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ヤンキー君は凝り性  作者: 暁 龍弥


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13/20

「隣に座る、その練習」

 翌朝。

 いつもより少しだけ早く家を出た。


 まだ通学路には人が少なく、朝の空気はひんやりしている。

 制服の上着のボタンを留めながら、ふと昨日の神宮寺の言葉を思い出した。


――練習したいことがあって。


(……なんだよ練習って)


 勉強でも、生徒会関係でもない雰囲気だった。

 気にならないと言えば嘘になる。


◇◇◇


 教室に着くと、まだ誰もいなかった。

 カーテン越しの朝日が机に斜めに差し込んでいる。


 自分の席に荷物を置き、椅子に座ったところで——


「おはようございます」


 静かな声。


 振り向くと、神宮寺が教室の入口に立っていた。

 いつもより少し早い時間、いつもより少しラフな表情。


「早いな」

「冬木くんこそ」


 彼女は俺の隣の席に座り、鞄を足元に置いた。

 その動作ひとつで、椅子が小さく軋む。


 近い。

 昨日も隣だったはずなのに、朝の静けさの中だと距離が妙に強調される。


◇◇◇


「……それで、練習ってなんだ」


 沈黙に耐えきれず、俺から聞いた。


 神宮寺は一度、視線を机に落とし、ゆっくり息を吸った。


「冬木くんは……誰かの隣に座るの、平気な人ですよね」


「は?」

「正確には、“距離”を気にしすぎない人、です」


 なんだそれは。

 否定も肯定もしづらい。


「別に……普通だと思うけどな」


「それが、私にはできなくて」


 神宮寺は、机の端に指先を置いたまま動かない。


「私は……誰かの隣に座ると、すごく緊張するんです。

 相手が誰でも、です」


 意外だった。


 あの堂々とした挨拶。

 生徒会長の妹として、人前に立つ姿。


「……意外だな」

「よく言われます」


 神宮寺は苦笑した。


「前に立つのは平気なんです。

 大勢に“見られる”のも、慣れてます。

 でも……一対一で、距離が近いと……」


 そこで言葉が途切れた。


 俺は、何も言わずに待った。


「……相手の呼吸とか、視線とか、些細なことが気になってしまって」


 彼女は、自分の胸にそっと手を当てる。


「心臓が、うるさくなるんです」


 その言葉に、胸の奥が静かに鳴った。


(……それで、練習?)


「だから……」

 神宮寺は顔を上げ、真っ直ぐ俺を見た。


「冬木くんの隣で、慣れる練習をしたいと思いました」


「……俺でいいのか」


「はい」


 迷いのない返事だった。


「冬木くんは……近くにいても、圧がないので」


「それ、褒めてんのか」

「褒めてます」


 小さく、でもはっきり言う。


「それに……」

 少しだけ声を落として続けた。

「ちゃんと、相手の様子を見て距離を取れる人なので」


 ……参ったな。


(なんでそんな的確に見てんだよ)


◇◇◇


 二人並んで座ったまま、特に何かをするわけでもない。

 ただ、同じ方向を向いて、同じ時間を過ごす。


 秒針の音。

 廊下を歩く先生の足音。

 外から聞こえる鳥の声。


「……どうだ」

 しばらくしてから聞いた。


「まだ、少し緊張します」

「そりゃそうだろ」


「でも……昨日よりは、楽です」


 神宮寺は小さく笑った。


「隣に座っても、何も起きないんだって……頭では分かってるのに、

 体が勝手に構えてしまってたみたいで」


「無理に慣れなくてもいいんじゃねぇの」


「……それでも」

 彼女は少し考えてから言った。

「誰かとちゃんと並んで歩ける人でいたいんです」


 その言葉は、妙に胸に残った。


(……俺と同じだな)


 “一人でいるのが楽”と“誰とも並べない”は、違う。

 それを俺は、最近ようやく理解し始めていた。


◇◇◇


 教室の扉が開く音がして、三浦の声が響いた。


「おはよー……って、なんで二人してそんな静かな空気なんだよ!

 朝から夫婦か!?」


「違ぇよ」

「違います」


 ほぼ同時に返す。


 三浦は目を丸くしてから、にやっと笑った。


「息ピッタリじゃん」


「お前、朝からうるせぇ」


 その後、黒瀬、佐伯、影森と、少しずつクラスメイトが集まってくる。

 教室はいつもの賑やかさを取り戻した。


 影森が前の席から、そっと振り返る。


「……おはよう、冬木くん……神宮寺さん……」


「おはようございます」

 神宮寺は穏やかに返した。


 影森は、その様子を見て、少しだけ安心したように前を向いた。


◇◇◇


 朝のホームルームが始まる直前。

 神宮寺が小声で言った。


「……ありがとうございました」


「何がだ」


「練習に、付き合ってくれて」


「……別に、何もしてねぇけどな」


「それが、一番助かりました」


 そう言って、彼女はほんの少しだけ距離を縮めて座り直した。


 たった数センチ。

 でも、それは彼女にとって大きな一歩だったんだろう。


 心臓が、少しだけうるさくなる。


(……慣れる練習、してんのは俺も同じかもしれんな)


◇◇◇


 その日の授業中。

 神宮寺は時々、小さく俺に質問を投げてくる。


 影森も、前を向いたまま小声で確認してくる。


 俺はそれに答えるだけ。

 特別なことはしていない。


 それなのに、クラスの空気はどこか穏やかだった。


 “怖い冬木”じゃなく、

 “教えてくれる冬木”でもなく、

 “一緒にいる冬木”。


 そんな認識が、少しずつ根付いていくのを感じる。


◇◇◇


 昼休み前、神宮寺がふと呟いた。


「……隣って、不思議ですね」


「何がだ」

「一番近いのに、一番無理をしなくていい距離な気がします」


 その言葉に、俺は返事ができなかった。


 もし返すなら、同じ言葉になってしまいそうだったから。


◇◇◇


 この日を境に、

 神宮寺は“隣に座ること”に、

 影森は“声を出すこと”に、

 俺は“誰かと並ぶこと”に——


 それぞれ、ほんの一歩だけ慣れていく。


 恋じゃない。

 でも、確実に近づいている。


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