「衝突、それでも前に立つ理由」
体育祭の準備が本格化して三日目。
クラスの空気は、少しずつ熱を帯びてきていた。
最初は「めんどくさい」「だるい」と言っていた連中も、
競技内容が具体的になり、勝敗が見えてくると、目の色が変わる。
悪いことじゃない。
むしろ健全だ。
ただ——
“熱”は、ときに衝突を生む。
◇◇◇
「だからさぁ! この順番じゃ勝てないって言ってんじゃん!」
体育館に、鋭い声が響いた。
白組の全体練習中。
リレーのメンバー決めで、意見が割れていた。
「でも、安定感ならこっちだろ?」
「安定とか言ってる場合!? 赤組、ガチで速いんだけど!」
前に立って言い合っているのは、運動部の男子二人。
どちらも悪くない。
どちらも“勝ちたい”だけだ。
だが、声が荒くなるにつれて、周りが黙り始める。
(……まずいな)
この手の空気は、放っておくと一気に崩れる。
俺は一歩前に出た。
「止めろ」
低い声だったが、十分だった。
二人が振り返る。
「……続けるなら、理由を言え。
怒鳴り合うだけなら、時間の無駄だ」
「でもよ——」
「“でも”じゃねぇ。
勝ちたいなら、頭使え」
空気が、張り詰める。
◇◇◇
俺は床に置かれたメモを拾い、淡々と言葉を並べた。
「赤組のアンカー、去年の中学でも県大会レベル。
真正面からぶつかっても勝てねぇ」
ざわっとする。
「だから、序盤で差を作る。
トップスピード型を一走と二走に置く」
黒瀬がすぐに反応する。
「……なるほど。
安定型は中盤で“差を維持”する役割か」
「そうだ」
三浦が腕を組んで言う。
「じゃあアンカーは?」
俺は、少しだけ間を置いた。
「……俺が出る」
一瞬、時が止まった。
「は!?」「冬木!?」
「責任者が出るの!?」
影森が、息を呑むのが分かった。
神宮寺も、俺を見る。
「冬木くん……」
「逃げねぇ。
俺が一番速いなら、最後に出る」
ただそれだけだ。
誇示でも、自己主張でもない。
「でも……」
最初に声を荒げていた男子が、戸惑ったように言う。
「もし負けたら……」
「その時は——」
俺は、真っ直ぐ見た。
「責任は、全部俺が取る」
それ以上でも、それ以下でもない。
体育館の空気が、ゆっくり変わる。
怒りが、覚悟に変わっていく。
◇◇◇
練習再開。
走る順番が決まり、動きが整っていく。
さっきまでのギスギスした空気は消え、集中した静けさが戻った。
影森が、控えめに近づいてくる。
「……冬木くん……さっき……怖くなかった?」
「何がだ」
「……みんなの前で、あんな風に……」
俺は首を振った。
「怖いのは、衝突じゃねぇ。
誰も止めずに、壊れる方だ」
影森は、少しだけ目を潤ませて、強く頷いた。
「……私、覚えておきます」
神宮寺も、静かに近づいてきた。
「……全部背負うつもり、ですか?」
「必要ならな」
「……一人で、ですか?」
その問いに、俺は一瞬だけ言葉を止める。
「……いや」
神宮寺を見る。
「一緒に背負ってくれるだろ?」
彼女は、驚いたように目を見開き——
それから、はっきりと笑った。
「……はい。もちろんです」
◇◇◇
練習後、クラスの何人かが声をかけてきた。
「さっき、ありがとな」
「熱くなりすぎてた」
「冬木、頼りになるわ」
照れくさい。
でも、悪くない。
三浦が肩を組んでくる。
「お前さ……
“最強”って、こういう意味なんだな」
「どういう意味だ」
「力じゃなくて、
“折れない芯”があるって意味」
黒瀬も、静かに頷いた。
「クラス、完全にまとまったな」
◇◇◇
帰り道。
神宮寺が、少し真剣な声で言った。
「……今日のこと、忘れません」
「大げさだ」
「大げさじゃありません。
“誰かが傷つく前に止める”って、簡単じゃないです」
夕焼けの中で、彼女は一瞬だけ視線を逸らした。
「……私、前に立つ人を尊敬します。
でも……今日、少しだけ“好き”になりました」
足が止まりかけた。
「……それは」
「まだ、恋じゃありません」
彼女は、先に言った。
「でも……
それに近い場所に、足を置いてしまった気はします」
静かな告白。
逃げ場のない、正直な言葉。
俺は、すぐには答えなかった。
代わりに、こう言った。
「……急ぐな。
俺も、ゆっくりでいいと思ってる」
神宮寺は、少し驚いてから、穏やかに微笑んだ。
「……はい」
◇◇◇
家に帰ると、妹たちが待っていた。
「お兄ちゃん、今日どうだった?」
「体育祭、進んでる?」
「……ああ。
ちょっと、ぶつかった」
「でも?」
イリアが聞く。
「……大丈夫だ。
ちゃんと、前に進んでる」
二人は、安心したように笑った。
◇◇◇
この日、クラスは知った。
冬木悠斗は——
怒鳴らず、逃げず、
それでも最後に立つ人間だということを。
そして神宮寺は、
その背中を“追いかけたい”と思ってしまった自分を、
もう否定できなくなっていた。




