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ヤンキー君は凝り性  作者: 暁 龍弥


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9/20

「きっかけは、ノート一冊」

 その週の真ん中あたりから、クラスの空気が少しずつ変わり始めた。


 俺が何か特別なことをしたわけじゃない。

 ただ授業を受けて、たまに三浦とバカ話して、黒瀬にツッコまれて、佐伯にノートを見せて——それだけだ。


 それだけなのに、前よりも俺の席の周辺に“人の気配”がある。


「冬木ー、この問題どうやんの?」

「ここってさ、こういう解き方でもいいの?」

「体育のとき教えてくれた走り方、今度また教えてくれね?」


 信じられないことに、“怖いから避ける”って空気じゃなくなっている。


(……慣れねぇな)


 悪い気はしない。むしろ悪くない。

 ただ、中学の頃とのギャップがありすぎて、感覚が追いついてないだけだ。


◇◇◇


 そんな中、きっかけになったのは、放課後の何気ない一言だった。


「テスト範囲、そろそろ出るらしい」


 帰りのホームルームで、担任がそう言った。


「一年最初の小テストだからって油断してると痛い目見るぞー。

 お前らの成績はもう今学期からの積み上げだからなー」


 クラスがざわつく。


「え、小テストって言ってたよね?」「ガチテストじゃん」「でも範囲広すぎない?」


 教室のあちこちから不満と不安の声が上がった。


 チャイムが鳴り、先生が出ていく。

 途端に三浦がこっちを振り向いた。


「冬木……」

「いやだ」

「まだ何も言ってない!!」


 黒瀬が笑いながら補足する。


「多分、“勉強教えてくれ”って言いたいんだと思う」

「知ってる」


 三浦は机に突っ伏しながら叫ぶ。


「だってよぉー! 中学ん時マジで赤点ギリギリだったんだって!!

 高校最初のテストくらい、ちゃんと点取りてぇの!!」


 それを聞いていた周りの男子も、ちらちらとこっちを見る。

 女子も、何人かは不安そうにプリントを見つめている。


「……まあ、やるか」


 気づいたら口から出ていた。


「マジで!?」

「お、決断早いな」黒瀬が感心したように言う。


 俺は教壇の方をちらと見てから言った。


「放課後、教室使わせてもらえるかどうかは先生に確認しねぇとだけど……

 教えるだけ教える。来たい奴だけ来ればいい」


 言った瞬間——周囲の空気が変わった。


「行く!!」「私も行きたい!」「数学苦手だから助かる……」


 気づけば結構な人数が「行きたい」と口にしていた。


(……やべ、思ったより大事になった)


 心の中で頭を抱える。

 ただ三浦と黒瀬に教えるくらいのつもりだったのに。


 でも、ここで引っ込めるのも違う気がした。


(どうせ勉強するなら、一人でやっても何人に教えても変わらねぇしな)


 そのとき、前の方から静かな声がした。


「じゃあ——私も、手伝います」


 神宮寺だった。


 教卓の近くで鞄を閉めていた彼女が、こっちを向いている。


「生徒会の資料整理が早く終わった日は、こっちに顔を出します。

 数学と英語なら、ある程度カバーできますから」


 その言葉に、一瞬教室がしんとなった。


 三浦が小声でささやく。


「やべぇ……“冬木&神宮寺の勉強会”とか、なんか名前つきそう……」


「つけるな」


 とはいえ、実際に頼もしいことには違いない。

 俺は軽く頷いた。


「助かる」

「いえ。こっちも助かりますから」


 何が、とは聞かない。

 聞かなくても、なんとなく分かる気がした。


◇◇◇


 その日の放課後。

 最初の「ゆる勉強会」が開かれた。


 教室の後ろ側の席を中心に、机を四つくっつける。その周りにぱらぱらと人が集まった。


「思ったより多いな……」


 ざっと見て、十人くらい。

 三浦、黒瀬、佐伯を含む、男女まぜこぜの小さな輪。


「多いってレベルか?」

「俺からしたら十分多い」


 最初から大人数に向かって話すのは慣れてない。

 神宮寺のあの堂々とした態度を思い出して、内心でため息をつく。


(あいつ、やっぱりすげぇな)


