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いしも様③


 昨夜変な女を見て、今日は体調不良。

 蛇口を(ひね)ったら泥水が出てきて、タツヤくんの振りをした女が民宿に来襲した。と思えば火時丸くんに風呂に投げ入れられ、女はいなくなった。


「そうですね、何から話したらいいのやら」


 最初に返事をしたのは智森先生だ。


 今に至るまでの理解が異様に早かったけど、先生と火時丸くんはどんな関係なんだろう?


 私の考えを察したように先生は語り出す。


「私は長年国内の民俗学の研究を続けて来ました。民俗学の中にもさまざまなジャンルや切り口がありますが、私は怪異についても調査をしているんです。それで火時丸くんの一族の方と懇意(こんい)になってね」


「怪異……?」


 そういえば先生の著作の中に日本の怪異について論じたものがあった気がする。


 でも、それと火時丸くんが繋がるってどういうこと?


(にわ)かに信じがたいかもしれませんが、火時丸家は古来怪異の専門家、所謂(いわゆる)祈祷師(きとうし)(おが)み屋として名を刻んで来た一族なんです。幽霊、妖怪、怪異——現代科学では解明できない未知の存在をあなたも目撃したでしょう。火時丸家はそれらへの対処に長けた家系なのです。そうして知り合った彼に、うちの大学への入学を進めたのも私なんですよ」


 早くも私の理解を超えた話だ。


 しかもゼミ同期の火時丸くんが拝み屋の家系?


 浮世離(うきよばな)れした雰囲気を(まと)う、端正(たんせい)な顔立ちの青年。


 昔プレイしたゲームキャラの陰陽師(おんみょうじ)みたいな服装は確かに似合いそうだけれども。


 普通なら信じられないような眉唾(まゆつば)話。しかし、私は本当に人智を超えたものをこの目で見て、経験した。


 私に陰陽師衣装を妄想されてるとも知らず、眉目秀麗(びもくしゅうれい)な同級生は息をつく。


「僕と智森先生の関係は今の話の通りだ。先生の(すす)めでこの大学に入り、怪異について体系的に学んでみようとこのゼミを選んだ。——それで今回のことだけど、結論から伝えると鹿角さんは『いしも様』に()かれた」


「……やっぱり、あれはいしも様だったんだ」


 おじいさんの話してくれたいしも様は川に流されて死んだ女性だという。

 見たのは頭だけだったけれど、あれは髪が濡れていた。


 それにさっき火時丸くんが私を浴槽に沈めたのも、おじいさんの話にあったいしも様を見てしまった時の対策と一致する。


「ああ、昨日グループワークでいしも様の(ほこら)に行ったところまでは問題なかったんだけど、どうやらそこで僕に目をつけたらしい」


 最初いしも様は霊力のある火時丸くんに興味を持ち、私たちについて民宿まで来てしまったそうだ。


 だが民宿には火時丸くんが先に結界を張っていたらしい。彼女は中に入れず、窓の外から火時丸くんを観察していた。


「その姿を偶然、君が見てしまったんだ」


「待って、私今まで霊とかお化けとか見たことないよ。霊感っていうのもたぶんゼロだと思う」


「君の言葉でいう霊感というものを僕の家ではよく周波数に例える。ラジオの周波数を調節したら電波を受信するように、些細(ささい)なことがきっかけで君といしも様の周波数が合ってしまったんだろう」


 そして私が悲鳴をあげたせいで、いしも様は鹿角寿桃(ろっかくすもも)という人間が自身を視認できることに気づいてしまった。


 いしも様は自分が興味を持った人間、とりわけ子供を取り殺してしまう存在。


 この村は過疎化が進んでここ数十年子供がいない。大人の私も彼女のお眼鏡に(かな)ってしまった。


「あの民宿には結界があるからあいつは中に入れない。それに鹿角さん本人が健康的な大人で子供と比べて体力もあるから、あいつは悪夢を見せたり高熱を出させたとしても、命までは取れないと僕は多寡(たか)をくくっていた。だが僕の想像を超えて、あいつは本気で鹿角さんを殺しに来た」


