手負蛇⑤
「やっほースモモ、これお土産。あとタツヤももう来るって」
玄関先に現れたのは私たちの話題の中心人物、寧々ちゃんだ。
呪詛返しをするにしろしないにしろ、寧々ちゃんに取り憑く手負蛇を近くで観察したいと火時丸くんが言ったので、適当な理由をつけて呼び出していた。
怪しまれないようゼミ生数人に声をかけたけど、来れるのはタツヤくんだけだという。
「あれっ、火時丸くん先に来てたの!? 二人きりでスモモの部屋に? へぇー」
何やらしたり顔でニヤニヤしてるけど、寧々ちゃんに憑いてる蛇の処遇を話してました、なんて言えない。
「ちょっとぉ、スモモ罪な女じゃん」
「偶然早く来れちゃっただけだって」
火時丸くんに聞こえないよう耳打ちしてくる寧々ちゃんの腕には、花火大会の時より姿がはっきりした手負蛇が巻きついている。
鱗はてらてら黒光りして、肉が削がれた骨だけの部分も生々しく動いていた。
何度見ても気持ち悪い。
自分で呼んでおいてなんだけど、自宅にこの蛇がいるのは良い気分ではない。
「それで今日は怪談大会するんだっけ?」
「う、うん。夏だし納涼怖い話大会、みたいな」
そこにタツヤくんもやって来て、私たち四人は小さなちゃぶ台を囲んだ。
不自然なメンバーに不自然なテーマ。
寧々ちゃんとタツヤくんの人の良さに付け込んだような集まり。
当然、明るいタツヤくんを以てしても全員の口数は少なくなる。
「じゃあ、始める前に全員目の前の塩をひとつまみ掴んで舐めて」
「なんだなんだ、本格的だなー」
本格的じゃなくて、本物なんだよタツヤくん。
「塩を舐めたら次に自分のコップの水を飲んでください」
これが火時丸流の禊らしい。
一時的だけれど身を清めて守られている状態になるとか。
「これでみんなは清められたので、悪いものが取れ、さらにはしばらく憑かれなくなります」
私がそう告げた途端、ぽとっと音を立てて蛇が床に落ちた。
「!」
そちらを見ないように気をつけながらも心でガッツポーズを取る。
蛇はチロチロと舌を寧々ちゃんに向けているけど、不思議と再び巻きつくことはない。
「すごい、本当に体軽くなったかも」
「マジかよー」
見えないながらも何かを感じていたのか、寧々ちゃんは手負蛇に憑かれていた腕を回して笑う。
よし、第一段階は突破だ。
「じゃあみんな安全な状態になったところで怪談大会始めようか」
天気の良い昼過ぎ、窓を全開にして電気もつけている部屋は煌々と明るい。
そこでお菓子やジュースを囲みながら、時折笑い話なんかも混ぜて怖い話をお互い語り合う。
後半はほとんど雑談会のようになっていたけれど、夕方になる前に一応の終了宣言をしておく。
「じゃあ怪談大会終わりね! 最もメンバーを怖がらせた話をしてくれた優勝者を発表します」
「嘘だろこの大会勝ち負けとかあったのかよ!」
だったらもっと用意して来たのに! と本気で悔しがってくれるタツヤくん。
ごめんね、この勝負出来レースなの。
「優勝は——寧々ちゃん!」
「えっあたし!?」
本気で驚いてる。
寧々ちゃんが披露したのはみんなが知っているようなのっぺらぼうの話や国民的アニメの都市伝説。
こんなおふざけの会ですら優勝は怪しいレベルだったけど、彼女には優勝賞品を受け取ってもらわなければいけない。
「優勝者にはこれ、手鏡をプレゼントです!」
「て、手鏡?」
さすがに怪訝な表情の寧々ちゃん。
そんな顔しないで、私も鏡が賞品の会なんて聞いたことないよ。
「あっこれ高いやつじゃない」
すぐさま面差しは明るくなる。
手鏡の装飾は女子大生なら誰もが憧れるハイブランドのもの。
手鏡だから大した金額ではないんだけど、結構お洒落に仕上がっている。
「これ俺や火時丸が優勝してても手鏡だったんか……?」
タツヤくん、本当にごめんなさい。
それからはタツヤくん発案で駅前の居酒屋へ移動。
普通の飲み会をして夜にお開きとなった。
「あれ、寧々ちゃん」
会計時思わず声が漏れてしまい、慌てて口を塞ぐ。
「なーに?」
ほろ酔いで上機嫌に振り返る寧々ちゃんの側に、もう手負蛇の姿はない。
私は背筋が冷たくなるのを感じた。
こうなることは分かっていたけれど。でも、
「気にしない方がいい」
帰り際、ぼそっと火時丸くんが囁く。
呪詛返し。人を呪わば穴二つ。
「俺たちは彼女に手鏡を渡しただけだ」
夜風に吹かれ、濡羽色の彼の瞳が微かに眇められる。
視線の先には酔ったタツヤくんを介抱する寧々ちゃんの姿。
「呪詛返しって、された人はどうなるの」
あの手鏡は神社の手水社の水で清めたもの。
鏡は光を跳ね返すほかに、悪意や呪詛も向けてきた相手へ返すらしい。
「恐らく術師は蛇を生きたまま傷つけ、呪いの媒介とした。絵本百物語を知っていて手負蛇を作ろうとしたのか、偶然似たものになったのかは分からない。とにかく蛇の怨念と自身の恨みが混ざり合って、アレができた。それが返ってくるだけだ」
蛇は生命力が強い。
深い傷を負いながら苦しんで手負蛇となり、術師の思惑通り寧々ちゃんに取り憑いた。
「手負蛇は自分を傷つけた者より、自分を恐れた者に害なす存在なんだ。呪われたのは彼女だけど、演劇サークルでより大きい恐怖心を抱いていた人に怪我を負わせた」
「待って、手負蛇ってその絵本百物語に出てくる創作された妖怪みたいなものでしょ? なぜ呪いが手負蛇の性質を受け継いでるの?」
私の問いかけに、火時丸くんは自身の腕を指さした。
「人間の思いの力というのは鹿角さんが考えるより強いんだ。江戸時代から手負蛇という概念を多くの人が知り、信じる人もいた。するといつの間にか『手負蛇』という存在が輪郭を得て、傷つけられた現実の蛇と融合した。君も見ただろう、彼女の腕から蛇が取れたのは塩を舐めた時じゃなく、鹿角さんが『清められた』と宣言したタイミングだ」
言われてハッとした。
塩を舐めて水を飲むという火時丸流の禊。
『これでみんなは清められたので、一時的ですが悪いものが取れ、さらにはしばらく憑かれなくなります』
蛇が落ちたのは、寧々ちゃんが儀式を終えた時でなく確かに私がこのセリフを告げてから。