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第七話

 







 悩んでいた時間や気持ちなんてものは無意味だったと突きつけるように、きっと、案外あっさりと関係は終わる。


 ――――付き合った年月なんて関係がないのだ。同棲していたって意味がない。心が別のところにあるなら結局、一ヶ月も五年も同じである。

 


 なんとなく、何もやる気になれなかった。

 今日は、顔も見たくない、と酷い言葉を吐いてから初めての休日だ。しかしこれまでのように「今日は帰ってくるかもしれない」なんて淡い予感も持てないまま、ただぼんやりと一日を過ごす。

 もしかしたら、とか。そんなふうに思えたのは、帰ってくるだろうという確信がどこかにあったからだ。

(……でも、元彼の家に居るんなら帰ってくるわけもないし)

 今となっては、期待なんて微塵も持てない。


 いや、そもそも。

 俺は「期待」しているのだろうか。


 紗英さんに帰ってきてほしいと思っているのか。

 紗英さんとこれからも一緒に居たいと思っているのか。

 だから、早く帰ってきてほしいと「期待」なんてしまうのか。


(結局そのあたりもはっきりとしない……)

 

 

 とはいえ、俺が居ない間に荷物を、なんてことを言ってしまったために、極力家は空けないといけない。あんなことを言うんじゃなかったなと、今更ながらに少しだけ後悔した。


「あー。面倒くさい」

 本当に、何もかも。恋愛とか結婚とか。どうしてそんなことに振り回されないといけないのか。

 そんなふうに怒っている心の裏側、もしかしたらこのまま居れば、しっかりとした話し合いの席を設けられるのではないか、なんて、心のどこかでそんなことを思う。


 俺だって、酷いことを言った自覚はある。勢いのまま言葉を吐き出した。あえて傷つける言葉を選んだ。紗英さんが戸惑っているのを見ても、それにさえ腹が立ってエスカレートした。

 分かっている。今のままじゃいけないことくらい。

 だけど。


 ――それでも結局、紗英さんは今元彼の家に居て、どうせ俺ばかりがこんなことを考えているのだと思えば、そんな気持ちも一瞬でかき消された。









「あ! 大輔!」

 突然呼び止められたのは、マンションを出てすぐのところだった。

 これからについていろいろと思うところはあったものの――あんなことを言った手前、部屋に居辛いというのも事実であるため、出てきたのはつい先ほどである。

 次家に戻った時には荷物がなかったりして、なんてことを考えていた矢先。

 俺と目が合うと、その子は嬉しそうに駆け寄ってきた。

「……安祐美? 何してんの?」

 当然ながら、紗英さんと同棲を始める時に引越しをしたから、安祐美は今の俺の家を知らないはずである。

 なんでここに? と表情にも出ていたのか、安祐美は気まずそうに苦笑をもらした。

「友達がこのマンションなんだよねー。それで偶然」

「へえ、知らなかった」

「それよりさ! これから暇? 私さあ、今その友達にドタキャンくらって暇になったところなんだけど」

「あー……」

 暇、といえば暇だ。紗英さんも居ない。することもない。正直外に出ただけで、行くあてもなく、目的もない現状である。


 気を遣う必要もないはずだ。だって、紗英さんだって今頃元彼と楽しくやってる。勝手に自己完結して、勝手に家から出て行って……そうして、元彼の家に転がりこむなんて非常識なことまでやってのけた。そんな相手に、どうして俺が気を遣うのか。


「大輔? 行かないの?」

 ――――付き合っていた時には、たぶん結婚するんだろうなあと、なんとなくでも思っていた相手だ。一緒に居るのは楽だと、もう分かっている。何をすれば怒って、何をすれば笑うのか。何が嫌いで、何が好きか。把握しているからこそ、今の気分を晴らすにはもってこいの相手だということも分かる。

「……まあ、うん。少しなら」

「え! やった!」

 安祐美は嬉しそうに笑うと、こっちこっちと歩き出した。


 そういえば当時は、安祐美のこういう、子どものように無邪気なところに救われていた気がする。疲れた時にも、嫌なことがあっても、安祐美はいつも笑って聞き流してくれていた。

