90.雨降って
魚沼さんの決意を聞いた俺達は早速今週末に場を設ける事にした。
場所は前も使ったカラオケボックス。
そこにハルに妹さんを呼び出してもらい、俺が魚沼さんを連れていく。
「あ、村兄。こんにちは」
「よ、春休み以来だな」
先に来ていた橘音ちゃんが俺を見て元気良く挨拶してくる。
この子とは小学生の時からハルと一緒に良く遊んでたからな。お陰で今でもこうして慕ってくれている。
「少し見ない間に大きくなったな」
「へへん。でしょお」
俺の言葉に自慢気に胸を張って強調してくる。
そこに羞じらいの様子はない。
「ちなみに身長の話な」
「いやそっちもだけどさ」
「そして女の子なら安易にバストを見せ付けない。
安売りしてるように見られるぞ」
「あうっ」
はしたない真似をした橘音ちゃんの頭にペシッとチョップを落とす。
隣でまぁまぁと苦笑いを浮かべている実の兄とは違い、俺は叱る時に手が出る。もちろん痛くないようにはしてるけど。
「ふふっ」
「って、叩かれて笑うとか。
ハルすまん。俺は育て方を間違えてしまったようだ」
「いや多分久しぶりの一会君とのやり取りが嬉しかっただけだと思いますよ?
別にMに目覚めた訳ではないかと。
まぁ目覚めたとしても大切な妹には変わりありませんけど」
平和な、ある意味昔と変わらない空気を感じて、少なくともハルと橘音ちゃんの関係は今も良好なのが確認出来て安心した。
まったく、それなら始業式の絶望感は何だったんだか。
まぁハルなりに余裕を失ってたんだと思おう。
それにこれなら大丈夫そうだな。
「そろそろ入ってきて」
「は、はい!」
扉の外に声を掛ければ、緊張した声と共に魚沼さんが入ってきた。
それを見た途端、橘音ちゃんが目をつり上げた。
「あ、出たな泥棒猫!」
「ひゃっ」
突然怒鳴られて驚く魚沼さんと右手を動かす俺。
「びしっ」
「村兄、痛い」
「痛くしたからな」
チョップを繰り出した俺を上目遣いで睨んできたので、そのままその頭に右手を置きグリグリと撫でてやる。
「俺はいつも人を表面的な情報だけで判断するなって言ってるよな」
「う、うん。一見馬鹿な奴に思えてもどうしようもない馬鹿なのか一周回って天才の類いなのか見極めろって。じゃないと痛い目見るぞって」
「そうだ。だから彼女のことを判断するのもよく知ってからでも遅くないと思って今日は呼んだんだ」
「むぅ」
渋々ながらも落ち着いて席に座ってくれた。
そして魚沼さんには橘音ちゃんの斜め前の場所に座って貰う。
ふたりの視線が合うとバチバチと火花が、散らないか。
「魚沼さん。殴り合えとは言わないけど、対等に向き合う気がないなら帰った方がいい」
「っ。だ、大丈夫、です」
きつめの言葉を投げ掛ければ、さっきよりかは気を取り直したようだ。
これなら、うーん、ギりかも。
でも絶対安全確実なんてないし頑張ってもらおう。
少なくとも魚沼さんも初めて会った時よりだいぶ強くなっている印象だし。
ただそうやって俺が魚沼さんにアドバイスをするのを見て橘音ちゃんは不満そうだ。
「村兄は一体どっちの味方なの!」
「この3人の中ならハルの味方だな」
「あ~うん。ならいいや」
(良いのか)
俺の答えにあっさり納得してしまった。
相変わらずの兄至上主義というか。まあ分かっていた事だけど。
「誤解しない様にちゃんと説明しておくと、今回俺が魚沼さんにしたことって言えばこの場をセッティングした事と、あとはお前とキチンと本音でぶつかっていけって背中を押しただけだ。
それ以上にあれしろこれしろってアドバイスはしてないから」
「ふぅ~ん」
それを聞いて同意するように魚沼さんもこくんと頷いた。
橘音ちゃんはまだ不服そうだけど一応納得はしてくれたかな。
なら俺の役目はここまでか。
「さ、行くぞハル」
「はい」
それまで成り行きを静観していたハルを連れてその場を後にしようとすれば、慌てて橘音ちゃんが待ったをかけた。
「え、うそ。お兄も村兄も帰っちゃうの!?」
「ああ。一緒に遊ぶのはまた今度な」
「帰ったらこの埋め合わせはするから。ここは俺の顔を立てると思って頼む」
「私この人と2人で何話せっていうのさ?」
「共通の話題なんて1つしかないし、それで良いんじゃないか?
それこそさっきの言葉じゃないけど泥棒猫に大事な兄貴を取られない様に兄貴の惚気話を聞かせまくるとか」
「それならまぁ幾らでも話せるきがするけど。なんか乗せられた感じ。
むぅぅ。じゃあお兄は喫茶『陽だまり』のアップルパイを買っておいてね!」
「わかったわかった。それくらいならお安い御用だ」
そうして俺達はその場に魚沼さんと橘音ちゃんを残して帰ることにした。
……のは良いんだけどハルよ。ちょっとは落ち着け。
まるで出産を待つお父さんみたいになってるから。