「スタートラインに立つ」
朝。
目覚ましが鳴る前に、目が覚めていた。
カーテンの隙間から差し込む光は、いつもより少し強い。
胸の奥が、静かにざわついている。
(……今日は、体育祭か)
布団から起き上がり、深呼吸を一つ。
不思議と緊張はない。
代わりに、覚悟だけがそこにあった。
◇◇◇
「お兄ちゃん! 早くしないと遅れる!」
「分かってる」
リビングではマリアとイリアがすでに準備万端だった。
二人ともクラスカラーの白いリボンをバッグに結んでいる。
「今日は責任者なんでしょ?」
「走るんでしょ?」
「……ああ」
「じゃあ」
イリアが一歩近づいて、真剣な顔で言った。
「負けてもいい。でも、後悔だけはしないで」
「……了解」
その言葉で、腹が決まった。
◇◇◇
学校に着くと、すでに校庭は人で溢れていた。
テント、放送席、応援席。
風に揺れる旗と、ざわめく声。
「冬木ー!!」
三浦が遠くから手を振る。
黒瀬は競技表を片手に、淡々と準備を進めていた。
「配置、予定通りでいける」
「了解」
影森は、応援席でクラスの旗を握っていた。
少し緊張した表情。
でも——逃げていない。
(……大丈夫だな)
◇◇◇
「……冬木くん」
声をかけられて振り向くと、神宮寺が立っていた。
クラスカラーの白い鉢巻。
その姿は、いつもよりずっと“同じ場所”にいる感じがした。
「おはようございます」
「おはよう」
「……走る前に、これだけ」
彼女は、短く言葉を切る。
「勝っても、負けても——
私たちは、ちゃんとやりました」
「……ああ」
それだけで、十分だった。
◇◇◇
開会式。
校長の挨拶。
準備運動。
そして——
競技が始まる。
◇◇◇
午前中は、個人競技と団体競技が続いた。
「白組、優勢!」
「赤組、追い上げてきた!」
点数は拮抗。
歓声が波のように押し寄せる。
三浦は障害物競走で派手に転び、
それでも笑ってゴールした。
「痛ぇ!! でも楽しい!!」
黒瀬は冷静に綱引きの配置を調整し、
女子の競技では佐伯が声を張り上げて応援していた。
影森は——
小さく、でも確かに声を出していた。
「……がんばれ……!」
その声は、風に消えそうで、
でも確実に誰かの背中を押していた。
◇◇◇
そして、午後。
最後の種目——クラス対抗リレー。
白組と赤組。
点差は、ほぼ同点。
「これ、勝った方が総合優勝だな」
三浦が言う。
「……ああ」
俺はアンカー。
最後に走る。
スタート位置につく仲間たちの背中を見る。
一走、二走、三走……。
(……託されたな)
◇◇◇
ピストルが鳴る。
一走が飛び出す。
二走へ。
三走へ。
バトンが、確実に繋がっていく。
応援席から、声が聞こえる。
「白組!!」
「いけーー!!」
そして——
影森の声。
「……冬木くん!!」
小さいけど、はっきり聞こえた。
(……ああ)
俺は、スタートラインに立つ。
前を走る赤組のアンカー。
距離は、わずか。
バトンが、手に渡る。
◇◇◇
——走る。
地面を蹴る感覚。
風を切る音。
視界が狭まり、前だけが残る。
(……追いつける)
肉体は、限界を知っている。
でも、心は——まだ先へ行ける。
応援の声が、背中を押す。
「冬木!!」
「いけぇぇ!!」
そして——
隣を走る赤組のアンカーと、並ぶ。
一瞬、目が合った。
相手も、本気だ。
(……勝負だ)
残り、数十メートル。
足が、悲鳴を上げる。
肺が焼ける。
それでも——
止まらない。
◇◇◇
ゴールが近づく。
白線。
歓声。
最後の一歩を、踏み出した——




