手負蛇③
翌日。
「スモモお待たせ〜」
待ち合わせ場所に現れたのは浴衣姿の寧々ちゃんだ。
全員で集まるより先に二人で合流しておこうと連絡をとっておいたので、ゆっくり二人でお話しできる。
「熱中症大丈夫だった? 火時丸くんも帰っちゃったしタツヤめっちゃ大変そうだったよ」
早速笑いながら私たちが離脱した後のゼミ合宿の様子を教えてくれる。
「心配かけてごめんね、もう大丈夫! でもまさか火時丸くんも体調崩すなんてねー」
本当は火時丸くんは安全のため私を東京まで送り届けてくれただけ……嘘をつくのは忍びないけど仕方ない。
集合したらタツヤくんにも謝らなきゃ。
カラカラと私たちの下駄が音を鳴らし、通りを歩いていく。
時刻は十六時半。
まだ空は明るいけれど、道沿いには露店が並び浴衣や甚平を来た人たちが辺りを埋め尽くしている。
寧々ちゃんが着ているのは白地に青の椿が咲くレトロなデザインの浴衣で、アップにした髪を菫色のリボンでまとめている髪型とよく合っていた。
私も実家のお母さんからもらった黄色地に朱色の朝顔柄の浴衣を着ているけれど、少し子供っぽすぎたかなあと袂をちらちら見てしまう。
「その浴衣スモモのパーソナルカラーに合っててすごくいいよ、肌も明るく見えるし」
私の考えを察したのか、寧々ちゃんは適切に称賛してくれた。
「わっ、嬉しいありがとう、パーソナルカラーとか詳しいんだね?」
「あたし演劇サークルの衣装係でさ、ちょこちょこファッション勉強してるのよ」
聞けば寧々ちゃんはうちの大学と他大学合同のインカレ演劇サークルに所属しており、一年生の頃から衣装担当として活動していたらしい。
アルバイト先もアパレル系を選ぶ徹底ぶりで、かなり熱中しているみたい。
「それでそんなにお洒落なんだね。そのリボン編み込みのお団子なんて、私構造さえ理解できない自信ある」
繁々と菫色のリボンを観察しながら呟くと、
「これね、初めて劇で主演を務めることになった記念に仲良いサークルのメンバーが買ってがくれたの」
「え、主演?」
リボンの話よりそっちが気になってしまった。
聞けば、一ヶ月後上演が決まっている劇で衣装係ながら主演に抜擢されたという。
すでに脚本家として活躍するサークルOBが書き下ろした劇の主演は、オーディション形式で選ばれるはずだった。
でも脚本を担当したOBがオーディション見学中の寧々ちゃんに目をつけ、演技をやらせてみたらしい。
すると寧々ちゃんの演技は主役のイメージにぴったりで、まさしく大抜擢となったのだ。
役柄でも浴衣を着るらしく、リボンは衣装に合うよう仲の良いサークルメンバーがお金を出し合って贈ってくれたらしい。
確かによく見ると生地も滑らかな上細かな刺繍も施してあって、高価なリボンだということが分かった。
「すごーい! 演技の才能もあったんだね」
「元々演者の経験がないから稽古も大変だけどね」
困り顔を浮かべながらも、寧々ちゃんはどこか誇らしげだ。
「おっ、スモモちゃんに寧々ちゃんじゃんっ!」
ゼミ同期全体の待ち合わせ場所ではタツヤくんが満面の笑みで迎えてくれた。
すでにゼミ同期は全員集まっていて、火時丸くんもいる。
彼も含め男性陣はみんな私服で女子学生は浴衣。
火時丸くんが浴衣を着たら似合いそうなのになあ、ちょっと残念。
挨拶も早々に、私たちは花火の場所取りのため浦波川河川敷に沿って歩みを進めた。
始めこそ私と火時丸くんがタツヤくんへ謝罪するという珍妙な事態もあったものの、快く笑い飛ばしてくれたタツヤくんのお陰ですぐ和やかな空気になる。
「火時丸くん本当に来てくれたんだね」
「約束したからな」
