第13話 守護の盾
秋も深まり、訓練場の地面に描かれた魔法陣の上を、ひやりとした風が吹き抜けていく。色づいた落ち葉がはらりはらりと舞う午後、ヴィオレットは来るべき決闘に備え、新たな魔法の習得に挑んでいた。
「魔力の制御がかなり上達されましたので、今日からは結界魔法の訓練です。これはお嬢様の身を守る『盾』となります」
レオンは、真剣な表情でヴィオレットに告げた。
「お嬢様、剣術の鍛錬も重要ですが、ヴィオレットお嬢様が、熟練の騎士相手に剣のみで渡り合うのは難しいでしょう」
「では、魔法で……?」
ヴィオレットが問いかけると、レオンは静かに首を振った。
「ええ。しかし、決闘場のような限られた空間では、すぐに間合いを詰められてしまいます。半端な攻撃魔法は熟練の騎士には容易く避けられ、あるいは防がれるでしょう。身体強化魔法を施した騎士なら尚更です。
そこで重要になるのが結界魔法です。まずは殺されないこと。何があっても身を守り切る、強固な守護の盾を築く。それが今回の訓練の最大の目的となります」
「守護の盾……!」
決闘で殺される未来を回避するための、最後の砦。ヴィオレットは決意を新たにし、ごくりと喉を鳴らし、気を引き締めた。
しかし、結界魔法の訓練は想像以上に困難だった。自身の周囲に魔力の壁を安定して作り出し、維持する。それには集中力と繊細な魔力操作を、さらに高い次元で融合させる必要があった。一つのミスが命取りになるかもしれない。
(もっと、強く……安定させて……!)
ヴィオレットは眉間に皺を寄せ、必死に魔力を練り上げる。淡い紫色の魔力が陽炎のように立ち上るが、すぐに不安定に揺らめき、霧散してしまう。その度に、頭の内側で鋭い痛みが走った。
「集中が足りません、お嬢様! 結界はお嬢様の強い意志そのもの! その程度の覚悟では、騎士の一撃は防げません!」
レオンの厳しい声が飛ぶ。普段の穏やかさは鳴りを潜め、容赦ない言葉がヴィオレットの未熟さを抉る。彼の言う通りだ。あの悪夢の中では、なすすべもなかった。
ヴィオレットは唇を噛み締め、再び意識を集中させた。体内の魔力を、レオンに教わったように、ゆっくりと、丁寧に手繰り寄せる。水を細く流すように。失敗しても、諦めない。
繰り返し失敗する中で、頭痛は悪化し、目眩さえ覚える。それでも、ヴィオレットは歯を食いしばり、魔法陣の中央に立ち続けた。レオンはすらりとした立ち姿を崩さず、厳しい目で見守っている。その視線が、彼女を奮い立たせた。
失敗という壁にぶつかり続けるうちに、ヴィオレットは徐々に、光を見出し始めていた。魔力の流れをただ押し出すのではなく、自分の周囲で円を描くように循環させ、安定した形に編み上げる感覚。
それはまるで、夜空に星座を紡ぎ出すような、緻密で根気のいる作業だった。だが、その複雑さが彼女の知的好奇心をくすぐるのだった。
そして、連日の訓練が実を結び始めたのだろうか、ついにその瞬間は訪れた。ヴィオレットは深く息を吸い込み、練り上げた魔力を解き放つ。
「――悪意から我が身を守る聖なる壁よ、今ここに顯現せよ! 『聖絶結界』!」
凛とした声と共に、ヴィオレットの全身を包む淡い紫色の光が揺らめきを止め、確かな厚みを持つ半透明のドームを形成した。それは冬の陽光を浴びて紫水晶のように輝き、外部からの干渉を拒む、揺るぎない守護の意志を放つ。自分の力で作り出した、確かな守り。
「できた……!」
思わず、震える安堵と歓喜の声が漏れた。目の前に広がる光の壁。じわりと目頭が熱くなる。ヴィオレットは、達成感に満たされた表情で、魔法陣の外に立つレオンを見上げた。
レオンは、完璧な執事の仮面をわずかに緩め、常の涼やかな瑠璃色の瞳に、柔らかな、そして隠しきれない誇らしさを浮かべて、深く頷いた。
「素晴らしい! お嬢様! 見事な結界です。安定度、強度、共に申し分ありません。やはり、魔法に関して類稀なる才能をお持ちです」
彼の惜しみない賞賛が、ヴィオレットの胸に温かく響く。厳しい訓練を乗り越えた達成感が、じわじわと体中に満ちていく。
結界魔法を維持したまま、彼女はその不思議な感覚を味わっていた。まるで、これまで頼りなかった自分の内側に、確固たる芯が生まれたような、そんな頼もしい感覚だった。特別で、心強い。
(魔法って、すごい……! 面白い……!)
