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ヤンキー君は凝り性  作者: 暁 龍弥


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6/20

「帰り道、夕焼けの横顔」

翌日。


 朝から、なんとなく落ち着かなかった。


 制服はいつも通り着ている。ネクタイもちゃんと締めた。髪も寝ぐせなし。

 鏡に映る自分は、いつもと変わらないはずなのに——胸の中だけが違う。


(……一緒に帰る、か)


 神宮寺からのメッセージは、簡潔で、変に飾っていなくて、それが逆にずるかった。

 あの短い文のせいで、昨日の夜は久しぶりに寝つきが悪かった。


 マリアとイリアにからかわれたのも、まあデカい。


『やっぱり女の人だ!』『絶対きれいな人だよ〜。楽しみだね〜?』


 何が“楽しみだね〜”だ。誰のことだと思ってんだ。


 ……いや、楽しみじゃないと言ったら嘘になるけど。


◇◇◇


 一日は案外普通に過ぎていった。

 英語、数学、国語。どの授業もそこそこ真面目に受けているつもりだったのに、気を抜くとペンが止まる。


「冬木ー、ノート見せてくれない?」


 前の席の佐伯が身を乗り出してくる。

 隣の黒瀬がそれを横目で見ながら、ノートを閉じそうな俺の手を止めた。


「冬木、今の聞いてなかったろ」

「聞いてた」

「じゃあ今の英語のポイント、教師なんて言ってた?」


 ……言われてみれば、覚えてない。


「……あとで復習すればいい」

「ほら、聞いてない」

「ね、なんか今日はぼーっとしてるよね?」


 佐伯までそんなことを言う。


「別に、普通だ」


 そう言ったが、黒瀬はじっと俺を見た。

 メガネの奥の目は、妙に観察眼が鋭い。


「なるほどね」

「何がだ」

「いや。高校生活、順調でなにより」


 言い方が含みありすぎる。


 そのやり取りを聞いていた三浦が、前の席から振り返ってくる。


「おいおいおい、まさか早くも“恋の予感”ってやつか〜?」


「お前、声がでけぇ」


 教室のざわざわが一瞬だけこちらに集中しかけて、俺は眉をひそめた。

 幸い、教師がプリントを配り始めたおかげで話題は流れていく。


 ……危ない。


(まだ何も始まってねぇだろ)


 ただ「一緒に帰りませんか」と言われただけ。

 それ以上でもそれ以下でもない。


 なのに、心臓が授業中も静かにしてくれない。


◇◇◇


 放課後。


「じゃあまた明日なー!」

「ノートほんとありがと! 助かった!」


 クラスメイトたちが一人、また一人と教室を出ていく。

 日直だの部活だのと用事があるらしく、教室は思ったより早く空になった。


 机に教科書をしまいながら、ちらりと前の方を見る。


 神宮寺はまだ席に座っていた。

 数枚のプリントをきれいに揃え、ペンケースを閉じ、鞄にしまう。その動作一つ一つが、無駄がなくて整っている。


(……声、かけるか? いや、約束してるんだから、向こうから来る?)


 無駄に考えすぎて、鞄のチャックを閉めるタイミングを失ったとき——


「冬木くん」


 名前を呼ばれた。

 顔を上げると、神宮寺が立ち上がり、こちらに歩いてきていた。


 相変わらず背筋が伸びている。

 教室のざわめきがほとんどない分、彼女の足音だけがやけに耳に届いた。


「……なんだ」

「一緒に帰りませんか」


 昨日の文面と同じ言葉。

 直接聞くと、少しだけ違う温度をまとって聞こえる。


「約束、してただろ」

「ええ。でも、ちゃんと改めて言いたくて」


 そう言って少しだけ笑った。

 その笑顔は、壇上で見せる“代表挨拶の顔”とは違う、年相応のものだった。


◇◇◇


 校舎を出ると、外はちょうど夕焼けに染まりかけていた。


 空はオレンジと淡い紫が混ざり合い、校舎の影が長く伸びている。

 グラウンドでは運動部がまだ練習していて、掛け声と笛の音が遠くから聞こえてきた。


 並んで歩き出す。


 ……と言っても、「並ぶ」の距離が難しい。


 あまりに近いと意識しすぎて不自然だし、離れすぎると“たまたま同じ方向に歩いている他人”みたいになる。


 結局、俺と神宮寺の間には、半歩分くらい、曖昧な距離が空いた。


 静かな歩調。


 俺はもともとあまり喋る方じゃないから、この沈黙はそこまで苦にならない……はずなんだが。


(神宮寺、大丈夫か? 退屈じゃないか?)


