手負蛇②
「あの、思い込みで薬が効いたり病気が治るプラシーボ効果?」
「ああ」
呆気に取られる私をよそに、火時丸くんは淡々と語り始めた。
「怪異を相手に一番重要なことは、怪異を恐れないこと、同情や共感をしないこと」
「待って待って、もしかしてその『恐れない』ために特に効き目のないお守りを渡したってこと?」
「その通り」
嘘ぉ、私これ握りしめて寝たりしてた……。
「前回いしも様の考察をしていた時、鹿角さんはしっかりいしも様の境遇に同情してただろ。奴らはそういう同情や共感の気持ちに付け込んでくる。せめて恐怖心は抱かないようにとお守りを渡した」
自慢じゃないけど私は映画ですぐ泣くタイプだ。
この一週間で見てきた色々なものに同情し、ちょっと泣いたりもした。
ただ火時丸くんがくれたお守りがあるから大丈夫だと、恐怖に怯えることは確かになかったと思う。
「でも今日種明かしをしたってことは、怖くならないような心構えを教えてくれるってこと?」
「そうなる。ただそれより先にこの火時丸家について少し説明しないといけない」
「火時丸家について?」
首肯し、火時丸菖太くんは続ける。
「火時丸家の始まりは平安時代とも鎌倉時代とも言われている。初代は妖と交わった巫女の産んだ子だとされ、汚らわしい一族とされていた」
しかし妖の力を受け継いだ火時丸家は蔑まれながらも、その特殊な能力で妖退治や祈祷に重宝された。
一族は拡大して行き、当時の日本で主流だった陰陽道や神道、大陸から伝来してきた仏教等様々な宗教の要素を吸収し、独自の方術を構築していった。
その頃には火時丸家は拝み屋として名を馳せ、神職や僧職ではないものの人々から助けを乞われる存在となった。
「この話は妖との混血であるとか特殊能力とか、序盤から眉唾物だ。僕もあまり信じていない。だけどうちはその背景からどこの宗派にも属していない。これから教えることはかなり特殊なものになる」
「もしかして幽霊と対話するのに煙草吸ったりする?」
いしも様から助けてもらった時、鼻腔をくすぐった不自然な煙草の匂い。
「ああ、我が家は煙草や酒、僕の姉なんかは化粧も使うと言っていた」
私の想像していたお祓いや祈祷とはかけ離れた回答。
お坊さんや霊能力者が読経して霊が苦しみつつ祓われていく——心霊特番で見ていたものとは違う。
「火時丸くんって煙草吸うっけ」
聞いて、この子まだ十九歳じゃないか?と疑う。
「普段は吸わないけど、仕事の時だけ吸う」
「未成年喫煙じゃん」
「仕事道具だから大目に見て欲しい……」
ちょっと動揺した様子の火時丸くん。
ふざけて言ってみただけだけれど、レアな姿を見られた。
「要するに、火時丸家独自のやり方で仕事をしているということを分かってもらいたかっただけだ」
咳払いして居住まいを正す青年。
「なるほど。あのお弟子さんみたいなたちもその火時丸流の修行をしてるってこと?」
「彼らは実際の弟子さんたちだ」
住み込みで火時丸流の術を学んでいる人もいれば、通いで来ている人もいるという。
「それで、さっき言ってた恐怖心を抱かない方法っていうのは?」
「恐怖の対象に慣れること」
「さいですか」
まあ、恐怖心ってかなり本能的な気持ちのコントロールだもんね。
本能まで制御できる道具や薬なんて聞いたことがないし。
「でも慣れるってどうすればいい?幽霊がいたら注視するとか?」
「そんなことをしたら見えてることが相手にバレて憑かれる。いしも様の二の舞だ」
「じゃあどうしたら?」
「毎日最低でもホラー映画を一本観る」
「ええっ」
大学生って意外と忙しい。
学校に部活、バイト、遊びでスケジュールはきつきつだ。
映画一本だって一時間半は時間取るからなあ。
それに、そもそも苦手なホラーを毎日観るというのも苦行だし。
微妙な表情を前面に出した私に、火時丸くんは真顔で息をついた。
「ホラー映像であれば短編作品が動画投稿サイトに載っていたりするし、恐怖心を煽るような内容ならゲームをプレイしたり漫画や小説を読むのでもいい。とにかく日常的に恐怖に触れて、慣れるんだ」
