第17話 馬術比べ
「面白い! よくぞ言った!」
オーギュスタンは待ちかねたように立ち上がり、声を張り上げた。
「ならば、その腕前、披露してもらおうではないか! この王宮の馬場で、私と馬術比べだ!」
周囲の注目を集め、彼は興奮した様子でまくし立てる。後に引けない状況を作り出し、ヴィオレットを叩き潰す算段だろう。
「望むところですわ、オーギュスタン殿下。喜んでお受けいたします」
ヴィオレットの心に、迷いや恐れはなかった。三年間の研鑽の成果を披露する機会が、ついに訪れたのだ。
静かに立ち上がり、優雅に一礼するヴィオレットの態度に、オーギュスタンは一瞬たじろぎ、すぐに尊大な笑みを浮かべた。
(この馬術比べで、少しでも殿下にわたくしの努力をお認めいただけたら……。そして、もし可能ならば、殿下にもっとお学びになることをお勧めしたい。努力はきっと実を結ぶはずです)
急遽、王宮の広大な馬場にて、第一王子とボーフォール侯爵令嬢の馬術比べが執り行われることになった。お茶会に参加していた貴族子弟が、珍しい催しを一目見ようと、物見高く馬場を取り囲んだ。
レオンはヴィオレットの意向を受け、直ちに馬と両跨ぎ用の鞍、そして乗馬用の服を手配した。
着替えを済ませ、王宮の馬場に現れたヴィオレットの姿を見た令嬢達から、感嘆の声が上がった。
「まあ! ご覧になって!? ヴィオレット様の御衣装は男性用の乗馬服をそのままお召しになるのではなく、とても優美ですわ」
「本当に。あれならば、野卑な感じはなく、淑女の品格も保てますわね」
深みのある濃紺のウールで仕立てられた乗馬服は、しなやかな光沢を湛え、活動的でありながらも洗練されたシルエットを描き出している。
身体の曲線に沿うジャケットはウエストを優美に絞り、スタンドカラーの内側に覗く白のシルクが上質感を添える。前立ての銀ボタンはボーフォール家の紋章を刻み、宝石のように輝く。
特筆すべきはズボン形式で、従来の淑女の装いとは異なるが、流れるようなドレープが優雅さを演出する。共布のベルトと銀製のバックルがさりげないアクセントとなり、足元の黒革のジョッキーブーツが全体を引き締める。
ヴィオレットは、落ち着き払った様子で愛馬ゼフィールの白い背に跨っていた。陽光を浴びて絹のように輝くたてがみを優しく撫でる。
その横には、手綱を持つレオンが静かに控えている。白銀の髪が陽光を浴びてきらめき、涼やかな瑠璃色の瞳が、いつもと変わらずヴィオレットを見守っている。
その姿を見るだけで、胸の奥にほんの少しの安堵と、言いようのない温かい気持ちが湧き上がった。
(カミーユのデザインは本当に素晴らしいわ。そして、こうしてレオンがそばにいてくれるだけで、心強く思えるのね……)
馬場を見据えるヴィオレットの瞳には、静かな闘志が宿っていた。
対するオーギュスタンは、王家の厩舎が誇る黒毛の駿馬に跨り、自信満々な笑みを浮かべていた。その顔は、生意気な婚約者を打ち負かす愉悦に歪んでいる。
審判役の近衛騎士による合図と共に、二頭の馬が同時にスタートを切った。オーギュスタンは、派手な手綱捌きで観客の目を引こうとした。確かにその姿は勇ましい。
出だしは、好スタートを切ったオーギュスタンに軍配が上がった。
一方、ヴィオレットの騎乗は洗練されていた。無駄な力は一切ない。馬の動きと呼吸を完璧に読み取り、最小限の指示で愛馬ゼフィールを導く。人馬一体となり、風を切って駆けるその姿は、息をのむほどに美しかった。
設定されたコースには、急カーブ、連続する低い柵、そして最後に高さのある障害物が待ち受けていた。
ヴィオレットは、練習で体に染み込ませた感覚通り、流麗なターンでカーブを駆け抜け、リズミカルに柵を跳び越えていく。その安定した完璧な技術に、観客席からは驚きの囁きが広がった。
「なんと……! ボーフォール嬢が、あれほどの乗り手とは……!」
「王子も速いが、どこか危なっかしい。それに比べ、彼女の騎乗は……」
オーギュスタンの背後からヴィオレットが迫り、観客のざわめきが大きくなった。第一王子の手綱捌きが急に荒くなり、彼は馬に何度も鞭を入れた。馬はぎこちなく体を揺らし、王子の意に反しているようだった。
勝負を決したのは、最後の障害物だった。ヴィオレットとゼフィールは、完璧なタイミングと踏み切りで、高く美しい放物線を描いて障害物を飛び越えた。着地もスムーズで、一切の減速はない。
その瞬間、馬場全体からどよめきと喝采が起こった。ヴィオレットの卓越した技術と優雅な騎乗に、称賛の声が飛び交った。
一方で、オーギュスタンの無様な敗北を目撃し、冷ややかな視線を送る者も少なくない。彼の取り巻きたちは、苦虫を噛み潰したような表情で押し黙っている。王太子の権威は、この衆目の前で大きく傷つけられてしまった。
勝者となったヴィオレットは、静かにゼフィールから降りると、乱れた呼吸を整え、馬上から苛立ちと怒りを混ぜた視線を送る王子に対し、深くカーテシーをとった。
「オーギュスタン殿下、お手合わせいただき、光栄に存じます。今後も、馬術だけではなく、あらゆる分野で共に研鑽を積んでまいりましょう」
その声は凛と響き、勝者としての威厳と、敗者への敬意を示していた。
対照的に、敗北したオーギュスタンは、顔を屈辱に染め上げ、歯を食いしばりながら馬から降りた。ヴィオレットに何の返答もせず、側近たちに促されるまま、逃げるように馬場を後にした。
その背中からは、怒りと深い劣等感が滲み出ていた。
ヴィオレットは、周囲からの祝福や称賛の言葉に、穏やかな微笑みで応えながら、人垣の向こうに佇立するレオンの姿を認めた。
深く美しい瑠璃色の瞳の奥には、主の目覚ましい成長を誇る、優しい光が宿っていた。視線が交差すると、レオンはほんのわずかに、口角を引き上げてみせた。
その微かな承認だけで、ヴィオレットの心は、勝利の喜び以上に、温かく満たされた。
(これで、殿下も、そして周囲の方々も、少しはご理解いただけたでしょうか。日々の努力は大切であり、わたくしの故郷もまた、誇り高き場所であるということを)
ヴィオレットは、労わるように鼻を寄せてきた愛馬ゼフィールの白い首筋を優しく撫でた。
周囲を取り巻く貴族子弟たちの視線には、驚嘆、称賛、尊敬、そして中には――警戒と嫉妬の色が混じっていた。
この日の馬術比べは、ヴィオレット・ボーフォールの名を、王太子の淑やかな婚約者というだけではない、強靭な意志を秘めた貴婦人として、王都の社交界に鮮烈に刻み込んだ。
そして、その傍らにいつも静かに寄り添い、見守ってくれるレオンの存在が、ヴィオレットにとって何よりも心強いものだった。彼の瞳に映る誇らしげな光を見るたび、胸の奥がほんの少しだけ、いつもより熱くなるような気がした。
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