 同じ歳で、話も分かる。なんでも話せる。恋人だけどたまに友達みたいになって、一緒にはしゃぐことだってできる。

(……楽だなぁ)

 だって、何も考えなくていい。気を張る必要がない。――――追いつこうと、頑張らなくていい。



 安祐美の話に耳を傾けながら歩いて、連れられたのは、当時から安祐美が気に入っていたカフェだった。何年経っても結局ここなのかと呆れそうになるけど、当時と変わっていないなと思えばなんだか微笑ましい。


「それでねー、まだまだ段ボール片付かなくってさ」

「異動で戻ってきたの二ヶ月前とか言ってなかったっけ?」

「そう! でもちょっとねー、ほら、面倒くさいじゃん? もう二ヶ月も使ってなくて困らないなら、このまま段ボールごと捨てても問題ないかもって思えてきてさ」

「それは雑すぎるだろ」

「じゃあさ、大輔が手伝いに来てよ! 私より得意だったじゃん、片付け!」

 そのタイミングで、店員さんが注文した料理を運んできてくれた。


 そういえばここは、紗英さんとは来たことがない。今時の流行りを意識した、いわゆる「映える内装」なために、なんとなく紗英さんのイメージではなかったのだ。

 もしかしたら「入るのに勇気いるじゃんそこ」と拒否されるかもしれないなと。むしろそちらの可能性が高いと思えていたために、そもそも連れてくることすら考えてもいなかった。

(……けど、まあ普通にうまいし、軽く食べる程度なら……ああ、でも元カノと来たとことか嫌か……)

 と。そこまで考えて、思い出す。


 ――――紗英さんとはもう、別れる寸前なんだった。


「ねえ、聞いてる?」

「ん、ああ、なんだっけ」

「もー! うちの段ボール片付けるの手伝いに来てって言ったの! 大輔片付け上手いじゃん!」

「いや、俺は全部捨ててるだけだって」

「確かに。分別は下手だったよね」

「うるさい」

 というかそもそも、俺には今一応彼女が居るために、別の女の部屋に上がるなんてことはしない。それが元カノであれば尚更だ。疑われるのも嫌だし、俺も紗英さんもいい気分になんてならないと分かっている。


 紗英さんは、全く違う価値観があるようだけど……そんなことを思えば思うほど、自分が心底馬鹿らしい。


 俺はなんで、節操が無い相手にわざわざ気を遣っているのか。

 別にこのまま安祐美の家に行ったって、責められるいわれはないはずである。だって紗英さんは今元彼の家に居る。先にそんなことをしているのだから、俺だけが律儀に体裁を守る必要もない。

 このまま安祐美の家に行って泊まって帰ったって、紗英さんには何かを言う権利なんかないのだ。

 

 胸中が、モヤモヤと陰る。

 ほら、やっぱり俺ばっかり。なんて、思ってしまえば止まらない。

 紗英さんは滅多に甘えてもこない。どこか一線を引いたように接して、口を開けば「歳の差が」と別れる理由を探し始める。好きも言わない。手も繋ぎたがらない。何かにつけて「若くないから」と消極的になる。


 言い寄られて、断り文句も尽きたから仕方なく俺と付き合っていただけなんじゃないかと。そう考えてため息をつけば、ちょうど安祐美がガラス越しに外を見て、あ、と気の抜けた声を出した。


「あれ、大輔の彼女さんじゃない?」


 言われて、自分でも驚くほどに素早く視線がそちらに向いた。

 確かにそこには紗英さんが居た。だけど一人じゃない。例の元彼――風間課長も一緒だ。


「……ね、あれいいの? なんかいい雰囲気だけど……浮気じゃない?」

 休日に外でデートでもしているのか、雑貨屋の店頭にある商品を見ながら、二人で何かを話している。やがて風間課長の方が何かを見つけたのか、俺からは死角になって見えないところに笑顔で歩み出した。それに当然、紗英さんも慌ててついて行っている。

