手負蛇④
『彼女が呪われたかどうかは分からない。手練れの術師でもない限り、呪詛は対象以外を呪ってしまうこともあるから。調べてみなければいけない』
「私に何かできることはある?」
知り合ってまだ日は浅いけど、寧々ちゃんが人から恨まれるような子だとは思わない。
それなのに呪詛を受けるなんて理不尽だし、来月には主演の演劇だってあるのに。
『……本当に君は』
火時丸くんの言葉はため息混じりだった。
何か言いかけたけれど、彼はぽつぽつ指示を出してくれる。
寧々ちゃんの周辺人物で誰が呪詛をかけているのか。呪詛の影響は現在出ているのか。
これはゼミの中では一番仲の良い私にしか調べられないこと。
電話を切り、私は急いでメッセージアプリを起動した。
数日後、私の自宅に火時丸くんが現れた。
互いの家の中間地点は大学なのだけど、トークテーマが呪いの会話を大学前のカフェで話す勇気はない。
堂々と人前で話せるものでもないし。
更にこの後やることもあるので、わざわざ私の家まで来てもらった。
「よく片付いてるな」
感心したように火時丸くんが我が家を見回す。
「そりゃもう、家にまで幽霊が出たらやってられないもん。死ぬ気で掃除したんだ」
私が日々の生活を送る家賃七万円の学生マンションは入居以来今が一番片付いている。
部屋の隅のホコリ一つ許していないし、棚の上に飾っているぬいぐるみも全部洗濯し直し、ベッドメイキングも完璧。
ぴかぴかの状態であっても、六畳一間のこの部屋に大豪邸住みの火時丸くんの来訪は少々恥ずかしい。
「エレベーターを降りた廊下の奥に女がいた」
「あ、やっぱり? 昨日一瞬足だけ見えた気がしてたんだけど、本当にいたんだ」
お茶を出しながら白いローテーブルの一辺に座る。
勘づいてはいたけど、火時丸くんは私よりもはっきり怪異を見られるらしい。
これからエレベーターじゃなくて階段使おう……。
「それで呪詛の影響なんだけど、怪しいのが何件かあったみたい」
テーブルの向こうで行儀良く正座している青年の目が光る。
「寧々ちゃん曰く、夏休み前に今度の劇の脚本担当のOBさんが先週車の玉突き事故で軽い鞭打ちになったんだって。あとはサークルメンバーの照明担当の男の子が階段から落ちて足の指の骨を折ったらしい」
大きな事故はこれら二件。
他にも、大道具係の同期がハンマーで指を打って包帯を巻いているとか、演者の女の子が稽古中に転んで右腕を痛めたとか、怪我人が相次いでいるのだという。
寧々ちゃん本人も一昨日アルバイト中のミスで指を切ってしまったそうだ。
火時丸くんは長い指を顎に当てて思案するように聞いていて、ようやく口を開いた。
「かなり強く影響が出ているな。それに呪詛をかけた相手はその演劇サークルにそうだ」
「そうなの。寧々ちゃんの家族や他の友達には何もないらしいから、私も爆心地はサークルだと思う」
「それだけ事故や怪我が続いて、サークルの方は大丈夫なのか?」
「それが……逆に盛り上がっちゃったみたい」
「盛り上がった?」
「うん、その劇のテーマが偶然にも心霊らしくて、本物が出たってサークルメンバーみんな浮き足立ってるらしい」
「……」
呆れた表情の火時丸くん。
まあ、大学生は怖いもの知らずだし少し気持ちも分かるかな。幸い今のところ大怪我もないみたいだし。
「放っておくのはまずい。大事になる前に対処した方がいい」
「そうだね、でも肝心の呪詛をかけた人っていうのは分からなかった」
実は私は、寧々ちゃんに無理を言って実際のサークル活動を見学させてもらったのだ。
現場は主演の寧々ちゃんを中心に和気藹々としていて、怖がっているのは怪我をした人だけのようだった。
寧々ちゃん以外のメンバーも少なくとも表面上は特に仲が悪いようにも見えず、ごく普通のインカレサークルに見えた。
蛇は未だに寧々ちゃんだけの後を尾けていて、他に憑かれている人はいなかった。
でも、
「寧々ちゃんもみんなから好かれてる感じで、特に脚本のOBさんに可愛がられてたかな」
軽いとはいえ鞭打ちになりながらも稽古に参加していたOBさんは、かなり熱心に寧々ちゃんに指導をしていた。
寧々ちゃんも何度も台本にメモを取ったり休憩時間も自分のセリフを反芻したりと、劇に対して本気なのが窺えた。
「そうか、せめて相手が分かれば呪詛をやめるよう説得できると思ったけど無理そうだな」
「それじゃあ私たちができる対策は」
「呪詛返ししかない」
拝み屋は冷然と言い放った。
呪詛返し。
読んで字の如く人の災いを祈る呪詛を、かけた本人に返すこと。
「人を呪わば穴二つ。呪詛というものは多大なリスクを背負って行うものだ。術者本人も分かっているだろう」
火時丸くんによると、呪詛というものは素人が簡単に手を出していいものではないという。
今回のように、手負蛇が憑いているのは寧々ちゃんなのに、強い影響は周囲の人に出ている。
それに呪詛返しされなかったとて、呪いが対象に上手くかからなかった場合、呪詛は真っ直ぐ自分に降りかかって来る。
一度実行されてしまった呪詛は、誰かを呪い尽くすまで消えることもない。
「死人が出たら取り返しのつかないことになる。今から儀式をしよう」
火時丸くんが宣言した時、インターホンが鳴った。