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ヤンキー君は凝り性  作者: 暁 龍弥


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10/20

「声をかけたのは誰でもよかった、はずだった」

 土曜日。

 珍しく朝から制服に袖を通し、家を出る。


 図書室で勉強するため、じゃない。

 いや正確にはそれが“建前”で、本音は——


(……楽しみ、なんだよな)


 あの勉強会の空気が、妙に心地よかった。

 クラスメイトが少しずつ膨らんでいく輪の中で、自分もちゃんと座れている感覚。


 だから今日のことを妹たちに話したとき、「楽しそうやん」とニヤニヤされたのも否定できなかった。


『明日は友達と勉強か〜青春やな〜』


 うるさい。だけど間違ってない。


◇◇◇


 学校に着き、図書室の前へ行くと——すでに何人か来ていた。


「あ、冬木ー!」

 三浦が満面の笑みで手を振る。


 黒瀬もテキストを広げていて、佐伯もノートを開いていた。

 “当たり前のメンバー”がそこにいる、それが妙に嬉しい。


 そして向こうの窓際のテーブルには——神宮寺。


 いつもの整った姿勢で参考書を開き、淡い表情で文字を追っていた。

 その横顔を見た瞬間、胸の奥がわずかに波立つ。


「おはよう冬木くん」

「……ああ。おはよう」


 昨日より自然に言えた。


◇◇◇


「全員そろった?」


 黒瀬が人数を数え始めたとき——


 ガラッ、と図書室の扉が開き、ひとりの少女が入ってきた。


 肩までの黒髪、背は少し低い。

 表情は柔らかいけど、どこか影のある雰囲気。


「えっと……ここ、勉強会してるって聞いたんだけど……」


 声は控えめなのに、明確に届く。


「……誰から聞いた?」

 三浦が聞くと、その少女は視線を泳がせて答えた。


「昨日、クラスの子が……。行ってみたら、って」


 誰でも来ていい場なのは確かだ。

 だから俺は、自然に言った。


「席、空いてるぞ」


 少女は目を丸くした。


「……え、いいの?」

「ああ。来たいなら来い」


 一拍置いて——嬉しそうに、でもどこか怯えたように席についた。


「ありがと……私、影森かげもり紗奈。よろしく」


 影森。

 その名字の通り、影のように存在感が薄い。

 なのに言葉遣いは丁寧で、不思議と耳に残る。


(……悪い奴じゃなさそうだ)


 勉強会はすぐ始まった。


 いつも通り俺が説明して、神宮寺が補足して、黒瀬が要点を書き、三浦が騒ぎ、佐伯が丁寧にノートを取り、影森は——


 静かに、ひたすら聞いていた。


 ノートは驚くほど綺麗。

 字も整っていて、線も歪まない。


 だが質問はひとつもない。

 分からないところがあるのに、聞く勇気がないタイプだとすぐに分かった。


(……妹のマリアと似てる)


 だから説明をひと段落して黒板を消す前に、さりげなく話しかけた。


「影森、ここまでは大丈夫か?」


 ビクッと肩が跳ねた。

 全員の視線が向かってないのに、怯え方が極端すぎる。


「……っ、だ、大丈夫……です」


 声は震えているのに、ノートの字は乱れていない。


(大丈夫じゃねぇな)


 だから、逃げ道を与える。


「分からんとこ、あとで個別に教える」

「え……」


 影森の視線が揺れる。

 それが拒否でも戸惑いでもなく、ただ安心した色へ変わるのが見えた。


「う、うん……ありがとう……」


 その小さな声だけで十分だった。


(質問できない奴ほど、置いていかれやすいからな)


 あの頃のマリアと同じだからこそ、放っておけなかった。


◇◇◇


 二時間の勉強会はあっという間に終わった。


「今日も助かったわーほんと!」

「またやろうぜ!」

「理解進んだ気がする……!」


 それぞれが笑いながら帰り支度を始め、グループは自然に解散へ向かっていく。


 神宮寺と黒瀬が職員室へプリントを返しに行き、三浦と佐伯がコンビニへ向かうという。

 自然な流れで、影森と俺の二人だけが図書室に残った。


「……あの、その、冬木くん」


 静かな声。でも震えてはいない。


「さっき……“あとで個別に教える”って言ってくれたの、ほんとに……?」


「ああ。嘘つく理由ねぇだろ」


 影森は小さく笑った。

 嬉しいというより、“慣れていないのにどう笑えばいいか分からない”笑顔。


「数学……ずっと苦手で……。

 質問すると、クラスの子に笑われることが多くて……だから、質問できなくて……」


(……なるほどな)