みんなでチョコバナナの露店に並んでいる時こそっと声をかけると、ぶっきらぼうな返事。
私が思った通り、男女ともに火時丸くんに話しかけていて、上手いこと仲良くなれそう。
ほとんどの女子は下心がありそうだけど。
「うし、この辺にすっか」
タツヤくんの一声で河川敷の斜面にレジャーシートを敷き、みんな思い思いに食べ物や飲み物を買ってくる。
私は露店の焼きそばと強めの酎ハイ缶を両手に同期との会話を楽しみ、気がつけば帷も落ちて花火大会の開催時刻になった。
「うわぁ、綺麗!」
光の筋が空へ高く上がっていき、大輪の花火が咲く。
人々で埋まった河川敷は歓声でどよめき、しっかり者の寧々ちゃんも子供のようにはしゃぐほど。
赤、青、金色、激しく明滅するものや柳のように繊細に煌めくもの、大小様々な花火を見ていると胸が踊る。
私はしばらく魅入っていたが、ふと何かの気配を感じて手元へ視線を落とした。
「あ」
小さく声をあげ、それが誰にも気づかれていないことを確認する。
蛇だ。
60センチくらいだろうか。
黒い蛇が地を這い、チロチロと舌を出し入れしながら寧々ちゃんの手に巻きついている。
蛇の体は所々骨が見えるほど肉が抉れていたり、胴体のところなんて十センチ近く骨だけでにょろにょろ動いているところもある。
蛇は生命力が強いって聞いたことはあるけど、それにしても。
「…………」
慌てて火時丸くんの方を見ると彼もこちらを見ていて、目が合い頷く。
やっぱり、怪異だ。
蛇が触れている寧々ちゃんが気づかないのはおかしい。
同期たちも周囲の人たちも花火に夢中だけど、これだけ人が密集しているのに大きな蛇がいたら大騒ぎになるはず。なのに誰も反応しない。
心臓が異常に速く脈打ち、嫌な汗が背中を濡らす。
落ち着け、恐怖を感じちゃいけない、私がこれを視ていることを悟られちゃいけない。
必死に言い聞かせて、深呼吸。
「どうしよう?」
火時丸くんに目線で訴えた。
彼は少しの間を置いて、何やらスマホに打ち込む。
同時に私にメッセージが届いた。
『今すぐどうこうなるものじゃない。しばらく様子見だ』
それからはちらちらと視界の隅に入るぼろぼろの蛇が気になって仕方がなく、花火どころではなかった。
「来てよかったー、綺麗だったね」
全ての花火が打ち上がり、花火大会終了のアナウンスと共に段々と引き上げが始まる。
笑顔でどの花火がすごかったとか話す寧々ちゃんはいたっていつも通り。
私がいしも様に憑かれた時のように気分悪そうにしているような感じはしない。
でも、立ち上がった彼女の後を一定の距離を置いて蛇がついていく。
暗闇に紛れ、時折見失ってしまうくらいか弱く見えるけど、改札でも帰りの電車でもそれは寧々ちゃんの側にいた。
明るいところで見ると、傷ついている部分がグロテスクすぎて目を背けたくなるほど。
「また集まろうね!」
同期たちに手を振り、電車を降りて一人になると私はすぐさま先に降車していた火時丸くんに電話をかけた。
彼はまるで連絡を待っていたかのようにすぐ応答する。
「あの、あれは何?」
開口一番尋ねると、
『見た目からして手負蛇だと思う』
と即答された。
「手負蛇……?」
『絵本百物語っていう江戸時代の本に載っている蛇の妖怪のようなもののはずなんだが……』
祟り神の次は妖怪ときたか。
「はずなんだが?」
『あれは妖怪とも違うな——呪いだと思う』
「寧々ちゃんが呪われてるってこと?」
呪いと言われて想像するのは、白い服を着た女が藁人形を木に打ち付ける丑の刻参り。
私の知識はそんなものだけど、呪いということはつまり。
生きている人間が背後にいる。
そう考えただけで、これまでとは種類の違う不気味さが込み上げてきた。