心頭滅却すれば火もまた涼し
自分の存在が時代錯誤であるという自覚はある。
今の時代とは乖離した考えの持ち主であるという自覚もある。
翻ってそれが間違っているとも思わない。
今の時代と私が若い時では180度くらい世の中の有り様という物が違ってしまっている。
ゆえに私は知る事を怠らない。
常に知らぬことがあれば、全力で調べて学習して何とか追いつこうと努力している。
過去など振り返っている暇は、私には無い。
見知らぬ明日だけが目の前に広がっているのだ。
余人はともかく少なくとも私には前に進んで確たる自分を手に入れる他ない。
他者の理解や共感など今の私には無用の物だ。
ただ貪欲に求め、研鑽し、己が物とするだけ。
忌まわしい過去がどれほど私を責めて、追いすがろうとも私を止める事は出来ない。
前に、前に向って進むだけだ。
生まれや育ちの悪さなど最早、私にとっては障害にすらならないだろう。
なぜならば今の私の抱える問題はこの手に余るほどの遼遠な物であり、日々私はそれらの相手をするだけで精一杯だからである。
重ねて言おう、私は時代から取り残された人間である。
もう時代に追いつく事も無いだろう。
このまま風雨に晒されて、灰燼と化す日もそう遠くはあるまい。
だが確たる己を手に入れる為の修験は欠かさないつもりだ。
研ぎ、磨き、徹底的に鍛え上げて最後の瞬間を迎えるのだ。
そして最後の一瞬を迎えた時に堂々と「生きる事は無価値。この世には生まれ出でて存在してやる価値は無い」と嘯いてやろうと思う。
それを想えば、この五体を灼くような暑さも涼風に等しい…わけないだろう。
暑いよ、フツーに。