 ちらりと横を見る。


 神宮寺は、少しだけ空を見上げるように歩いていた。

 制服のリボンが、夕日の光を受けてわずかに揺れる。


「……静かですね」


 ぽつりと、彼女が呟いた。


「うるさいよりはいいだろ」

「そうですね。私は、嫌いじゃないです。この静けさ」


 その言い方に、ふわりと安心感が混ざっていた。


 と、その時だった。


「ねぇ見てあれ」「え、生徒会長の妹じゃない?」

「隣……銀髪……」「あいつじゃね、“銀髪の死神”」


 すれ違った二年生らしき女子たちのひそひそ声が聞こえた。


 前から歩いてくる男子のグループも、露骨にこちらを見てくる。


「マジかよ……神宮寺があいつと並んでんの」「付き合ってるとか?」

「いやいやねーわ」「でもあの組み合わせ、なんか漫画みたいじゃね?」


 聞こえないふりをするのは、さすがに限界がある。

 耳が勝手に拾ってしまう。


(……あー、やっぱこうなるよな)


 俺一人でも視線を集めるのに、相手が神宮寺なら尚更だろう。

 “こっち側の人間”と“あっち側の人間”が並んで歩いてるように見えるんだろうな。


 思わず、半歩だけ神宮寺から距離を取ろうとした、そのとき。


 すっと、袖口がつかまれた。


「……っ」


 神宮寺の細い指が、俺の制服の袖を遠慮がちに掴んでいた。


「離れないでください」


 小さな声で、でもはっきりと。


「……目立つだろ」

「もう十分目立ってます」


 確かに反論できなかった。


「それに、私、群衆の中で置いていかれるの、あまり好きじゃないので」


 信号待ちで立ち止まったとき、彼女はぽつりと言葉を足した。


「さっきも、二年生に呼び止められそうになりました。『一緒に帰ろう』って。

でも、今日は冬木くんと帰るって決めたので」


「……断ったのか」

「はい」


 それきり、彼女は袖からそっと指を離した。

 けれど、さっきよりほんの少しだけ、俺の近くに立っていた。


 信号が青に変わり、歩き出す。


 周囲の視線は変わらず多い。

 好き勝手な推測と噂が、そのうちクラスにまで届くだろうことも想像できる。


 だけど。


 袖に残る感触を思い出した瞬間——視線の刺さる痛みが、少しだけ鈍くなった。


◇◇◇


「……さっきの、気になる?」


 歩きながら神宮寺が聞いてきた。


「さっき?」

「『付き合ってるのかな』とか『死神だ』とか、そういうの」


 聞こえていたらしい。

 思ったより、耳がいい。


「別に。今に始まったことじゃねぇよ」


 本心だ。

 熊の件よりもずっと前から、俺はずっとこうだった。


「……そう、ですね」


 神宮寺は少しだけ目を伏せた。


「“銀髪の死神”という噂、最初に聞いたときはひどいなと思いました。

会ったことも話したこともないのに、髪の色と目つきだけで」


「世の中そんなもんだろ。見た目で九割決める奴もいるし」


 自分で言っておきながら、心のどこかで冷めた笑いが浮かぶ。


 そのとき、不意に神宮寺が立ち止まった。


 俺も足を止め、振り返る。


「私は——」


 夕焼けの光の中で、彼女ははっきりと俺を見た。


「“銀髪の死神”じゃなくて、“銀髪の、お兄ちゃんみたいな人”に見えます」


「……は?」


 予想外の言葉に、思わず間抜けな声が出た。


「だって、自己紹介でも妹さんたちの話をしてましたよね。

料理も、勉強も、自分のためというより、誰かのために使ってる感じがしたから」


 神宮寺の声は、どこまでも静かだった。


「熊の動画を見たときも思いました。

あれ、あの場にいたのが家族じゃなくても、あなたはきっと同じように走ったんだろうなって」


「……別に、あんたに褒められるためにやったわけじゃねぇけどな」


「知ってます。だからいいんです」


 人の言葉って、こんなに真っすぐ響いたっけ。


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 照れくさい。だけど、嫌じゃない。


「……お前はどうなんだよ」


 つい、聞き返してしまった。


「私?」

「お前こそ、“生徒会長の妹”って枠で見られてんだろ」


 あの自己紹介のときの、小さなため息を思い出す。


 神宮寺は一瞬、口を閉じてから、ふっと息を吐いた。


「そうですね。昔から、『神宮寺だから』『会長の妹だから』って言われることが多かったです」


「めんどくさそうだな」

「めんどくさいですよ。

でも、だからこそ——噂じゃなくて、“ちゃんと見てくれる人”が、すごく貴重なんです」


 その「貴重」の中に、俺が少しでも入ってるなら。


 ……そう考えた瞬間、自分で自分にツッコミを入れた。


(いやいや、何期待してんだ俺)


