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苦手な方はご注意ください。

ファンタジア異聞録 -思いついてしまった異世界短編集-

はしれはしれ異世界トラック

作者: 海坂内海

 聖アルストロメリア王国は存亡の危機に瀕していた。

 いにしえからの封印が破れ、強大な力をもつ魔王が復活したのである。

 魔王はその恐るべき力で魔物の軍勢を従え、人間の領域へ侵攻した。

 王国軍は各地で善戦したが敗北をくりかえし、遂には王都近辺まで後退せざるを得なくなっていた。


 事ここに至り、王国側は禁忌とされる『召喚の儀式』を敢行することを決定。

 それは異世界から魔王に対抗しうる存在を強制的に呼び寄せるという非人道的な魔術であった。


「よろしいのですか王様。伝承では召喚された勇者は魔王を封印した後にハーレムを築き、傍若無人の限りを尽くしたと聞きますが」

「そんな事を気にしている場合ではない!ハーレムがなんだ!魔王を退けねば我々には明日すらもないのだぞ!」


 疲労で血走った目で、口の端から泡を飛ばしつつ王様は怒鳴った。


「儀式の準備を進めよ!」


 -


 彦山田ひこやまだ 甚六じんろくという男がいた。


 彼の年齢は50に差し掛かろうとしていたが家族はおらず、気ままな独身生活を楽しむ身の上である。

 大型トラックの運転手として働きながら酒と煙草と趣味の賭け事で休日を潰すのが常だった。

 その不摂生な生活態度が祟ったのか、彼には心疾患の持病があったが医者に掛かろうとは思わなかった。

 金がかかるし、なにより面倒臭かったからだ。


 そして溜まりに溜まったツケが回ってきた。


 甚六が近道のため、通行を禁止されている通学路を急いで抜けようとアクセルを踏み込んだ時である。

 突然、彼の心臓を激しい痛みが襲った。呼吸ができなくなり、甚六は自分の胸を掻きむしるようにしてもがいた後、ハンドルに突っ伏した。


 急速に意識が遠のいていく。その足はアクセルペダルを強く踏みつけたままだったが、そんな事を気にかける余裕もなく、彼の魂は遥か彼方へと飛び去った。


 -


 逆十六夜さかいざよい 恋斗れんとは平凡な高校二年生である。

 ひょろっとした体型、目が隠れるほどに伸ばした前髪、口癖は「やれやれ」だ。

 彼は今日も退屈な日常を送るために通学路をだらだらと歩いていた。


 ふと彼の目に道路を横切ろうとする猫の姿が映る。同時に、前方から唸りを上げて走ってくる大型トラックの不自然な挙動にも気がついた。運転席の男は居眠りしているようで、ハンドルに顔を伏せたままだ。


 このままじゃ猫が……!


 恋斗はとっさに駆け出した。走りながら小脇に抱えていた学生鞄を猫めがけて放り投げる。

 それに驚いた猫はぴょんと跳ねると全速力で道路を渡っていなくなった。


 その場に残されたのは恋斗と、スピードを落とすことなく突っ込んでくる大型トラック。

 ああ、これは死んだかな。恋斗が思わず目を閉じた、その時。


 なんの前触れもなく彼と大型トラックの間の空間に、巨大な青白く輝く魔法陣が展開された。


 加速度を保ったままの大型トラックが魔法陣に正面から接触し、車体が音もなく飲み込まれていく。やがてすべてを飲み込んだ魔法陣は、出現した時と同じように瞬時に消失した。数秒後、不思議に思った恋斗は目を開けたが、そこにはいつもと変わらぬ通学路の光景が広がっていた。


「夢でも見たか。やれやれ、変なことが起きるもんだ」

 そう言いながら逆十六夜さかいざよい 恋斗れんとは失禁で濡れたズボンを履き替えに家への道を急ぎ足で戻っていくのだった。


 -


 かくして悲劇の準備は整った。


 -


 聖アルストロメリア王国の神殿では『召喚の儀式』が行われていた。

 数名の神官が円陣を組み呪文の詠唱を続けるその中心に、巫女である王国の姫が膝をつき、一心に祈りを捧げている。


(勇者様、どうかこの国をお救いください。悪しき魔王を討ち滅ぼし、そして全てが終わった暁にはわたくしと……)


