「気づいてほしくない強さ」
翌朝。
校門をくぐった瞬間、空気が昨日と違うのに気づいた。
視線。ざわめき。小さなひそひそ声。
「ねえ、昨日あの二人で帰ってたよね」
「神宮寺さんと冬木くん。マジで?」
「でも付き合ってるとかじゃないでしょ。あんな怖い人と……」
やっぱり噂になっていた。
(……そうなるとは思ってたけどよ)
悪口でも嫉妬でもない“興味本位”の視線が多いあたり、昨日よりはマシと言えるのかもしれない。
教室に入ると——
黒瀬と三浦がすでに席にいて、こっちに手を上げてきた。
「おはよ冬木!」
「ネットの噂スピード、ガチで怖いな……朝からあちこちで話題になってたぞ」
「俺の話題じゃなくて神宮寺の話題だろ」
「半分は冬木だよ」黒瀬が冷静に刺してくる。
席に荷物を置いたところで、佐伯が小さく手を振ってきた。
「おはよう、冬木くん」
それだけの挨拶なのに、心なしか周りの視線が増える。
どうやら“冬木と話す=勇者”扱いになっているらしい。
(……やめろよそういう空気)
神宮寺はまだ来ていない。
昨日一緒に帰っただけで、同じ登校時間を合わせるのは違うだろうし、期待するのも変だ。
そう思いながら、授業のプリントに目を落とす。
◇◇◇
一時間目は体育だった。
グラウンドにはクラス全員が男女別に整列し、準備体操の声が響く。
「今日は体力測定だー」
「握力・反復横跳び・50m走・上体起こし、その他諸々やるぞー」
体育教師の声が響く。
男子はざわつき、女子は笑っている。
「これで運動できるかどうかバレるんだよなぁ〜」
「冬木は絶対ヤベぇだろ」
どこからか、そんな声が聞こえた。
(……正直、バレたくねぇんだけどな)
体が強いと、また噂が増える。
“暴れたら手がつけられない”みたいな誤解を生む。
だから本当はなるべく普通を装いたい。
けど——
「じゃあグラウンドを3周して軽く体温めろー!」
三浦と黒瀬が並んで走り出し、他の男子もついていく。
俺も続く。
1周目、呼吸を整えながらペースを合わせる。
2周目になる頃、三浦が息を荒くしながら横目で言った。
「冬木、ペース速いって!」
「別に合わせてる」
「いやいやいや、全然合わせてねぇから!!」
黒瀬もメガネを押し上げながら肩で息をしている。
「……たぶんだけど冬木は疲れてない」
「うん!多分“全く”疲れてない!!」
図星すぎて何も言えない。
3周目が終わる頃、三浦は地面にへたり込んだ。
「はぁぁぁしんど……!」
「お前が全力でついてこうとするからだ」
「だって置いてかれるの嫌じゃん……!」
黒瀬は汗を拭きながら言った。
「冬木、運動部入ってたの?」
「いや」
「……じゃあなんでそんなに体力あるんだよ」
「体が強いだけだ」
嘘じゃない。昔から意味もなく強かった。
鍛えているわけでもないのに、筋肉も体幹もすぐ育つ。
だからこそ、中学では“殴ったら終わる存在”みたいに怖がられた。
(高校では、できるだけ目立たないようにしたいんだが)
その願いは、50m走のタイムで砕け散った。
「1位! 冬木! 6.0秒!」
「…………」
「…………」
空気が一瞬止まった。
ほぼ陸上部並みのタイム。
教師が驚いて二度見してる。
「……冬木って、運動もできるの?」
「頭もいいのに?」
「見た目怖いくせに……いや怖いからか?」
どこからともなく“怪物”みたいな単語が飛びそうな空気。
(だーから嫌なんだよこういうの)
でも仕方ない。
走りながら本気で抑えてたのに、これ以上遅く走ったら足がもつれる。
男子たちがざわつく中、黒瀬が息を整えながら笑った。
「……すごいな冬木」
「いや普通だ」
「普通に失礼だわ」
三浦は肩で息をしながら叫んだ。
「いやでも誇れよそれは! すげーって!」
男子たちの見方は、少しだけ柔らかくなった気がした。
ただ、その瞬間——視線を感じる。