 ――――お似合いだと思う。それこそ、俺と並んで歩くよりずっと。

「……浮気なんじゃないの、知らないけど」

「え! 何それ、いいの? 同棲してるんでしょ?」

「いいわけないだろ。……もう別れそうだからって、あっちは開き直ってんだろうけど」

「……へえ、そうなんだ」

 安祐美が何かを考えるように、もう一度紗英さんの方に視線を移す。

「……そういえば、歳の差あるって言ってたっけ」

「五つな」

「そう、五歳。相手も疲れたんじゃないの? だってさっき一緒に居た男の人、彼女さんと同じ歳くらいに見えたし……結局さ、同年代がうまくいくんだと思う」


 それは、藤原さんにも言われたことだ。

 実際、藤原さん自身も、同年代の人とうまくいっているらしい。


「……あー。そうかもな。結局、俺が子どもだったって思い知らされただけな気がする。……俺ばっかりさ、甘えたりとか」

「…………甘える?」

「いっつも少し前を歩かれてる感覚があったんだよ。だから俺は仕事を頑張るしかなかった。……まあ、それももう全部無駄なわけだけど」

 最初の頃は、紗英さんと恋人になれたことが嬉しくて、目の前のことにただがむしゃらに取り組んでいられた。五年前は若かったというのもある。俺が頑張れば紗英さんも俺に甘えて、いずれは頼ってくれるようになると、そんなことを信じていられた。


 結論としては、まったく望んだ未来にはなっていないわけだけど――――それも、紗英さんが消極的なことを思えば仕方がないのかもしれない。

(いや……違うか)

 分かっている。紗英さんは消極的なのではなくて、ただ遠慮がちなだけだ。


「大輔、頑張ってるじゃん。浮気されたままでいいわけないよ」

「……そうだよなあ」

「早く別れたらいいのに」

「あー、うん。まあな。ちょっといろいろ考えることもあるし、簡単にはいきそうにもないというか……」

「じゃあ……私とやり直さない? って言ったら、別れてくれるの?」

 珍しく真剣な声で、安祐美がポツリと呟いた。

 手が止まる。そうして安祐美を見つめてみれば、緊張しているのからしくもなく顔を強張らせていた。


「……大輔と別れてから、二人くらい恋人はできたよ。でも、なんか二人ともしっくり来なかった。私にはやっぱり大輔が必要なんだって気付いたの。……別れてからとか遅いんだろうし、今恋人が居ることも知ってるけど……彼女さんが浮気してるんなら、遠慮する必要なんかないよね?」


 安祐美とやり直す。そんな考えてもいなかったことに、なんとなく心が停止した。

(……あれ、そういえば俺たちなんで別れたんだったか)

 くだらないことだったのは覚えている。研修期間の一週間、俺が連絡を返さなかったとか、その後も電話を切るのが早かったとか、そんな小さな積み重ねが爆発して、大喧嘩をした後だった。

 あの時は環境も変わりたてで、お互い余裕がなかったのもあったんだろう。


 それなら、今はどうだろう。

 社会人になって安定している、今。もう一度やり直したなら、安祐美とうまくやっていけるのだろうか。


「なんで悩むの? 浮気されてるんだよ? 実は私、前にも彼女さんとあの人が一緒に居るの見たことある。その時も仲良さそうだったし……ねえ、別れた方がいいって。大輔には絶対年上は合わないよ」

 本当に、どうして俺はいつまでも、紗英さんとキッパリ別れるための話し合いをしようとしないのか。

 しようと思えばできるのだ。別れたいなら、すぐに連絡を取ればいい。感情的にならずに話すことだって、今ならできる。

 だけど、俺はそれを選ばない。

 その選択肢が見えていながら、見ないふりを続けている。

「お願い、大輔。あの人と別れて、私と付き合おう? 私と大輔なら絶対楽しいよ」

「……俺もそう思う」

「それなら、」

「ちょっと考えるわ。さっきも言ったけど、そんな簡単なことでもないし」

「……分かった」

 渋々、といったように唇を尖らせて、安祐美が不満げな声を出した。

 

 その日は結局、そのまま解散の流れになった。

 紗英さんと風間課長の姿を見て、俺が乗り気になれなかったというのが一番の原因である。それに、安祐美が俺に対してまだ気持ちを残しているのなら、あまり一緒に居るべきでもない。


 また連絡するからねと。そんなことを言って、安祐美はその日、気まずさもなく帰っていった。

 

 

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