「ゴールの先で」
白線が、視界の端で跳ねた。
踏み切る。
全身の力を、最後の一歩に叩き込む。
——ゴール。
次の瞬間、世界が一拍遅れて追いついてきた。
◇◇◇
胸に突き刺さるような痛み。
肺が空気を拒む。
足が、勝手に前へ出ようとして、出ない。
膝に手をつき、視界が揺れる。
音が遠い。
それでも——聞こえた。
「……白組!! 白組の勝ちです!!」
歓声が、爆発する。
「うおおおおおお!!」
「やったぁぁぁ!!」
「勝ったぞ!!」
背中に、誰かがぶつかった。
三浦だ。
「冬木ぃぃぃ!! やった!! マジでやった!!」
次に、黒瀬が肩を掴む。
「……ナイスラン。
理屈通り、最高の結果だ」
視界の端で、クラスの白い旗が揺れている。
佐伯が泣きながら跳ねているのが見えた。
(……勝った、のか)
実感が、少しずつ追いつく。
◇◇◇
呼吸が落ち着いてきた頃、
視線の先に、二人の姿があった。
応援席の最前列。
影森が、両手で口を押さえたまま立ち尽くしている。
目が合う。
一瞬遅れて、彼女は——
小さく、でもはっきりと、手を振った。
(……ああ)
逃げてない。
声も出した。
最後まで、ここにいた。
その事実が、勝利よりも胸に残った。
◇◇◇
「冬木くん!」
振り向くと、神宮寺が走ってきていた。
人混みを縫って、迷いなく。
「……っ」
言葉が出る前に、
彼女は一歩手前で止まった。
距離。
近すぎない。
でも——遠くもない。
「……お疲れさまでした」
声が、少し震えている。
「ありがとう。
最後まで、前に立ってくれて」
「……みんなが、繋いでくれた」
「それでも」
神宮寺は、強く頷いた。
「あなたが、受け取ってくれたからです」
その目は、泣いていない。
でも、感情を隠してもいない。
(……参ったな)
◇◇◇
結果発表。
総合優勝——白組。
校庭に、拍手と歓声が広がる。
誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが肩を叩く。
その中心に、俺たちのクラスがいた。
「責任者! 一言!!」
誰かが叫ぶ。
「やだよ」
「いいから!!」
三浦に背中を押され、前へ出される。
マイクを渡され、
一瞬、言葉に詰まった。
全員の顔が、見える。
運動部も、文化部も。
最初は無関心だったやつも。
途中でぶつかったやつも。
影森も、
神宮寺も。
「……正直、勝つとは思ってなかった」
正直に言った。
「でも、負ける気もしなかった。
理由は一つだ」
一呼吸。
「——一人じゃなかったからだ」
ざわめきが止まる。
「走ったのは俺だ。
でも、走らせてくれたのは、全員だ」
視線が集まる。
胸の奥が、静かに熱い。
「ありがとう。
それだけだ」
拍手が起きた。
派手じゃない。
でも、長い拍手。
◇◇◇
競技がすべて終わり、解散が始まる頃。
影森が、そっと近づいてきた。
「……冬木くん」
「ん?」
彼女は、胸の前で拳を握りしめている。
「……ちゃんと、声出せた。
最後まで、逃げなかった」
「見てた」
短く答える。
「……ありがとう。
私、今日のこと、忘れない」
その目は、もう下を向いていなかった。
◇◇◇
少し離れた場所で、神宮寺が空を見上げていた。
夕方の風が、鉢巻を揺らす。
「……冬木くん」
「どうした」
「ゴールの瞬間……」
彼女は、言葉を探す。
「胸が、いっぱいになって……」
「……ああ」
「それが、嬉しいのか、
怖いのか、
まだ分かりません」
正直だ。
そして、十分だ。
「……急ぐな」
昨日と同じ言葉を、繰り返す。
「はい」
彼女は、微笑んだ。
「でも……並んで歩くことは、やめません」
「それでいい」
◇◇◇
片付けが終わり、校門へ向かう。
いつもより、人数が多い下校。
笑い声が、途切れない。
三浦が肩を組んでくる。
「なぁ冬木」
「なんだ」
「今日さ……
俺、高校来てよかったって思った」
「……俺もだ」
黒瀬が後ろから言う。
「クラスって、作れるんだな。
勝手にできるもんじゃなくて」
神宮寺が、その言葉を受け取る。
「……だから、大切なんですね」
影森が、小さく頷いた。
◇◇◇
家に帰ると、妹たちが待っていた。
「お兄ちゃん!!」
「勝ったって聞いた!!」
「……ああ」
「すごいじゃん!」
「でも——」
イリアが、静かに言う。
「一番すごいのは、
お兄ちゃんが“一人じゃなかった”ことだよ」
言い返せなかった。
◇◇◇
夜。
ベッドに横になり、天井を見る。
今日の音。
今日の顔。
今日の言葉。
(……ゴールの先)
そこには、勝敗だけじゃなかった。
誰かと繋がった実感。
誰かと並んだ感覚。
恋は、まだ名を持たない。
でも——確実に、形を持ち始めている。




