戦闘員Aの速度
組織の戦闘員がそこら中で息絶えている。凄惨な光景から施設がどうなったのか想像するに難くなかった。戦闘員Aは状況を確認するべき出来るだけ急いで施設へと向かう。誰か一人でもいれば状況が良くなるかもしれない。戦闘員Aが施設に到着すると蛇の怪人と赤い存在が対峙していた。
組織の戦闘員が無数に倒れている。無残にも砕け散っている姿からは組織の戦闘員が敵対する存在を何とか食い止めようとしていたのを物語っていた。戦闘員Aは自分と同じ姿をした組織の戦闘員が倒れているのを見ながらも、今の状況を食い止めようと思っていた。食い止められなくても、施設の研究成果だけは組織に伝えなければならない。敵対する存在に対峙して少しでも時間稼ぎをすれば、研究結果を屋外に持ち出しやすくなる。戦闘員Aと戦闘員Bが木の根っこを飛び越えながら走っていると戦闘員Bが呟いた。
「ひでーありさまだな」
戦闘員Aは戦闘員Bの言葉に対して、何も言えなかった。
組織の戦闘員はあまりにも無慈悲な姿で打ち砕かれており今までの戦闘訓練の意味を否定するものでさえあった。戦闘員Aが組織の戦闘員のまま死にたくないと願っていても現実は一個体の生死など気にしない。ハエは気分によって叩かれ、家畜は泣き喚いても逃げられない。だからこそ、現実は現実として成り立っているのであり現実は絶対的な強者だった。組織の戦闘員の無残な死体が現実のために必須である。戦闘員Aと戦闘員Bはさっきと同等の凄まじい爆発音を聞いて足を止めた。
戦闘員Aは自身の予測を口にする。
「もうすでに決着はついているのか!? 」
襲撃用の警戒音が鳴りしたときには、敵対する存在の襲撃が既にかなり進行していたのかもしれない。現時点では敵対する存在を排除するための戦いではなく、決死の覚悟で研究成果を持ち出そうとしているのかもしれない。どちらにしても施設に到着しなければ状況は不明のままだった。二名の人材が到着すれば少なくとも二名の人材が力になる。戦闘員Aと戦闘員Bはまた走り出した。
いくら走っても組織の戦闘員がそこら中で息絶えている。両腕がなくなっている者や胴体に穴が開いている者や顔面が粉砕されている者もいる。戦闘員Aは死の未来へと走っているような感覚に陥っても全速力で足を回転させた。それは毎日の組織の理念への信望によるものであると同時にこれまでの戦闘訓練の賜物でもある。組織の戦闘員としての行動原理に戦闘員Aは駆られていた。組織の理念のために生きることこそが世界の進化させる礎になる。
戦闘員Aは組織の理念を信じて走っていたが施設に到着すると手前に密集する木々で足を止めてしまう。理由は単純明快で、赤き存在の前で一体の蛇の怪人が膝を着いていたからだった。もう一体の蛇の怪人は目を見開いて口を大きく開いて倒れている。戦いがどのような経緯だったのか想像しやすく、この後の結末も簡単に予測できた。戦闘員Aは援護に行くべきだと思っていても足を踏み出せない。自分が戦力になると分かっていても、敵対する存在にとっては森の中で倒れていたような組織の戦闘員の一体でしかない。
戦闘員Bは施設の状況を見ると自分たちが次のやらねばならない行動を意見する。
「ここがやられたことを早々に伝えるべきだな」
戦闘員Aは戦闘員Bの発言の意味を重々に理解していた。組織の施設が襲撃されて破壊されたというのを伝えるためには、この場から立ち去らなければならない。施設が潰れたという情報をいち早く共有できれば敵対する存在への対応もそれだけ早くなる。危険予測や施設や設備の設置などの質の向上も戦いの経験からもたらされたものだった。しかし、この場から逃げ出すということは組織の理念や今までの戦闘訓練で教えられた内容から逸脱するということでもある。
戦闘員Aは組織の理念と最善の行動の狭間で口を紡ぐ。戦闘員Aは死を恐れていたが、理念を捨ててしまった組織の戦闘員になるのも恐れていた。戦闘員Aがこれまでに組織の理念を軽はずみにしたことなど一度もない。そのおかげで自分の誇りを持って生きられる。戦闘員Aが戦闘員Aであるためには組織の理念のために生きるというのは必須条件だった。