「ふむ、短い作品ならサクッと観られるかも。それにゲームなら趣味でよくやるしホラーゲームにも手を出してみようかな」
趣味の延長だと思えばなんとかやれるかもしれない。
「あとは僕の仕事の手伝いで場数を踏んでいけば嫌でも慣れていく。同情や共感に関してはコントロールの効く感情だから、それは普段から心掛けて」
「恐怖心とか同情とか、気持ちってそんなに重要なんだね。もっと霊力〜!とか何か超能力みたいなものがモノをいう世界なのかと思ってた」
「職業として怪異と関わる人間は霊力の強さの話になってくる。でも鹿角さんはあくまでも一般人だ。自分が害を受けないよう護身術だけ学べばいい」
「剣道でいうなら、相手の打撃を食らわないように上手く受け流すための術って感じなんだね」
「鹿角さん剣道経験者だったのか」
澄んだ両目が僅かに丸くなる。
「意外だ」
「そうなの、テニス部にいそうってよく言われるの。中高からなんとなく続けてるだけで別に強くもなんともないんだけどね」
自虐的に話すと、
「適度な運動をして健康でいることも大切だし、続けているだけすごいと思う」
真剣な答えが返ってきて、心がくすぐったくなる。
強くないならどうして続けるの? と聞かれることの方が多いから、素直に褒められるのは初めてだ。
「ところで気になってたんだけど——」
言いかけたタイミングで、私と火時丸くん両方のスマホが同時に通知音を発した。
確認すると、先日のフィールドワーク合宿中に作った智森ゼミ同期のメッセージグループが動いている。
発信元は私たちと同じ班だったタツヤくんだった。
「明日の浦波川花火大会行けるやつは行こーぜ!」
文面を読み上げて顔を上げると、火時丸くんは更に続くメッセージに目を落としていた。
浦波川は私たちの大学近くを流れる一級河川で、毎年夏になると花火大会が開催される。
テレビで中継されたりするそこそこ有名なお祭りだ。
誘いをグループに送る前にタツヤくんは他の同期に話を通しておいたらしく、彼のメッセージの直後には二、三人が「いいね、行く!」なんてコメントしている。
中には私が仲良くなりたい同期ナンバーワンの寧々ちゃんもいた。
明日はちょうど部活もバイトもない、家でゴロゴロする予定の日だ。
「楽しそうだね! 火時丸くんは明日予定あるの?」
「いや、特にないけど……」
何やら口籠もる。
「僕みたいな人間が行ってもつまらないんじゃないか?」
卑下するとかでなく、彼は本気でそう考えているように無表情で言ってのけた。
「火時丸くんがいたら私は絶対楽しいよ、行こうよ!」
思わず即答してしまう。
今までの経験上、楽しくなかった花火大会などない。
少し話しただけの私が火時丸くんを親切ないい人だと思っているんだから、みんなも一緒に出かければ彼の良さを分かるはず。
それに大学生にもなって大人しい子を嫌うような子供っぽい性格の人もいないだろう。
「でも」
「夜に出かけるの今でもちょっと怖いから、火時丸くんがいてくれたら私も心強いし! 一緒に来て欲しいの、お願い!」
半分本音である。
単純に来てくれたら嬉しいだけだけど、頼み事にすれば……。
「……分かった。確かに夜は危険だ」
やっぱり優しいから承諾してくれた。
「やったーありがとう! じゃあ行くって返信しておいてねっ」
火時丸くんも寧々ちゃんも参加するなんて楽しみだ。タツヤくんにもグループワークを途中離脱したことを謝りたかったし。
「失礼します。菖太さん、お仕事のご依頼がありました」
障子の向こう側にお弟子さんが現れた。
「承知しました。いつもの場所へお通ししてください。悪い、急用ができた」
「ううん大丈夫、また明日話そう」
「ああ。心身の健康の保持とホラー映画鑑賞、あとは部屋も綺麗にしておいて」
一気に今日の宿題をまとめられる。
なんで私の部屋が汚いって分かるんだろ。
別れの挨拶を交わし、私は上機嫌に火時丸邸を後にした。
軽い気持ちで参加を決めた花火大会で、再び怪異に遭遇することも知らずに。