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【連載版】侯爵令嬢はバカ王子にさっさと婚約破棄されて、有能執事と結婚します〜「お嬢様、お任せください。そのような未来は私が断じて来させません」  作者: 源あおい
第二幕 抗う令嬢と白銀の執事

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第12話 成長する令嬢と深まる秋

「もっと速く! まだ余力があるはずです、お嬢様!」


 早朝のボーフォール本城の庭園に、レオンの叱咤が響く。その声は、常の穏やかさとは違う、厳しく低いトーンを帯びていた。すぐ側に迫った冬の訪れを感じさせる冷たい空気を切り裂くようだ。


 ヴィオレットは、白い息を弾ませながら必死に足を動かす。朝日を受けて露がきらめく芝生を踏みしめるたび、肺が痛む。


 けれど、庭園を半周も走れなかった三ヶ月前とは違う。広大な庭園を幾周も走り切れるだけの体力がついた実感は、苦しさの中の支えだった。


 少し後ろを、レオンが影のように伴走する。乱れぬ呼吸、涼やかな横顔。疲労の色など微塵も見せない。


「ペースが落ちています。昨日のご自身を超えるのですよ」


 冷静な声に、ヴィオレットは奥歯をぐっと噛み締めた。重い身体に鞭を入れ、再び速度を上げる。昨日の自分より、今日の自分はもっと強くならなければ。そうでなければ、あの悪夢の未来を変えることなどできない。


 早朝のランニングと模擬剣による剣術稽古を終えても、息つく暇はない。予知夢を受けて始まった過酷な訓練は、既存の妃教育や貴族令嬢としての習い事に容赦なく組み込まれ、十歳の少女には目が回るような過密スケジュールとなっていた。


 しかし、それを可能にしているのは、常に傍らに控えるレオンの存在だ。彼の緻密なスケジュール管理と完璧なサポートがあってこそ、ヴィオレットはこの厳しい日々を乗り越えられている。彼の有能さには、ただただ頭が下がる思いだった。


 早朝の訓練が終わると、日中は未来の王妃としての教育が待っている。


 王宮から派遣された老練な女官、マダム・グランブーダンによる指導は、立ち居振る舞いから外交儀礼まで多岐にわたるが、今日は特に舞踏会でのダンスやエチケットに時間が割かれた。


「よろしいですか、ヴィオレット様。舞踏会は華やかな社交の場であると同時に、各国の貴顕が集う外交の舞台。その場での貴女様の振る舞い一つが、ロワナール王国の威信そのものとなるのです」


 マダムの厳かな言葉を聞きながら、ヴィオレットは優雅なステップの練習を繰り返す。


 そこには、驚くべき相乗効果も現れていた。毎日の訓練で培われた体幹と持久力、集中力が、ダンスの習得にも明らかに役立っているのだ。ステップは安定し、以前よりも複雑な動きを長時間続けても疲れにくい。


 それは剣術の構えや他の習い事にも通じ、異なる分野の学びが互いに影響し合い、理解を深めているのを感じた。


 結果として、各レッスンの時間は短縮されても、むしろ一日を通しての成果は上がっているように感じられた。


(貴族令嬢としての所作も、未来を変えるための戦いの一部なのかもしれないわね。)


 上達の実感に喜びを感じながら、練習着の裾を優雅に翻した。


 妃教育が終わると、魔法訓練が行われる。魔力制御は依然として難しいが、以前よりは自分の意思で魔力を操れるようになってきた実感があった。


 魔法訓練の合間には、必ず短い休憩が挟まれる。レオンがさりげなく差し出す冷たい飲み物や、額の汗をそっと拭ってくれる優しい手つきが、ヴィオレットの張り詰めた心を解きほぐした。その瞬間だけは、厳しい訓練を忘れられた。


 一日の最後の訓練は馬術だ。ボーフォール侯爵家が誇る広大な馬場で、ヴィオレットは愛馬ゼフィールの背に跨る。

レオンの指導は、単なる乗馬ではなく、夢で見た『ボーフォール侯爵家の生まれ』という言葉から発展し、馬上決闘をも想定した実戦的なものだ。


「今日はギャロップでの連続旋回です。馬との一体感を保ち、視線は常に進行方向へ」


 レオンは自ら手本を示すように、駿馬を駆って先導する。ヴィオレットも懸命にその後を追った。


 風を切る音、蹄の響き、馬上での剣の素振り。優雅な片乗りだけでなく、実戦で必要な両足乗りでの安定した騎乗姿勢も叩き込まれる。厳しいが、確実に身についていく感覚があった。


 最初は恐怖心もあったが、持ち前の集中力と負けん気で、驚くべき速さで上達していった。


 馬と呼吸を合わせ、手綱を自在に操る彼女の姿は、十歳とは思えぬほど凛々しい。


 夕陽を浴びて馬場を駆けるヴィオレットの姿を、レオンは馬上から見守っていた。厳しい訓練に耐え、着実に成長していく主の姿。その涼やかな瞳には、指導者としての厳しさだけでなく、確かな手応えと未来への微かな希望の色が宿っていた。


 不意に、風がヴィオレットの深紫色の髪をさらい、夕陽に美しくきらめいた。幼さを残す横顔に浮かぶ、真剣な眼差し。その一瞬の輝きに、レオンは思わず息を呑んだ。


 訓練が終わり、ヴィオレットはゼフィールに丁寧にブラッシングをしながら、レオンに話しかけた。


「レオン、わたくし、少しは強くなれたでしょうか?」


 レオンは、手綱を丹念に拭いながら、静かに頷いた。


「ええ、お嬢様。目覚ましい進歩です。体力、体幹、馬を操る技術、どれをとっても訓練開始時とは比較になりません。何より、その眼差しに強い意志が宿っておられます」


 その言葉に、ヴィオレットは心から安堵した。厳しい訓練は辛いけれど、こうしてレオンに認められることが、何よりも彼女の励みになるのだ。


 共に汗を流し、困難に立ち向かう中で、二人の間には言葉を超えた強い信頼が育まれていた。ふとした瞬間、ヴィオレットの視線が捉えるレオンの横顔。鍛えられた精悍さと、若さの中に滲む確かな頼りがい。


 彼の厳しさは、全て自分を守るため。――お嬢様が生き残るためには、これくらいの覚悟が必要です。甘い考えは捨ててください――レオンの言葉を反芻する。


 体力強化と馬術訓練は、ヴィオレットを身体的にも精神的にも逞しく成長させていった。


 一日の全ての予定を終え、夕食と湯浴みを済ませ、ヴィオレットは自室のベッドに倒れ込む。心地よい疲労感が全身を包む。厳しいけれど、充実した一日。


 あの悪夢の未来を変えるために、彼女は諦めるわけにはいかない。


 明日の魔法訓練では次の段階に進む予定だ。


(明日も、頑張らなくては……)


 その日はゼフィールと共に駆けた草原の夢を見た。風を切る音、温かい陽の光。そして、訓練中にふと見せたレオンの優しい眼差しが、まぶたの裏に鮮やかに残っていた。




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