生き残るために必死で学んできた魔法。けれど今、ヴィオレットの中に純粋な魔法への尽きない興味と好奇心が泉のように湧き上がっていた。
「レオン、結界魔法って、本当に不思議ですね。自分の身を守れるなんて……」
彼女の菫色の瞳は、探求心にきらきらと輝いていた。訓練の疲れも忘れ、興奮気味にレオンに問いかける。
「他の魔法は、どんなことができるのでしょう? わたくし、もっともっと、色々な魔法を学んでみたいです!」
レオンは、ヴィオレットの熱意に、僅かに目を見開いた後、すぐに穏やかな微笑みを浮かべた。その瞳には、彼女の成長を頼もしく見守る温かさがあった。
「ええ、魔法の世界は広大で奥深いものです。お嬢様の魔力とその探求心は、その扉を開ける素晴らしい鍵となるでしょう」
彼は少し間を置いて、ヴィオレットの適性について、冷静な分析を交えながら語り始めた。
「正直に申し上げて、お嬢様の剣術は決して得意とは言えませんが、努力によって着実に基礎を身につけられています。その鍛錬で培われる精神力、体捌きは、他の全ての基礎とも通じています。
それに、馬術に関しては素晴らしい才能をお持ちです。そのバランス感覚と度胸は、並の騎士にも引けを取りません」
レオンはヴィオレットの魔法の才能に改めて言及する。
「そして、魔法です。その豊富な魔力量と、今しがた証明された繊細な制御能力。これを磨き上げれば、お嬢様は間違いなく、王国でも屈指の魔法の使い手となられるでしょう。その気になれば、多くの魔法を習得できるはずです」
レオンは期待を込めた眼差しで続ける。
「例えば、相手の攻撃を跳ね返す『反射魔法』などは、決闘にも有意義ですし、お嬢様の才能を特に活かせるかもしれませんね」
「反射魔法……!」
聞いたこともない魔法の名前に、ヴィオレットの胸は高鳴った。決闘回避のためだけに始めた魔法の訓練が、いつの間にか、未知の世界への扉を開く、心躍る冒険へと変わり始めていた。
「ありがとうございます、レオン!」
ヴィオレットは、輝く瞳で力強く宣言した。
「わたくし、もっともっと強くなります! 結界魔法だけじゃなくて、色々な魔法を使えるようになって、自分の未来を守ってみせます!」
その言葉には、もう悪夢に怯えるだけの少女の姿はなかった。自らの意志で未来を切り拓こうとする、強い決意が漲っている。その輝きは、結界魔法の光にも劣らなかった。レオンは、そんなヴィオレットの成長を眩しそうに見つめながら、静かに頷いた。
「ええ、お嬢様。私も、あなたの望む未来のために、持てる知識と力の全てをもって、全力でサポートいたします。共に、道を切り拓きましょう」
冬の名残の冷たい風が、師弟の間に交わされた新たな誓いを、どこか祝福するように運び去っていった。
「さあ、今日の訓練はここまでです。まずは冷えた体を温め、ゆっくりと休息をお取りください。夕食後、書斎にて今日の復習と、明日からの攻撃魔法の基礎について少しお話ししましょうか」
レオンの言葉に、ヴィオレットは深く頷いた。結界魔法を会得した喜びと、新たな魔法への期待感が、心地よい疲労感を上回っていた。
(これで、少しはあの悪夢の未来を変えられたかもしれない……)
まもなく春の社交シーズンを迎え、婚約者である第一王子オーギュスタン殿下との一年ぶりの再会が近づいている。
(その時までに、さらに頑張らなくてはなりませんね)
数多ある作品の中からこのお話を読んでいただき誠にありがとうごさいます。
「面白い」「続きを読みたい」と少しでも思って下さった方、ぜひブックマーク、下の☆評価などよろしくお願いします!