 姫の中では、すでに顔面偏差値の極めて高い異世界の勇者が召喚される未来が見えていた。

 おとぎ話でしか聞いたことのなかった勇者を実際に召喚する。その行為に対する興奮と自分の理想とが頭の中でごちゃまぜになった彼女は、多少の我欲を交えつつも懸命に呼びかけを続ける。

 やがて願いが通じたのか、神殿内の空気が急激に変化した。


 祈りを捧げる姫の目の前、神殿内部の中空に巨大な魔法陣が浮かび上がる。

 誰かが息を飲んだ。

 青白く輝く魔法陣は静かに回転しながら徐々に強く光を放ち始めた。


「さぁ!おいでくださいませ!勇者様!」

 眩しさで半目になりながらも鼻息荒く姫は立ち上がり、両腕を大きく広げた。世界を超えて現れた英雄は最初に美しい姫君を見て一目惚れし、そして彼女のために悪の魔王を打ち倒す決意を固めるのだ。

 勇者の召喚を孵化した鳥の刷りこみ行動と混同している節もあったが彼女としては真剣そのものの行為である。


 音がした。

 地鳴りにも似た、何かが激しく振動する、巨大な獣の唸り声のような音。

 そう、まるで硬い地面の上を弾力のある車輪が高速で回転しているかのような音が。


 さすがに姫が違和感を覚えて、魔法陣から距離を置こうと後ずさったその時、彼女の靴のかかとが石の破片を踏みつけた。そして、その偶然が彼女の命を救った。


 悲鳴を上げながら仰向けに倒れる姫の鼻先をかすめるように、大型トラックが魔法陣から飛び出した。

 魔法陣に飲み込まれた際の推進力を維持したまま、宙に飛び出した大型トラックはそのまま神殿の壁を突き破り、荒れ狂いながら突き進んだ。


「なななんだこいつはうわっぎゃあああ!」

「化物だ!ひええええ助けてええええ!」

「きゃあああ来るなっこっちに来るっあああああ!」


 数世紀に渡り使われることのなかった召喚儀式用の神殿は老朽化が進んでおり、その事も被害の拡大に手を貸した。装飾品が飛び、柱が倒れ、床は裂け、天井は崩れ落ちてステンドグラスが粉々に砕け散る。

 神殿内はたちまち阿鼻叫喚の地獄と化した。


 やがて。

 もうもうと立ち上るほこりと瓦礫、抜けてしまい青空が見えるようになった天井、あちこちに転がりうめいている怪我人たち。その真ん中でひとり、姫はただぽかんとした表情で座り込み、爆音を上げながら遠ざかっていく大型トラックを眺めていた。


 -


「人間どもが召喚の儀式を成功させただと?」


 斥候として王国上空に派遣していた鳥型の魔物が持ち帰った情報に、魔王は片眉を上げて応えた。

 追い詰められた人間たちがいずれ『召喚の儀式』に頼るのは予測していたが、まさか王都を包囲した程度で勇者に頼るとは。

 昔の人間どもならば、戦える者も食糧も、底をつくギリギリまで堪えてからようやく召喚に踏み切ったものだが。自分が封印されている間に人間どもの考え方は、より利己的に傾いたものと見える。