女子の列から、じっと俺を見ている視線。
神宮寺だった。
彼女は拍手も驚きの声も出していない。
ただまっすぐ俺を見ていた。
(……なんだよその目)
“すごい”でも“怖い”でもなく——
“知れたことが増えた”みたいな表情。
昨日と同じだ。
まるで俺という人間のパズルのピースを一枚ずつ集めているみたいな、そんな目。
よく言われる視線じゃない。
心臓が変な音を立てた。
◇◇◇
授業が終わる頃、やっぱり噂は広がっていた。
「冬木やばくね」「運動神経も頭も良いってチートじゃん」「怖いけどすげぇ」
もはや称賛なのか恐怖なのか判別できない。
(……こうなると面倒なんだよな)
教室へ戻る途中の渡り廊下。
不意に三人の男子が前に立った。
「なぁ冬木」
「ちょっといい?」
空気がひりつく。
黒瀬と三浦は少し遅れていた。
(やっぱり来たか)
少し構えたが、相手は思ったのと違った。
「……50m走のフォーム、教えてくれねぇか?」
「俺なんかずっと10秒台なんだよ! 速く走れるなら教えてほしい!」
思わず固まった。
後ろから来た黒瀬と三浦も驚いている。
「お、お前ら……ケンカ売るんじゃなくて教わりたいってこと?」
「だってコーチより速いんだぞ……!」
全員の視線が俺に集中する。
断ってもいい。
関わらなきゃ噂も増えないし、失敗もない。
でも——
(………あーくそ)
思い出す。
“誰かのために力を使う”ときの安心感。
昨日の神宮寺の言葉。
『自分のためより、誰かのために使ってる感じがした』
あの言葉がまだ残っている。
「……いいぞ」
「ほんとか!!」
男子たちの表情が一瞬で明るくなった。
「ただし、教えるからには手ぇ抜くな」
「もちろん!!」
そこへ三浦が割って入ってきた。
「よっしゃ冬木監督降臨!! 記念すべき第一回コーチングだ!!」
「大げさすぎる」
「いやこういうのは大げさで丁度いいんだって!」
黒瀬も小さく頷いた。
「冬木、ありがとう。……こういうところ、本当にすごいよ」
褒めすぎだろ。
でも、悪い気はしなかった。
◇◇◇
そのやり取りを、遠くの階段の踊り場から見ている人がいた。
神宮寺玲。
誰にも気づかれない位置で、静かにその光景を見つめている。
(……変わり始めてる)
クラスの中の冬木悠斗。
怖がられるだけの存在じゃなくなりつつある。
そう気づいて、ほんの少しだけ、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……よかった」
誰にも聞こえない声で呟く。
だけど次の瞬間、神宮寺の表情はほんの一瞬だけ曇った。
(嬉しい……のに。
……どうして、少しだけ、胸がざわつくんだろう)
その感情が何なのか。
この時の神宮寺は、まだ言葉にできなかった。
◇◇◇
「体育おつかれ!」
教室の扉をくぐると、佐伯がにっこりと笑って声をかけてきた。
「すごかったよ! フォーム綺麗で……陸上部みたいだった!」
「そうか?」
「うん! かっこよかったよ!」
褒め言葉に慣れてない俺は、素直に受け取れず視線を逸らす。
その瞬間、教室の後ろの席から少女の声がした。
「かっこよかった、のは認めるけど——怪我だけはしないようにね」
神宮寺。
教室全体の空気が一瞬止まる。
神宮寺が冬木に声をかける、というだけでこの空気。
「別に無茶してねぇよ」
「知ってます。でも……少し気になったので」
その言葉は、あからさまな好意じゃない。
でも“特別扱い”にしか聞こえなかった。
再びざわつくクラス。
「神宮寺さんが冬木くんに話してる……」
「やっぱ仲いいの?」
「なんか漫画みたいになってきてない?」
俺はため息をつきながら席へ戻る。
正直、目立つのは嫌。
でも——
今日の夕焼けを思い出す。
(……別に、全部悪いわけじゃねぇけどな)
誰にも言わない、心の中の独り言だった。




