「前夜、静かな本音」
体育祭前日。
放課後の校舎は、いつもより静かだった。
掲示板にはプログラムが貼り出され、廊下には色とりどりのポスター。
昼間の喧騒が嘘みたいに、夕方の空気は落ち着いている。
準備は、ほぼ終わった。
あとは——本番を迎えるだけだ。
(……やれることは、やった)
体育館の鍵を返しに行く途中、ふと立ち止まる。
窓の外に見えるグラウンドは、夕焼けに染まっていた。
◇◇◇
「……冬木くん」
振り返ると、神宮寺が廊下の向こうから歩いてくる。
手には、少し厚めのファイル。
「これ、最終確認用です」
「助かる」
二人並んで歩く。
足音が、やけに響く。
「……今日まで、お疲れさまでした」
「そっちこそ。調整、相当やってただろ」
「生徒会の仕事と比べたら、楽な方です」
そう言ってから、少しだけ声を落とす。
「でも……楽しい、とは違いました」
「違う?」
「はい。
責任が重い分、失敗したらどうしようって……ずっと考えてました」
それは、珍しい弱音だった。
「……俺も同じだ」
正直に言う。
「一人で決めたくなかった理由、分かるか?」
神宮寺は首を振った。
「失敗した時に、誰かのせいにしたくなかったからだ」
言葉を選ばず、吐き出す。
「全部自分で決めたら、全部自分の責任になる。
それは楽だ。
でも……誰かとやるなら、成功も失敗も、分け合いたい」
神宮寺は、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくり頷く。
「……私、前に立つ人は、強い人だと思ってました」
「今は?」
「……支えを作れる人、だと思います」
その言葉が、胸に落ちた。
◇◇◇
帰り道。
途中の分かれ道で、神宮寺が足を止める。
「……少し、話してもいいですか」
「いいぞ」
街灯が灯り始めた道端。
人通りは少ない。
「影森さんのこと」
神宮寺が切り出す。
「……私、最初は少しだけ、焦りました」
正直な告白。
「冬木くんが、私以外の誰かに、同じように向き合っているのを見て」
胸の奥が、静かに鳴る。
「でも、それは……嫉妬というより、確認だった気がします」
「確認?」
「自分が信じた人は、誰に対しても同じなんだって」
神宮寺は、空を見上げた。
「それが分かって……
少し、安心しました」
安心。
それは、信頼の言葉だ。
「……ありがとう」
俺は、それだけ返す。
「こちらこそ」
短い会話。
でも、十分だった。
◇◇◇
家に帰ると、妹たちがソファで並んでいた。
「お兄ちゃん!」
「明日だね!」
「ああ」
エプロンを外しながら、言う。
「二人とも、来れるのか」
「もちろん!」
「全力で応援する」
キッチンで湯を沸かしながら、思う。
背負うものが増えるほど、支えも増えた。
(……悪くねぇ)
◇◇◇
その夜。
布団に入っても、なかなか眠れない。
体育祭。
クラス。
神宮寺の言葉。
影森の真剣な目。
頭の中で、全部が静かに回っている。
(……明日、走るんだな)
勝つために。
でもそれ以上に——守るために。
目を閉じる。
◇◇◇
一方、その頃。
神宮寺は机に向かっていた。
明日のプログラムを閉じ、ペンを置く。
(……前に立つ人)
そう思うと、あの背中が浮かぶ。
怖くない。
でも、簡単じゃない。
それでも——並びたい、と思った。
◇◇◇
影森は、ノートを閉じて深呼吸する。
(……逃げない)
そう決めた。
応援する。
声を出す。
前を向く。
自分の席で、ちゃんと。
◇◇◇
夜は、静かに更けていく。
明日は、体育祭。
走る日であり、
試される日であり、
そして——繋がる日だ。
恋は、まだ名を持たない。
でも、確かにそこにある。




