第19話 悪夢の再来と希望の光
(……ここは……?)
ヴィオレットは再び闘技場に立っていた。
心臓が不快な音を立てる。
神殿様式の円形闘技場。高い観客席からは、以前と変わらぬ冷ややかな視線が降り注いでいた。中央には、淡いエメラルドグリーンのドレスをまとうレジェモン子爵令嬢ロザリーと、その隣に立つ黒髪の女性騎士、アデール・クールエピス。
そして、否応なく引き戻された、悪夢の舞台に立つ自分。
久しぶりの悪夢に背筋が凍りつきそうになる。以前ほどの恐怖はないものの、まとわりつくような不快感と、喉の奥が渇くような緊張感は拭えない。
神官の厳かな声が響き渡り、神前決闘開始。理由は以前と同じ、身に覚えのない侮辱罪。代理人は立てられず、負ければ侯爵家にも累が及ぶ理不尽な裁き。
最初の悪夢では、アデールの剣に貫かれた。激痛と絶望が脳裏を掠め、呼吸が浅くなる。
だが、ヴィオレットはもう、怯えるだけの少女ではなかった。三年間、この時のために研鑽を積んできたのだ。
「始め!」
「――悪意から我が身を守る聖なる壁よ、今ここに……」
神官の合図と同時、アデールが鋭く踏み込む。剣速は以前より速く、研ぎ澄まされている。だが、ヴィオレットは冷静だった。開始前から意識を集中し、全身の魔力を練り上げていた。
(来る……!)
アデールの剣先が喉元を狙う。刹那、ヴィオレットは詠唱を終え、叫んだ。
「……顕現せよ! 『聖絶結界』!」
瞬間、紫水晶のような光が弾け、確かな厚みを持ったドームが顕現する。アデールの剣は、その光の壁に鋭い金属音を響かせ弾かれた。
「なっ……!?」
アデールの翠色の瞳に、初めて明確な動揺が浮かぶ。観客席からも、抑えきれない驚きの声。
「結界魔法だと!?」
「しかも、あれは最上級魔法ではないか!?」
アデールは体勢を立て直し、魔法攻撃。鋭い風の刃が結界へ。
「――敵意の刃、魔の波動、その全てを映し、汝へと送り返さん! 『魔法の鏡』!」
ヴィオレットは結界を維持したまま、新たな魔法を発動した。結界の表面が鏡面のように輝き、風の刃を吸い込んだかと思うと、そのまま勢いを保ってアデールへ跳ね返した。
「くっ……!」
アデールは咄嗟に避けるが、刃が頬を僅かに掠め、鮮やかな赤い線が走った。その後もアデールは身体強化魔法で剣術攻撃。凄まじい剣技が、容赦なく結界を叩きつける。
反射魔法で迎撃するも、一撃が重く、結界が悲鳴を上げるように軋む。アデールの焦りが翠の瞳に滲む。
ヴィオレットは必死に結界を維持しながら、剣術訓練で培った呼吸を読む力で、斬撃が迫る瞬間に魔力を集中させ、結界を補強した。豊富な魔力量は誇りだ。持久戦なら決して負けない。
(剣術では足元にも及ばない。けれど、訓練は決して無駄ではなかった……!)
結界と反射魔法、基礎剣術で学んだ体捌きと間合い。全てを組み合わせ、粘り強く戦う。長期戦となり、アデールの動きに焦りと疲労の色が濃くなる。額に汗が滲み、呼吸も荒くなっている。
(今ですわ!)
ヴィオレットは結界出力を最大まで高め、アデールが渾身の力で剣を振り下ろした瞬間、結界範囲を爆発的に増幅させた。
ガンッ!!
予期せぬ距離で硬質化した結界に激突したアデールは、自身の剣撃の反動と、結界の強烈なカウンターを受け弾き飛ばされた。受け身も取れず床に叩きつけられ、口元から鮮血が流れ出す。
アデールの細剣は根元から折れていた。彼女は剣を一瞥し、苦悶の表情で天を仰いだ。
「……魔力も尽き、体も……もはや、これまでか……すまん、ロザリー……審判、私の負けだ」
力なく告げられた敗北宣言。勝敗は決した。
闘技場を埋め尽くす貴族たちのどよめきは、今や最高潮に達した。誰もが信じられないものを見る目で、ヴィオレットを見つめている。
「静粛に!」
ガン! ガン! 神官が木槌で台を叩く音が、厳かに響き渡る。
静寂後、神官が神託を伺い、結果が告げられた。
「――神意に基づき、神前決闘の結果は明白なり! 神は正しき者に勝利を与えられた! よって、ヴィオレット・ボーフォールは無罪とする!」
宣言と共に、闘技場は再び割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。オーギュスタンとロザリーは、血の気を失った顔で、信じられないといった表情で呆然と立ち尽くしている。
ヴィオレットは深く息をついた。全身の力が抜け、安堵感と共に、確かな達成感が胸を満たした。
(勝った……わたくし、今度こそ、この手で未来を変えたのね……!)
