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ヤンキー君は凝り性  作者: 暁 龍弥


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14/20

「噂は静かに、刃になる」

 その違和感に気づいたのは、四時間目が終わった直後だった。


 昼休みのチャイムが鳴る少し前。

 教科書を片付けながら、教室の空気がいつもより張りつめているのを感じた。


 声が低い。

 笑い声が少ない。

 視線が、妙に散らばっている。


(……なんだ)


 三浦はいつも通り騒いでいるが、どこか上滑りしている。

 黒瀬は気づいているらしく、窓の外を見ながら眉をひそめていた。


 前の席の影森は、背中が少し強張っている。

 そして——隣の神宮寺は、何も言わないが、ペンを持つ指にわずかな力が入っていた。


(……嫌な予感しかしねぇな)


◇◇◇


 昼休み。


「ねぇ、聞いた?」

「やっぱそうだよね……」

「でもさ、ちょっと……」


 小さな声が、いくつも重なっている。

 はっきりした言葉は聞こえないが、方向性は分かる。


 ——俺の周りだ。


「冬木」

 黒瀬が、低い声で呼んだ。


「今、校内で変な噂が回ってる」

「……どんなだ」


 黒瀬は一瞬だけ言いよどった。


「“影森が、冬木に取り入って成績を上げようとしてる”って」


 思わず、箸を置いた。


「は?」


 三浦が食い気味に続ける。


「あと、“神宮寺はそれを黙認してる”とか、“三角関係”とか……

 マジで意味分かんねぇこと言われてる」


 胃の奥が、すっと冷える。


(……くだらねぇ)


 くだらない。

 馬鹿げてる。

 でも——こういう噂は、放っておくと一番厄介だ。


 前を見る。


 影森は、弁当をほとんど食べていなかった。

 箸を持ったまま、じっと俯いている。


(……あいつに向いてる刃だな)


 弱い立場。

 目立たない性格。

 “助けられた”事実が、歪められて利用されやすい。


 神宮寺の方を見ると、彼女は静かにお茶を飲んでいた。

 表情は変わらない。

 だが——怒っている。


 はっきり分かる。

 あの静けさは、抑え込んだ感情の形だ。


◇◇◇


 影森が、そっと立ち上がった。


「……あの、私……今日は図書室で食べるから……」


 逃げる選択。

 責められるより、消える方が楽だと知っている人間の動き。


 その瞬間——

 俺は立ち上がっていた。


「座れ」


 教室が、一瞬で静まる。


 影森がびくっと肩を跳ねさせる。


「……冬木、くん……」


「飯、残してどこ行く気だ」


 声を荒げたわけじゃない。

 ただ、低く、はっきり言っただけだ。


 視線が集まる。

 ヒソヒソ声が止まる。


「……ここで食え」


「でも……」


「でもじゃねぇ。

 俺の前の席だろ」


 逃げ道を塞ぐ言い方だ。

 でも——必要だった。


 影森は、唇を噛んでから、ゆっくりと座り直した。


◇◇◇


 ざわつきが戻りかけた、そのとき。


「——噂話って、楽しいですか?」


 神宮寺の声だった。


 静かで、凛としていて、教室の端まで通る声。


 彼女は立ち上がり、ぐるりとクラスを見渡した。


「確認もせずに、人の努力や関係を歪めて、

 誰かを悪者にして……それで、何が残るんでしょうか」


 誰も答えない。


「影森さんが勉強を頑張っているのを、

 “ずるい”と切り捨てるのは簡単です。

 でも、それって——努力した人を、二度傷つける行為です」


 影森が、目を見開いた。


 神宮寺は続ける。


「冬木くんが教えているのは、特別扱いじゃありません。

 分からない人に、分かるまで説明する。

 それだけです」


 ここで、俺も口を開いた。


「……俺からも言う」


 全員の視線が向く。


「影森が頼ったのは俺だ。

 勉強が分からないって言われて、教えただけだ」


 拳を握る。

 力を入れすぎれば、空気を壊す。

 だから——言葉だけで押す。


「それを“取り入った”って言うなら、

 困ってる人間を助ける行為は全部そうなる」


 教室が、完全に沈黙した。


「俺は、そういうクラスにしたくねぇ」


 それだけ言って、座る。


◇◇◇


 数秒の静寂のあと、

 佐伯が、ぽつりと言った。


「……私も、冬木くんにノート借りたよ」


 続けて、別の女子が。


「私も、数学のとこ聞いた」

「俺も……」


 少しずつ、声が増える。


 “影森だけじゃない”

 “特別じゃない”


 事実が、噂を削っていく。


 三浦が腕を組んで言った。


「つまりさ、勉強教えてもらってるやつ全員、

 “取り入ってる”ってことになるよな?」


 笑いが起きる。

 空気が、ようやく緩んだ。


◇◇◇


 昼休みの終わり。


 影森が、震える声で言った。


「……ありがとう……冬木くん……神宮寺さん……」


 俯いたまま、でも逃げなかった。


「私……ちゃんと、ここにいていいんだって……思えた」


「当たり前だ」

 俺は即答した。


 神宮寺も、静かに頷く。


「ここは、あなたの席です」


 影森は、初めて——

 声を上げて泣いた。


◇◇◇


 放課後。


「……正直、ヒヤッとしたな」

 黒瀬が言う。


「でも、あれでクラスの空気、一段変わった」


 三浦は大きく頷いた。


「完全に“冬木は怖い”から“信用できる”に変わったな」


「勝手に評価変えんな」


 神宮寺が、少し遅れて口を開いた。


「……冬木くん」


「ん」


「さっきの言葉、ありがとうございました。

 私が言う前に、守ろうとしてくれて」


「別に……俺は影森に言っただけだ」


「それが、守るってことなんです」


 その言葉は、静かに胸に残った。


◇◇◇


 この日を境に、

 影森は“影”から一歩抜け出し、

 クラスは“噂で人を裁かない”空気を少し持ち始めた。


 そして——

 神宮寺の中で、冬木悠斗という存在は、

 ただの隣の席ではなくなった。


 強さを振りかざさず、

 声を荒げず、

 それでも、誰かを守る。


 その姿が、確かに心に刺さってしまったから。

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