 今日の夕方、火時丸くんの想定通り私は少しずつ回復していた。

 それを見ていたいしも様は(から)め手で私を捕まえようとした。


 それが、タツヤくんの声真似をして結界の中から私を外に出そうというものだったらしい。


 思惑通りにはいかず、私はタツヤくんの声が偽物だと勘づいて扉を開けなかったため彼女は力技で結界の破壊を試みた。


 火時丸くんは自分の結界が攻撃されているのに気づき、急いで駆けつけてくれたのだという。


 車は真っ暗な畦道(あぜみち)を走り抜け、大きな道路に出た。段々と周りを走る車も増えてくる。


 もうすぐ駅だ。


 安心感から私はずっと気になっていたことを尋ねた。


「その、いしも様は火時丸くんが(はら)ってくれたんだよね……?」


 詳細は分からないけれど、あの煙草の匂いが関係しているのだろう。


『いしも様は祓われた』という淡い期待はいとも簡単に打ち砕かれる。


「いや、まだ鹿角さんを見てるよ」


 隣にいる火時丸くんはまっすぐ私を見つめた。


 その瞳には私でない何かが見えているようで、思わず辺りを見回してしまう。


 あの頭だけの女はどこにもいないのに、心臓を掴まれたような恐怖に背筋が(こお)る。


「いしも様はあの村の(たた)り神のようなものだから、村から離れれば影響力は薄くなる。僕がやったのは彼女と対話をして、君から注意を逸らしただけだ」


「だから急いで村を出ろって言ったんだね」


 膝の上で握りしめた拳が震えている。


「もうこの村には来ない方がいい。近づくのも危ないくらいだから」


「いしも様って結局なんだったの? 昔事故で亡くなって子供を狙うようになった悪霊?」


 恐怖から気を(まぎ)らわすように新たな話題を投げかけてみる。


「君たちが村のおじいさんから聞いたといういしも様の伝説、それ自体が間違って伝わったものなのだと思いますよ」


 運転席から智森先生の穏やかな声が響く。


「『いしも』という言葉は恐らく『鬼子母(きしも)』が(なま)ったものでしょう。鹿角さん、僕の授業で鬼子母神(きしぼじん)の説明をしたのを覚えていますか?」


「えっと、鬼子母神は仏教の天部の一人ですよね。子供を守護する存在で……元は子供を(さら)って食べてしまう恐ろしいものだったけど、釈迦(シャカ)の説教を受けて子供を守護するようになったとか」


「ええその通りです。村の子供を守護してくれるから鬼子母(きしも)様——いしも様、という名称になったのだと推測できますが、それならば日本ではポピュラーな子供の守り神である地蔵菩薩(じぞうぼさつ)に関連した名前の方が分かりやすいでしょう。それでも()えて鬼子母神に関連した名前をつけたのは、彼女が子供に害なす部分に焦点を当てたから」


「伝説にあった、いしも様にお参りすると子供が健やかに成長するっていうのが嘘ってことですか?」


「はい。それは後世の人が理解しやすく、村にとって都合の良い解釈(かいしゃく)をするための後付けでしょう」


 日本民俗学の権威は、朗々といしも様の考察を説いていく。


「夫という防波堤を亡くし、子供を一人で育てていた彼女は人柱(ひとばしら)にされたのだろうと思います。単なる事故で死んだのであれば、これほど村の人を憎むことはないでしょうから。伝説の途中で彼女の子供が一切登場しなくなるのに気づいていましたか? 愛した夫の忘れ形見である幼い子供を人質に取られ、彼女は川の氾濫(はんらん)(しず)める人柱になることを強要されたのです」


「そんな、ひどい……」


 口を(おお)い、いしも様に見せられた悪夢を思い出した。


 暗い濁流(だくりゅう)にのまれ、死に(ひん)しながらも憎悪を(たぎ)らせている夢。


 あれは子を奪われ、村人の策略で命を奪われたいしも様の記憶だったのだろうか。


「人柱を立てねばいけないほどの状況です。脅迫に使われた子供の命もまた、絶望的だったでしょう。彼女は自身と子を殺した村人を憎み、文字通り復讐の鬼となったのです」


 いしも様は村の子供を狙い呪うようになったが、唯一自身の死に結びついた水辺だけは苦手としていた。


 それが目撃した際の対策として知られるようになった。


「祟りをなす存在を神として(まつ)りあげてしまう。日本ではよくあることです。村人たちは子供に害なす彼女を子供の守護神とし、あの山に祠を建てました」


「実際神様になってからは多少の自覚も芽生えたのか、被害も減ったみたいですね」


 火時丸くんも(うなず)く。


「それでも今回みたいに自分を見た人を祟るってことは、いしも様の怒りはまだ収まってないんだよね?」


「まだ恨みは残っている。でも、今あの村に住んでいる人たちは祖先がした残酷な所業なんて知らずに生涯を終えるだろう。過疎化が進んで老人も多いみたいだし、近い将来あの村は消える」