――そこで、ヴィオレットははっと目覚めた。
心臓は激しく鳴っていたが、悪夢後の重苦しさはなかった。夢の中で掴んだ勝利の感触と、自力で未来を切り開いた達成感が、心に温かく満ちていた。
すぐにでもレオンの部屋へ駆けつけ、喜びを分かち合いたかった。だが、衝動のままに動くのは淑女としてあるまじき行為だ。ヴィオレットは深呼吸し、高鳴る気持ちを抑えつけた。
(……いけませんわ。もう子供ではないのですから。淑女として、はしたない振る舞いは慎まなくては)
窓辺で白み始めた東の空を眺めた。柔らかな朝の光が部屋を優しく照らす。鳥たちの、喜びにあふれたさえずりが聞こえる。
(レオンは、きっと喜んでくださるわ。わたくしの成長を、誰よりも)
早く伝えたい。早く、あの優しい笑顔が見たい。逸る気持ちを胸にしまい込み、侍女が来るまで静かに、胸の高鳴りを抑えながら待った。
やがて、いつもの時間にレオンが朝の挨拶に訪れた。完璧な執事服に身を包んだ彼の、音もなく、恭しく一礼する姿は、今日もまた完璧だった。その流れるような所作は、いつもと変わらない。
「おはようございます、お嬢様。昨夜はよくお休みになれましたでしょうか」
穏やかで、深く心に染み渡るような声を聞いた瞬間、抑えていた喜びが、堰を切ったように溢れ出す。もう、堪えきれない。
「レオン! おはようございます。あの、聞いてくださいませ! また、あの決闘の夢を見たのですけれど、今度は!」
ヴィオレットは、少し早口になりながらも、隠しきれない喜びを全身から溢れさせ、輝く笑顔で夢の内容を語り始めた。神前決闘の様子、結界魔法と反射魔法を駆使して強敵アデールに見事勝利したこと、そして、ついに無罪を勝ち取ったという歓喜の結末を。
その菫色の瞳は、希望と達成感に満ち、紫水晶のように、きらきらと輝いている。
レオンはヴィオレットの興奮した話を、静かに一言一句逃がさぬように真剣な眼差しで聞いていた。全てを聞き終えると、彼は常の冷静沈着な仮面をほんの僅かに緩め、その深く美しい瑠璃色の瞳に、深い安堵と、隠しきれないほどの温かく、そして誇らしげな喜びの色を浮かべた。
「……そうですか。神前決闘においても見事な勝利を。……素晴らしい。お嬢様。これまでの想像を絶する厳しい訓練が、ついに、見事に実を結ばれたのですね。このレオン、我がことのように嬉しく、心よりお慶び申し上げます」
彼の声には、完璧な執事としての揺るぎない落ち着きの中に、確かな感嘆と、主の目覚ましい成長を心から誇る、温かい響きが込められていた。その声と、慈しむような温かい眼差しに、ヴィオレットの心は再びじんわりと温かくなった。
「ありがとうございます、レオン! これも、あなたがいつも厳しく、そして優しく支え、導いてくださったからですわ!」
「いいえ、お嬢様ご自身の、何よりも強い意志と、たゆまぬ努力の賜物でございます。わたくしは、ほんの少し、その素晴らしい道のりをお手伝いをさせていただいただけに過ぎません」
レオンはそう言って、ふわりと、この上なく優しい微笑みを浮かべた。その稀に見せる、柔らかな確かな自信に満ちた表情は、ヴィオレットにとって、どんな言葉よりも力強い励ましとなり、胸の奥を温かくするのだった。
(レオン……)
彼と共にいれば、きっとどんな困難だって乗り越えられる。そんな確信が、以前よりもずっと強く、深く湧き上がっていた。未来はまだ不確かだけれど、今は、確かな希望の光が、はっきりと見えている。心強い存在、レオンと共に。
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