 その“すげぇやつ”が、今は俺の隣に座っている。


 教卓の方ではなく、あえて同じ列。

 リーダーとして前に立つんじゃなく、横に並ぶ位置。


 その選び方が、妙に彼女らしい。


「じゃあ、まずは数学からでいいですか?」


 神宮寺の声が静かに教室に響く。


「範囲は一次関数ですよね。

 冬木くん、ノート見せてもらえますか?」


「……別にいいけどよ」


 差し出したノートを、神宮寺が丁寧にめくる。


 途中で手が止まった。


「すごく分かりやすいですね」

「え?」


「まとめ方、きれいです。説明の順も、板書より整理されてる」


 その一言で、近くの連中が一斉に身を乗り出してきた。


「見たい!」「私も!」


 ノートがその場で取り合いになりそうになったので、慌てて机に置いた。


「順番に見ろ。破いたら殺す」

「物騒な冗談やめて!?」


 三浦が半泣きでノートを抱える。


 それを見て、神宮寺が少しだけ笑った。


「じゃあ、このノートをベースに説明していきましょうか。

 私が口頭で補足しますから、分からないところがあったら、その場で止めてください」


 役割分担は自然に決まった。


 俺が板書と解説担当。

 神宮寺が要約と補足、質問へのフォロー担当。


 黒瀬はそのまとめ役として、別のノートに“要点だけ”を書き出していく。

 三浦は——ひたすら「分からん!」と声を上げて場を回していた。


「ここ! ここの式の変形なんなん!? 魔法?」

「魔法じゃない。移項だ。プラスとマイナスの位置ちゃんと見ろ」

「うあああああぁぁぁぁ……脳が文系……」


 佐伯が笑いながら言う。


「でも、さっきより分かるようになってきたかも。

 先生の説明より、冬木くんの説明の方が……」


 言いながら顔が赤くなった。


 黒瀬が補足する。


「教師は全体向けの“正解”を言うけど、冬木は“今ここにいるメンバー”の顔見て話してるからな」


 そんなこと、言われるまで自覚してなかった。


(……そうか、俺は)