 窓へ(ひたい)を寄せ、流れ行く照明灯を見送る火時丸くん。


 あの村から人がいなくなった時、いしも様はどうなるのだろう。


「さあ着きましたよ。この車も村の人から無理言って借りたものですし、安部くんには私からフォローしておきますから、お気をつけて」


「ん? 火時丸くんは戻らないの?」


 駅に着き、車から荷物を下ろすとすぐ先生は民宿へ戻ってしまった。


 私と火時丸くんを置いて。


「電車の中で襲われる可能性だってあるだろ、ここまで来たら東京まで送る」


「そ、それは、ありがとう……」


 そこまでしてくれるなんて想像以上だったけど、正直心強い。


 そしてグループで一人残されたタツヤくんへの謝罪連絡を入れようと決める。


 二両しかないローカル線に乗り込み、鉄と鉄の擦れる大きな音を立てて電車は出発した。


 ここから県内のターミナル駅まで数十分、乗り換えて東京まで快速で一本だ。

 電車が村から遠ざかっていくにつれ、どんどん体が軽くなる感覚がした。


 車窓から(のぞ)む景色に明かりが増え、建物が高くなっていく。

 二人きりになっても無口な火時丸くんと、疲れ切った私はしばらく無言で過ごしていた。


 もうすぐ乗り換え駅。


 そんな折、私はずっと黙っていたことを我慢できずに口にする。


「あのさ、火時丸くん」


「何?」


「もしかしたら迷惑になるかもしれないんだけど」


「……」


「あの宿を出てきた時から、今もずっと」


 声が震える。


 泣きそうになりながら視線を上げると、火時丸くんの()いだ表情が目に入った。


 長いまつ毛が(しばた)く。


「ずっと()えるの。“変なもの”が」


 そう、ずっと見えていた。


 村の田んぼの中に佇む片足のない女。


 信号待ちの車内を(のぞ)き込んできていた肌が灰色のおじさん。


 通過した駅のホームで呆然(ぼうぜん)と線路の前に立っていた下半身だけの少女。


「なんでなの? いしも様の件はもう終わったんじゃなかったの?」


 思わず火時丸くんの手を取って握りしめた。


 不安で不安で仕方がない。


 村から離れて体が軽くなっても、どんなに周りが明るくなっても、私には彼らの姿が視え続ける。


「そうか」


 火時丸くんは冷静さを保ったまま、何かを考え込むような仕草をとる。


 車内アナウンスが乗り換え駅の名前を宣言し始め、彼は私の手を握り返した。


「さっき周波数の話をしたの覚えてる?」


「うん」


「今回の件で鹿角さんは、怪異との周波数があったまま戻らなくなってしまったんだと思う」


「それって一生あんなのが視え続けるってこと!?」


「落ち着け、深呼吸して」


 周囲の目も(はばか)らず大声を出した私に、深く低い声が語りかける。


 民宿の時と同じだ。どんなにパニック状態でいても火時丸くんの指示は不思議と心に響く。


 言われるがまま深呼吸すると、少し気持ちが収まった。


「一生視え続けるかもしれないし、何かの拍子(ひょうし)にまた周波数が変わって視えなくなるかもしれない。それは僕にも分からない。ただ、視えている間は怪異に()うことも増えると思う」


「増える……? どうして」


「いしも様と同じだ。奴らは自分たちを知覚できる相手に寄ってくる性質がある」


「そんな、私どうしたらいいの」


 拝み屋の家に生まれた火時丸くんはいしも様と対話できたように、彼は彼らとの遭遇時の対処法を知っているのだろう。


 対する私は? 視えるだけ視えて、知識も何もない。そんなの格好の餌食(えじき)じゃない。


「——僕の家で修行するといい」


「へ?」


 彼からの返答は意図していなかったもので、間抜けな言葉が漏れた。


「修行?」


「怪異を見ても恐れないような心構えから簡単な対策術まで教える」


 さらさらした黒髪の美青年は、まるで当たり前のことのように言ってのけた。


「えっと、私奨学金(しょうがくきん)借りて学校通ってるくらい実家は庶民なんだけど、それバイト代で受講料足りるかな」


 唖然(あぜん)としつつも口をついて出たのは妙に現実的なことだった。


「金なんて取らない、火時丸家としてでなく僕が個人で教える」


「でもそんな手間取らせてプロの時間を使うのに」


 慌てふためく私と、なぜかむっとしている様子の火時丸くん。


「僕もまだ修行中の身で人から金を取れる立場じゃないんだ。それに今回は自分にいしも様が憑いて来ているのを知りながら放置していた僕の責任もある。……どうしても鹿角さんが申し訳ないと思うのなら、仕事の手伝いをしてくれ、アルバイト感覚で構わない」


 驚いているうちにすっかり涙は乾いていた。


「ちなみにそのバイトっていうのは」


「怪異関連の色々だ。依頼人からの相談対応、儀式の準備、実行、後片付けまで」


 いやそれプロとして仕事してるじゃん。とは言えない空気だった。


 ここでようやく手を握りあっている状態なのに気づき、急いで両手を(ひざ)に、背筋を正す。


 火時丸くんからの申し出は願ってもないことだ。


 浴槽に放り込まれた時に言ってくれた「大丈夫」という彼の言葉は、どれほど私を救ってくれただろう。


「それじゃ、元からやってるバイトと部活とゼミに(かぶ)らない日でよければ、よろしくお願いします」


(うけたまわ)りました」


 火時丸くんもまた丁寧に頭を下げた。


 同時に電車は乗り換え駅に到着。


 私たちは慌ただしく荷物を手に取り電車を降りる。

 発車ベルが鳴り響くホームで立ち止まると、駅員の背にぶら下がっている女が見えた。


「火時丸くん、本当にありがとう」


「ああ……」


 火時丸くんは背中で返事をして、再び歩み始めた。


 いしも様に襲われ、せっかくのフィールドワーク合宿を途中離脱したこの日。


 これが、私とこの世のものでない彼らとの縁が始まった日であった。


 そして、私鹿角寿桃(ろっかくすもも)はゼミ同期である無愛想な青年、火時丸菖太(かじまるしょうた)くんの元でアルバイトをすることになった。


 この日を境に、平凡な大学生であったはずの私は様々な怪異に遭遇(そうぐう)していくのである。


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