたくし、何か殿下のお気に召さないことをしてしまったのでしょうか? 未来の妃となるのに……嫌われたくない……ただ、少しでも、わたくしのことを見ていただきたい……それだけなのに……」


 こらえきれなくなった涙が、ぽろぽろと白い頬を伝い始める。


 何よりも忘れられないのは、暗く冷たい神殿での神前裁判だった。身に覚えのない断罪、そして銀色の光を鈍く放つ毒杯による毒殺という、あまりにも残酷な未来の光景が、菫色の瞳に焼き付いて離れない。


 慎重に言葉を選びながら、ヴィオレットはその全てをレオンに打ち明けた。普段、感情を表に出すことのないヴィオレットにとって、この誰にも言えなかった恐怖を言葉にするのは、想像を絶する勇気が必要だった。

  

 夢の中で味わった、無力感、周囲の貴族たちの冷酷な嘲笑、そして、すぐそこに迫る逃れられない死の恐怖。それらの感情が、ヴィオレットを深く苦しめた。堰を切ったように感情が溢れ出し、大粒の涙が白い頬を伝った。


 けれど、レオンの穏やかで優しい雰囲気が、春の陽光のように、彼女の固く閉ざされた心をゆっくりと解きほぐしていった。


 小さな体は震え、その言葉の端々には、幼いながらも未来への深い絶望が滲んでいた。


 レオンは何も言わず、そっと、壊れ物を扱うように優しい手つきでヴィオレットの華奢な背に手を添えた。

 

 掌から伝わる温かさが、冷え切った小さな手をじわじわと温めていく。その温もりは、ヴィオレットの不安な心を少しずつ和らげていった。その指先からは、言葉以上に雄弁な、安心感と揺るぎない守護の意志が静かに伝わってくる。


 しばらくの間、ヴィオレットは誰にも聞かれないように、静かに、しかし堪えきれないように泣き続けた。

 

 そして、ようやく落ち着きを取り戻すと、涙で赤く腫れた目で、レオンをじっと見つめた。


「レオン、わたくしの話を、信じてくれますか? こんな……子供が見る馬鹿げた夢の話を」


 迷うことなく、レオンは力強く頷いた。


「お嬢様のおっしゃることは、全て真実だと、わたくしは心から信じております。純粋で嘘偽りのないお嬢様が、そのような作り話をなさるとは到底思えません」


 その短い言葉には、揺るぎない絶対的な信頼が、確固たる信念として込められていた。レオンの透明な瑠璃色の瞳は、真摯な光を湛え、その温かい眼差しは、ヴィオレットの心に深く根を下ろした不安を、優しく包み込むようだった。


 レオンの力強い言葉に、ヴィオレットは安堵の息を漏らした。誰にも言えなかった心の奥底の恐怖を打ち明け、そして、目の前の執事に信じてもらえたことで、重く沈んでいた心は、ほんの少しだけ、しかし確かに軽くなった。


「ありがとうございます、レオン……」

 

 レオンは、ヴィオレットの小さく、か細い手をそっと握りしめた。


「お嬢様、どうか、私に全てをお任せください。そのような恐ろしい未来は、私が断じて来させません」


 レオンのその力強い言葉は、ヴィオレットの心に一筋の光を灯してくれた。まだ小さな光だが、彼となら、この悪夢のような未来を変えられるかもしれない。ヴィオレットは、彼に託そうと心に決めた。



数多ある作品の中からこのお話を読んでいただき誠にありがとうごさいます。


「面白い」「続きを読みたい」と少しでも思って下さった方、ぜひブックマーク、下の☆評価などよろしくお願いします!

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