第14話 王都への旅路
春の陽光が眩しく降り注ぐ王国暦九九六年。十一歳になったヴィオレットは、王都での会議へ赴く父、アルマン・ボーフォール侯爵の出発に合わせ、慌ただしくも心躍る準備を進めていた。
菫色の瞳には隠しきれない期待が宿っている。
ボーフォール侯爵領を発つ日の朝、ヴィオレットは、深紫色の髪を柔らかな風になびかせながら、愛馬ゼフィールに跨っていた。まだ幼いながらも、馬上で背筋を伸ばす姿は実に美しく、侯爵令嬢としての気品が自然と滲み出ている。
隣には、月光を思わせる白銀の髪を端正にまとめた専属執事レオンが、同じく黒鹿毛の馬に乗り、影のように静かに控えている。
その瑠璃色の瞳は、常にヴィオレットに向けられ、彼女の安全を確かめるように、そして、風に揺れる深紫の髪の一筋までも見逃さぬように、細められていた。
ヴィオレットの前後には、屈強な護衛の騎士たちが、そして、身の回りの世話をする侍女たちを乗せた馬車や、旅の荷物を満載した馬車が、厳かに列をなしていた。
騎馬で王都を目指すのは、ヴィオレットにとって初めての経験だった。これまでは揺れの少ない快適な侯爵家の馬車と船での移動が常だったが、今回はどうしても自分の目で、馬の背から、この道を駆けてみたかったのだ。
風を感じ、景色を自分の目で確かめたい。そんな抑えきれない好奇心が、彼女を突き動かし、その願いを父は鷹揚に笑って許してくれた。
「ふむ、自分の目で世界を見るのは良い経験になるだろう。許可しよう。ただし、無理は禁物だ。疲れたと感じたら、すぐに馬車に移りなさい。まだそなたは幼いのだから、体を壊しては元も子もない。
それから、貴族としての体面も忘れてはならん。戦時でもあるまいし、王都に入る際は馬車を使うように」
母セレスティーヌの体調を気遣い、両親は船で王都へ向かう。王都からボーフォール侯爵領の本城までは二日の船旅だが、大河を遡る帰路は三日を要する。騎馬での陸路は、ヴィオレットの負担を考慮し、余裕を持たせた六日間の旅程となる。
美しく整備されたボーフォール侯爵領から王都へと続く街道を、馬蹄の音が軽快なリズムを刻む。
ヴィオレットは、頬を撫でる風の心地よさに目を細め、移り変わる沿道の景色を好奇心旺盛な菫色の瞳で捉えていた。豊かな緑、点在する村々、行き交う人々の活気。そのすべてが、書物とは違う生きた情報として、彼女の心を強く刺激した。
「まあ、なんて気持ちの良い風でしょう」
すぐ後ろの馬車から、専属侍女のカミーユが、明るい金色の髪を揺らしながら声を上げた。
「ええ、本当に。王都に着くのが楽しみですわ」
同じく侍女のノエミも、明るい茶色の髪に緑色の瞳を輝かせながら同意する。
ヴィオレットは二人の言葉に大きく頷いた。
「本当に。陸路をゼフィールに乗って王都まで行けるなんて、とても嬉しいわ」
道中、護衛騎士の一人であるロランが、ヴィオレットの馬の歩調に合わせて進み出た。
「ヴィオレット様、何かご心配なことはございませんか」
金髪に碧眼の騎士は、真剣な眼差しで問いかける。
「いいえ、大丈夫ですわ。むしろ、こうして皆様と馬上で旅ができることを楽しんでいます」
ヴィオレットはそう答えたが、内心では、騎士たちの頼もしい存在に安堵感を覚えていた。
やがて王都に近づき、王家直轄領へと入った頃、宿を出て道端に広がる壮麗な光景がヴィオレットの視線を釘付けにした。
それは、広大なリュミエール畑だった。
朝の光を浴びたリュミエールは、ゆっくりと花弁を開き始めている。淡いピンクから光を帯びた白へと変わる花びらは柔らかなグラデーションを描き、内側から温かな光を放つ。
エメラルドグリーンの葉には金色の葉脈が走り、朝露に濡れて微細な光の粒子がきらきらと輝いていた。
風がそよぐたびに、繊細な花々が優雅に揺れ、まるで囁きかけるような微かな音色が聞こえる気がする。それは息をのむほど幻想的で、神聖な気配さえ感じさせる光景だった。
「まあ……! なんと見事なリュミエール畑でしょう。まるで、リュミエールたちが囁き合っているようですわ」
ヴィオレットが思わず感嘆の声を上げると、隣で馬を寄せていたレオンが穏やかに頷いた。彼の瑠璃色の瞳は、リュミエールの花弁の一枚一枚を慈しむように、細やかに見つめている。
「ええ、お嬢様。王都周辺はリュミエールの栽培に適した土地柄ですが、ここの畑は格別ですね。手入れが行き届き、リュミエール自身が持つ生命力が満ち溢れているようです」
その時、リュミエールの花々を手入れしていたのであろう、ヴィオレットと同じ年頃の少女が畑の向こうから顔を上げた。
飾り気のないシンプルな服を着た、快活そうな少女。陽に透ける柔らかなパステルピンクの髪が風に揺れ、リュミエールの葉の色を映したようなエメラルドグリーンの瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。
その立ち姿には、貴族とは違う、自然の中で伸びやかに育った健やかさと、リュミエールと心を通わせるような不思議な親和性が感じられた。
少女は、侯爵令嬢の一行であるヴィオレットたちに一瞬驚いた顔をしたが、すぐに人懐っこい笑顔を浮かべた。
「こんにちは! とっても綺麗なリュミエールでしょう?」
少女の声は、リュミエールの囁きのように澄んで、ヴィオレットの耳に心地よく響いた。
「ええ、本当に。大切に育てられているのですね」
ヴィオレットは馬上から微笑み返した。短い言葉のやり取りだったが、少女の屈託のない笑顔とリュミエールへの深い愛情が、ヴィオレットの心に春の日差しのような温かな印象を残した。
六日間の騎馬と馬車での旅を経て、いよいよ王都へ到着したヴィオレット。高く聳え立つ王宮の威容が、彼女の瞳に映った。