 分からない顔を見つけると、その人が分かるように言い換える。

 妹たちに勉強教えるときと同じように。


 それが、自然と身についていた。


 神宮寺が少しだけ目を細める。


「やっぱり、そういうところ、すごいですね」

「お前、褒めすぎだろ」

「事実ですから」


 やめろ。妙に意識するだろ。


◇◇◇


 一時間くらい経った頃、ひとまずキリがついた。


「——よし。とりあえず今日のところはここまでだな」


 教室の空気がふっと緩む。


「わかった気がする」「家でもっかい復習すればなんとか……」「ノートコピーさせて……」


 三浦が机に突っ伏しながら叫ぶ。


「脳が……焼ける……!」

「それは働いてない脳には刺激が強すぎたんだな」

「黒瀬ぇぇぇぇ!!」


 笑い声があちこちで上がる。

 俺が立っていた前の方へ、ポン、と小さな拍手が聞こえた。


 佐伯が手を叩いていた。


「ありがと、冬木くん。分かりやすかった」


 それに釣られて、何人かが拍手し始める。


「助かった」「ありがと」「またやってほしい!」


 こういうとき、なんと返すのが正解か分からない。


 ただ、自然に口から出たのは——


「……俺も、助かったしな」


 だった。


 黒瀬が首をかしげる。


「助かった?」

「一人で勉強するより、こうやって教えながらやった方が頭に残るんだよ。

 妹の宿題見てるときもそうだったからな」


 言いながら、少しだけ照れた。


 そのとき——教室の後ろから、静かな声が聞こえた。


「それに——」


 神宮寺。


「こうやって一緒に勉強するの、悪くないですよね?」


 彼女の一言で、空気がまた変わる。


 悪くない、どころじゃない。


 きっと参加している奴のほとんどが、心のどこかで「楽しかった」を感じていた。


◇◇◇


 解散して、各自が帰り支度を始めた頃。

 俺と神宮寺は、机を元に戻しながら残っていた。


「お疲れさまです」

「お前こそ。……生徒会の仕事は大丈夫だったのか?」


「今日は早く終わりましたから。

 それに、こういうのも“学校生活を良くする活動”の一つだと思ってます」


「……真面目だな」


「真面目なのは、お互いさまですよ」


 そこまで言って、神宮寺は少しだけ言いにくそうに口を結んだ。


「それと……ひとつだけ、聞いていいですか?」


「なんだよ」


「今日のこと——妹さんたちに、話しますか?」


 思わず瞬きをする。


 どうしてそこで妹の話題が出るのか、最初は分からなかった。

 でも、すぐにピンときた。


(……ああ)


 きっと、あいつらはこう言うだろう。

 『お兄ちゃん友達増えてきてるじゃん!』って。

 『よかったね!』って、全力で喜ぶ。


「……話すと思う」

「やっぱり」


 神宮寺は少しだけ笑った。


「妹さんたちの話をするときの冬木くん、顔が優しくなるから」


 心臓の鼓動が、ほんの少しだけ速くなる。


「……そうか」

「はい」


 それきり彼女はそれ以上何も言わなかったけれど、その一言が妙に胸に残った。


◇◇◇


 帰り道。

 今日は一緒に帰る約束をしていたわけじゃないのに、気づけばまた並んで歩いていた。


 前みたいに周囲の視線はある。

 “生徒会長の妹と銀髪の死神”という組み合わせは、どうやっても目立つ。


 だけど——前より、気にならなくなっていた。


(……今ここで一緒に笑ってるこいつらの方が、目の前にいるからかね)


 クラスの声も、三浦たちの笑い声も、勉強会のざわめきも思い出す。


 世界は狭くて、意外と広い。

 そんな当たり前のことに、ようやく気づき始めていた。


「そういえば——」


 横を歩く神宮寺が口を開いた。


「今度の土曜日、午前中だけ学校の図書室、解放されてるそうです。

 テスト前なので、自習に使っていいって」


「へぇ」


「もしよければ、そこでまた一緒に勉強しませんか?

 ……クラスの何人かも誘って」


 “二人きりで”じゃないところが、彼女らしい。

 急ぎすぎない距離感。


 でもそれでも、十分だった。


「いいぞ。どうせ家でも勉強はするしな」


「じゃあ、みんなに声かけておきますね」


 彼女の「みんな」の中に、自分の名前が含まれていることが——妙に嬉しかった。


◇◇◇


 夜。


 家に帰ると、いつも通り妹たちが迎えてくれた。


「おかえりー!」

「今日は何かあった顔してる」


「お前の“何かあった顔”の判定基準が知りてぇよ」


 エプロンを着けながら笑うと、マリアがテーブルにノートを持ってきた。


「ねえお兄ちゃん、ここ教えて〜」

「おっ、一次関数か。タイムリーだな」


 板書と同じように、ゆっくり説明していく。

 今日クラスでやったのと同じように。


「……なんか、教え方うまくなってない?」

 イリアがじっと俺を見る。


「勉強会でも開いてる顔だ」

「お前、なんでも“顔”で判断するな」


 でも、その指摘は当たっていた。


 今日教室で感じたこと。

 誰かと一緒に何かをすることで、自分も少し変わっていく感覚。


 それを、妹たちの前で少しだけ思い出す。


「なぁお兄ちゃん」

「ん」

「高校、楽しい?」


 マリアの問いかけは、真正面からだった。


 少しだけ間をおいて——


「……ああ。楽しいかもしれん」


 ようやく、そう言えた。


 マリアが嬉しそうに笑い、イリアが小さく頷く。


「そっか。じゃあ、よかった」


 鍋の湯気が上がる。

 いつもの家の匂い。


 その中に、少しだけ新しい色が混ざっている気がした。


 まだ、恋じゃない。

 まだ、友達と言い切るには浅すぎる関係も多い。


 でも——確かに少しずつ、何かが育ち始めていた。


 俺自身も、俺の周りの世界も。


 そのことに気づけただけで、今日は十分だった。


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