 質問できないから成績が落ちて、成績が落ちるからもっと聞きにくくなる。

 悪循環。


「まあ、分からねぇのは悪いことじゃねぇぞ。

 分からないまま置いとくのが一番悪いだけだ」


 影森は、しばらくじっと俺を見ていた。


「……誰でもよかったの。質問できる相手なら、誰でもよかった。

 教えてくれそうなら、それでよかったの。……最初は」


 言い方が気になった。


「最初は?」

「でも……今日の説明、すごく分かりやすかった。

 “怒られない”とか“怖くない”とかじゃなくて……ちゃんと、理解できた」


 その目は、弱々しいのに、芯だけは確かだった。


「冬木くんなら……ちゃんと見てくれるって、思ったから」


 不思議な感覚だった。

 褒められてるのに、重くない。

依存じゃなくて、ただ信頼。


 距離の取り方が難しい相手じゃなく、素直に「助けたい」と思える相手。


「……じゃあ教えるか」

 それしか言えなかった。


 影森は小さく一礼して、席に座った。


「よろしくお願いします」


 机を挟んで向き合いながら、ノートを広げる。

 図書室の時計の針が静かに進む中、質問と解説を重ねていく。


 やっぱり字が綺麗。

 理解力も悪くない。

 ただ「分からないと言えない」だけ。


 そんな単純な弱点に気づくのは、俺の得意分野だ。


(……昔のマリアと、似てる)


 だから放っておけない。


◇◇◇


 ようやく一段落したころ、影森がそっとペンを置いた。


「……冬木くん」

「ん」

「“ありがとう”って言葉しか言えないのが、すごく悔しい」


 その言葉は謝罪じゃない。

 劣等感でもない。

 “追いつきたい気持ち”の重さだった。


「……いいんじゃねぇの。悔しいって思えるだけ、お前は強いぞ」


 影森は目を見開いた。

 ゆっくりと、噛みしめるように微笑む。


「……そっか。そう、だね」


 たぶん、初めて自己肯定の形で笑ったんだと思う。


「じゃあ、テストで結果出してみせる。その時は……自分から堂々と“ありがとう”って言う」


 有言実行を前提とした、宣言の声。


「期待してる」

「うん」


 心の中で、静かに火がつくのが分かった。


 この瞬間だった——

 影森紗奈は、俺の人生における“重要人物”の一人に変わった。


 恋ではない。

 依存でもない。

 ただまっすぐ努力できる、仲間候補。


 友達、になるのかどうかはまだ分からない。

 でも——きっとこの子も“孤独の輪”から救われる日が来る。


 俺がそういう日を迎えたみたいに。


◇◇◇


 図書室を出ると、夕日が窓を赤く染めていた。


 階段を降りた先で、神宮寺が待っていた。

 プリント返却が終わっても帰らずに。


「冬木くん、影森さんと勉強してたんですか?」

「ああ。質問できなかったみたいだからな」


 神宮寺は、わずかに目を細めた。


「……やっぱり、そういうところ、好きです」


 その“好き”は恋じゃない。

 ちゃんと分かっている。

 尊敬とか、信頼とか、そういう種類の言葉。


 だけど——


 胸の奥が二度鳴った。


「……褒めすぎだって言ってんだろ」

「事実なんですから」


 そのやりとりのあと、並んで歩き出す。


 今日は声がかかっていないのに一緒に帰る自然さが——妙に心地いい。


◇◇◇


 校門を出たところで、黒瀬と三浦がコンビニ袋を手にして合流した。


「おー! 冬木! 神宮寺!」

「どしたのー? なんか今日の二人、いい雰囲気じゃねー?」


「黙れ三浦」


 軽口を返しながら——

 気づいた。


 今日の下校の輪は、4人だ。


 数日前は、1人だったのに。


(……こうやって増えていくのか)


 ゆっくりでいい。

 でも確実に。


 友情も、

 信頼も、

 そして恋も——


 長く続く物語の始まりに、ちゃんと繋がっている。



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