 まだ知り合って数日だろうが。


「少なくとも、冬木くんは、“噂だけで人を判断する人”じゃないと思いました」


「……なんでそう思う」


「私の挨拶、ちゃんと聞いてくれていたから」


 それだけで十分だと言わんばかりに、神宮寺は微笑んだ。


 周りから飛んでくる「何あの二人」「お似合いじゃね?」みたいな声が、遠くに聞こえる。


 本人たちは、そんなことを気にしてる余裕もないくらい、目の前の会話だけに集中していた。


◇◇◇


 校門から駅までの道は、思ったより短かった。


 駅前のロータリーには人が多く、さっきよりもさらに視線が増えた気がする。

 それでも、さっきほどの居心地の悪さはない。


「ここで電車?」


 駅の入り口で足を止めると、神宮寺が頷いた。


「はい。冬木くんは?」

「俺は逆方向だ。ここから先は別々だな」


「そうですか」


 少し残念そうな声に聞こえた。

 ……気のせいかもしれないけど。


「一緒に帰ってくれて、ありがとう」


 神宮寺は、ほんの少しだけ頭を下げた。


「こっちこそ。……多分、面倒な噂増えるぞ」

「もう少し増えても大丈夫です。どうせ、今までも似たようなものですから」


 強いな、この人は。


 そう思っていると、神宮寺がふと何かを思い出したように顔を上げた。


「そうだ。ひとつ聞いてもいいですか?」


「なんだ」


「妹さんたち——マリアちゃんとイリアちゃん、ですよね。

二人とも、お兄ちゃんが大好きなんですね」


「……なんで名前知ってんだよ」

「自己紹介で“妹たち”って言ってましたし、昨日のメッセージの文面にも出てましたから」


 ……そういえば、送ってたな。

 完全に失念していた。


「機会があれば、いつか会ってみたいです」


 さらっと、とんでもないことを言い出した。


「は?」

「ダメですか?」


 困ったように首を傾げる。


「いきなりすぎだろ。……まあ、そのうち、な」


 そのうち——。

 今じゃない。でも、いつか。


 そう答えると、神宮寺は満足そうに表情をゆるめた。


「その“そのうち”を、楽しみにしておきますね」


 改札の方へ向かう前、彼女は一度だけ振り返った。


 夕焼けに照らされた横顔は、どこか大人びて見えた。


「じゃあ、また明日」

「おう。また明日」


 ありふれたやり取りなのに、胸の奥で何かが静かに鳴った。


 電車に乗り込む彼女の背中が人混みに紛れて見えなくなるまで、俺はその場から動けなかった。


◇◇◇


 家に着くと、玄関のドアを開ける前に、深呼吸をひとつする。


 ドアノブに手をかける。


「ただいま」


 靴を脱ぎながら言うと、すぐに二人分の足音が駆け寄ってきた。


「おかえりー!」

「お兄ちゃんおかえり」


 マリアとイリアが、出迎えに飛び出してくる。

 いつも通りの光景。だけど今日は、いつもより少しだけ胸に響いた。


「どうだった?」

「一緒に帰れた?」

「相手、どんな人だった?」


 矢のように質問が飛んでくる。


「……普通のやつだよ」

「普通のやつと“一緒に帰る約束”なんてしないと思うんだけど」


 イリアのツッコミが正論すぎて何も言い返せない。


 代わりに、俺はぽつりとだけ言葉を落とした。


「……怖がらないやつだった」


 それだけで、妹たちはすべてを察したように顔をほころばせた。


「そっか。よかったね、お兄ちゃん」

「うん。ちょっと安心した」


「何でお前らが安心してんだよ」


 そう言いながらも、心のどこかで——俺も同じ気持ちなのを自覚していた。


 銀髪の死神でもなく、噂の怪物でもなく、ただの「冬木悠斗」として隣を歩いてくれた人。


 その存在が、今日の夕焼けと一緒に、静かに胸に焼き付いていた。


 まだ恋じゃない。

 でも、恋に変わるまでの“前段階”に、俺はもう足を踏み入れてしまっているのかもしれない。


 そんなことを考えながら、俺はいつものようにエプロンを手に取った。


「で、今日の晩飯どうする?」

「オムライス!」「私はグラタン!」

「どっちかにしろ」


 賑やかな声と、キッチンに響く鍋の音。


 家の中はいつも通りなのに——

 俺の世界には、確かにひとり、新しい色が増えていた。


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