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【連載版】侯爵令嬢はバカ王子にさっさと婚約破棄されて、有能執事と結婚します〜「お嬢様、お任せください。そのような未来は私が断じて来させません」  作者: 源あおい
第二幕 抗う令嬢と白銀の執事

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第18話 届かぬ願いと遠ざかる背中

 王宮の広大な馬場に響き渡った万雷の拍手と歓声は、まだヴィオレットの耳の奥で熱を帯びて残っていた。


 愛馬ゼフィールの白い首筋を優しく撫でながら、ヴィオレットは周囲から寄せられる称賛の言葉に、胸の奥で確かな手応えを感じつつも、努めて穏やかな微笑みで応えていた。


 馬場から厩舎へと引き上げる道すがら、ヴィオレットは意を決した。不機嫌そうに側近たちと話しているオーギュスタン殿下の元へ歩み寄る。


 彼の自尊心を深く傷つけたであろうことは理解していたが、このまま何の対話もなければ、二人の溝は埋めがたくなる一方だろう。未来の伴侶として、このまま関係が悪化するのは避けたい。


「オーギュスタン殿下」


 努めて穏やかに、しかし凛とした声で呼びかけた。厩舎へ向かう小道は人目も少なく、落ち着いて話せるはずだ。


「先ほどは、お手合わせいただき、ありがとうございました。殿下の素晴らしい騎乗ぶり、改めて感服いたしましたわ」


 心からの言葉だった。たとえ結果は伴わなくとも、彼の騎手としての素質は確かなものだ。そして、続けて、自身の真意を伝えようとした。


「わたくし、今回の馬術比べを通して、日々の鍛錬の大切さを改めて実感いたしました。もしよろしければ、殿下も、わたくしと共に、様々な分野で研鑽を積んでいきませんか? きっと、努力は実を結び、お互いを高め合うことができると信じておりますわ」


 純粋な提案だった。共に学び、成長することで、いつか悪夢で見たような未来ではなく、手を取り合って国を支える未来が訪れるかもしれない。そんな淡い、しかし切実な期待を込めて。


 しかし、オーギュスタンの反応は、ヴィオレットの予想を遥かに超えて冷淡だった。彼はヴィオレットを侮蔑するように一瞥すると、鼻で笑うように言った。


「……ふん。余計なお世話だ。私には私のやり方がある。それに、そなたのような、淑女らしからぬことに現を抜かす者にとやかく言われる筋合いはないな」


(……殿下は、やはりわたくしの言葉をまともに聞いてくださらないのね)


 突き刺さるような冷たい眼差し。馬術比べの後、ほんの少しでも歩み寄れるかもしれないという期待は、木っ端微塵に打ち砕かれた。彼の言葉には、明確な拒絶と、ヴィオレットへの対抗心が見え隠れしていた。


(やはり、殿下はわたくしが勝ったことが、許せないのでしょうね……)


 ふと、そんな確信に近い考えが胸をよぎる。思い返せば、幼い頃からそうだった。婚約前に王宮で親睦を深めていた頃に、学問で師に褒められれば、彼は拗ねた。楽器の演奏で喝采を浴びれば、彼はそっぽを向いた。


 自分が常に一番でなければ気が済まず、他者の優位を素直に認められない。その幼稚さが、十三歳になった今も変わっていない。


(そして、わたくしは……殿下にとって、都合の良い存在ではない、ということなのかしら)


 彼の周囲には常に、彼を持ち上げ、甘やかす者たちがいる。彼らに囲まれている時の、あの満更でもない表情。まるで、常に肯定され、依存できる相手を求めているかのようだ。それに比べて、自分は……。


 その考えに至ると、胸の奥が冷たく痛んだ。婚約者という立場でありながら、彼の心には少しも届いていない。それどころか、疎ましく思われているのかもしれない。遠ざかる背中を、ヴィオレットは複雑な思いで見送るしかなかった。


 翌日、ヴィオレットのもとに、王宮の侍従を通じて慇懃な口調で伝言が届けられた。


「第一王子殿下はご気分の優れぬ状態が続いておられるため、しばらくの間、どなた様とのご面会もお断りになります」


 さらに、後日、ヴィオレットの耳に入ってきたのは、オーギュスタンが以前にも増して公務や王太子教育を疎かにし、側近たちと遊興に耽っているという、嘆かわしい噂ばかりだった。


(やはり……殿下は変わろうとはなさらないのね……)


 ヴィオレットの胸に、冷たい諦念にも似た感情が重くのしかかる。馬術比べの後、ほんの少しでも関係改善の糸口が見つかるかと期待したが、現実は真逆だった。彼の行動は、まるで敗北から目を背け、責任を放棄しているかのようだ。失望は、日増しに深まっていく。


(わたくしは、未来を変えるために、あんなにも努力しているのに……)


 毒に耐えるための訓練、決闘に備えた厳しい鍛錬。それらは全て、予知夢で見た悲劇的な未来を回避するためだった。


 オーギュスタンもまた、国の未来を担うべき第一王子であるはずなのに、なぜ彼は変わろうとしないのだろうか。なぜ、共に立ち向かおうとしてくれないのだろうか。


(もしかしたら、殿下にとって、ご自分の心さえ満たされれば、この国の未来などどうでも良いのかもしれないわね)


 そんな恐ろしい考えが浮かび、ヴィオレットは背筋が寒くなるのを感じた。もしそうだとしたら、この国の未来はあまりにも危ういのではないだろうか。そして、自分は一体何のために、こんなにも苦しい努力を続けているのだろうか。


(婚約とは、一体何なのだろう……)


 政略結婚であることは理解している。それでも、共に過ごすうちに、少しずつでも良いから信頼関係を築き、協力し合えるようになることを願っていた。だが、今のオーギュスタンを見ていると、その望みはあまりにも儚い幻想に思えた。


(このままでは、王国の未来が危ぶまれる……)


 焦燥感と無力感が、ヴィオレットの心をきりきりと締め付ける。だが、いつまでも嘆いていても仕方がない。他者の心を変えることはできない。ならば、自分がより強く、賢くなるしかない。レオンの言葉を胸に、ヴィオレットは再び前を向こうと決意する。


 その夜、ヴィオレットは自室の書斎で、窓の外に広がる静かな夜空を見上げていた。星々の瞬きが、遠い未来への道標のように思える。馬術比べの勝利は、確かに大きな一歩だった。修練は裏切らない。その確かな手応えだけが、今の彼女の心を支えていた。


(毒を克服し、今度は馬術でも一定の成果を残せた。わたくしは、着実に力をつけている。未来は、きっと変えられるはず……。ええ、必ず)


 その日の厳しい鍛錬による心地よい疲労感と共に、ヴィオレットは決意を新たに、眠りの淵へと落ちていった。








(……ここは?)

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