戦闘員Bは戦闘員Aが葛藤している様子に興味なさそうだった。いや、これまでと違って軽蔑の意味も含まれているのかもしれない。戦闘員Bは戦闘員Aに捨て台詞を吐き捨てるように言った。
「勝手にしろよ」
戦闘員Bはその場から去っていっても戦闘員Aは木の後ろで赤い存在と蛇の怪人を注視していた。赤い存在は勝利が約束されているかのように蛇の怪人の前で雄弁に語っている。
戦闘員Aは赤い存在が自由と平和を説きながら組織の戦闘員や怪人を排除するのはお馴染みの光景を目にしていた。組織に組織が排除さえなければならないと伝える一連の流れが赤い存在にとっては必要なのだろう。赤い存在は組織が人類にとってどれだけ脅威なのかを説いていた。赤い存在は筋肉が隆起している腕を前に振りかざす。
「森に住む動物や人々を欲望のための実験材料にしていたお前たちを決して許すわけにはいかない!! 」
蛇の怪人は腹を抑えながらもかろうじて立ち上がる。蛇の怪人は今にも消え入りそうだったが蛇の怪人の顔はにやりと笑っていた。
「お前たち人間がやっていることを我々がやったら悪なのか? お前たちの自由と平和とはお前たちによる自由と平和に過ぎない。だから、我々は弱い存在を強くしようとしただけだ」
赤い存在が蛇の怪人の主張をかき消すように腕を強く振って反論する。
「人類は未熟だが、全ての動物や人々が自分のありたい姿でいられるように努力し頑張っている人たちもいる! お前たちがやっているのは他人を勝手に作り変えようとしているだけだ!! そこの自由も平和も意志も決して存在しない!! 」
蛇の怪人は腹を抑えるのをやめると臨戦態勢に入った。蛇の怪人の目にはすさまじい憎しみが宿っている。
「人類が未熟だが? お前たち人間が虐げてきた存在への言葉がそれか!! 豚を殺し、鳥を殺し、蚕を殺し、狼を殺してきた人間の言葉がそれか!! お前たちの理想などお前たちを存続させるものでしかない!! 人間こそは虐げられてきた者たちの痛みを知るべきなのだ!! 人間こそが虐げられるべきなのだ!! 」
赤い存在は蛇の怪人の言葉を真っ向から否定すると同時に、赤い存在の身体からは赤い蒸気が立ち込める。赤い存在が対話を終わらせて勝負を終わらせようとしているのは明らかだった。赤い存在が必殺技と呼ばれる攻撃を繰り出す前に自身の身体から赤い蒸気を噴出するのは戦闘員Aもよく知っている。赤い存在の必殺技は一日に何度も放てるものではないので赤い存在が必殺技を失敗すれば状況は少しだけ有利になる。
赤い存在は最後の演説をするように話しかけながら腰を低く落とした。
「確かに人は今も昔も多くの過ちを繰り返してきた!! でも! 人はいつだって誰かの不幸を悲しみ、誰かの幸せを願ってきた!! 人間は人間以外の動物たちだっていつかきっと幸せにしようと思えるはずだ!! 俺は人を信じる!! 」
赤い存在が真っ赤な蒸気に包まれるのに呼応するように蛇の怪人の目は怒りに満ち満ちていく。赤い存在が力強い一歩を踏み込んで走り出すと蛇の怪人も赤い存在に向かって正面から向かっていった。赤い存在はこの一撃によって組織の怪人を何度も何度も滅ぼしてきた。赤い存在が組織の怪人を倒せば倒すほど組織全体の活動は鈍くなる。全ての人々が安心して暮らせる社会のために。全ては人々の自由と平和のために。
赤い存在は未来の人々のために蛇の怪人の頭を拳で貫こうとしていたが、太ももに鋭い痛みが走り体勢を崩してしまう。蛇の怪人も死を覚悟していたのかように膝から崩れ落ちてしまいそのまま地面を転がった。赤い存在はすぐに体勢を整えて痛みの元になった方向を見ると、そこには赤い存在が無数に倒してきた組織の戦闘員が立っている。そこに組織の戦闘員が立っていようが戦況は決して変わることはなく、施設が崩壊したという事実は未来において変化はない。それでも、戦闘員Aはそこに立っているのだった。