 それはそれとして。

 魔王は玉座から立ち上がり哄笑した。


「先代の勇者は確かに強かったが余を封じるのが精一杯であった!その後継がいかほどのものか、確かめてくれるわ!」

「あのう、それが魔王様。実はですね」


 いきりたつ魔王に対して、申し訳なさそうに部下が耳打ちをする。


「……召喚された勇者が暴れている?何故だ?」

「わかりません。とにかく召喚された勇者は神殿を破壊し、人間どもを蹴散らしながら王国の旧市街を猛進しております」


 ありえない話ではないな、と魔王は考えた。

 もともと『召喚の儀式』は異世界の存在を強引に呼び寄せる魔法である。召喚される側の都合などは微塵も考慮されておらず、そのことが気に食わなかったに違いない。


「まあ、それならそれで良い。暴れさせておけ。我らは高みの見物といこうではないか」

 勇者と人間。勝手に潰しあってくれるならそれに越したことはない。

 この時、魔王はそう考えていたのだが、後にその判断が誤りだったと知ることになる。


 せめて件の『勇者』がどのような容姿であるかを尋ねていれば、あるいは。


 -


 暴走する大型トラックは王国の旧市街を南下していた。

 王国の旧市街は木造建築の建物が大半を占めており、それらに体当たりをして粉々に打ち砕きながら鋼鉄の怪物は走り続ける。

 運転席でうつ伏せた甚六の死体は死後硬直が始まっており、多少の衝撃ではアクセルから足が外れるような様子はない。おまけに標準搭載されているはずの自動ブレーキシステムはとっくに壊れていた。


「あぶないっ!にげろーっ!」

「みんな隠れろ!道に出るんじゃない!」


 逃げ惑う市民たちを歯牙にも掛けずに大型トラックは爆走する。

 やがてその前方に王都と外部を隔てる巨大な門が見えてきた。


 この時、門の警備を任されていた騎士団長は遠くから土煙を上げながら進んでくる大型トラックを見て、咄嗟に判断を下した。

 あんなデカい怪物がぶつかれば幾度も敵の攻撃を退けてきた堅牢な門とはいえ、無事ではいられまい。しかも外側には魔王軍がひしめいており、門扉が壊れたと気付けばそこからなだれ込んでくるに違いなかった。

 とすれば、いま出来る事はひとつしかない。


「急いで鎖を巻き上げろ!開門してあの怪物を外に追い出すぞ!」


 騎士団長の指示を受けた兵士たちが巻き上げ機に取り付き、全力で門を開きにかかった。

 ぎしぎしと鳴きながら錆の浮いた頑丈な鉄の扉が上がっていく。


 兵士たちは歯を食いしばり、必死に鎖を引き続けるが、やはり開き方が遅い。それもそのはず、平時であれば通るのは大きくともせいぜい馬車や兵器が関の山である。それを大型トラックが接触しない高さまで開門させるとなれば、尋常ではない力が必要となるに決まっていた。

 いまや威容を重視して作られた巨大な門扉の構造こそが最大の障害であった。


 その間にも、轟音を立てながら大型トラックが迫る。


 両手の皮が擦り剥けて血が流れる。爪が割れ剥がれて落ちる。鎖の間にあごひげを巻き込まれ引きちぎられる者もいる。

 兵士たちは苦痛の悲鳴をあげつつも、ひとりとして巻き上げる動作をやめようとしなかった。それはこの門を守ること、ひいては王国の人々を守ることに対する彼らのプライドの証明でもあった。


「もう少しだ!力をふり絞れ!俺たちが国を守るんだ!」

 兵士たちを激励しながら騎士団長は剣を抜き払い、その脇を駆け抜けた。巻き上がった鉄扉の外に飛び出ると張り巡らせた堀の外にひしめく魔王軍の陣容を見据える。予想通りに大きく開きつつある王都の入口を目指して、無数の魔物たちが押し寄せてきていた。


「出ていけ怪物め!魔王と遊んでこい!」

 騎士団長の剣が煌き、跳ね橋を支えるロープが断ち切られた次の瞬間。

 開かれた鉄扉をわずかに擦りながらくぐり抜けた大型トラックが、降りかけた跳ね橋をジャンプ台代わりにして魔王軍の中へと飛び込んだ。


 血飛沫。破砕音。咆哮。絶叫。

 死と破壊と混沌をふり撒きながら遠ざかっていく大型トラックの後ろ姿を、騎士団長は額の汗をぬぐいながら見送った。


 -


 大型トラック『ジガンテ』は全長19980mm、全幅2490mm、全高は2880mmである。

 最大積載量は15490kgであり、車両積載量は24880kgに及ぶ。

 バンボディ(荷台が箱型)タイプの車両であり、長距離輸送業務で活躍している。


 いや、活躍していた。

 それはいまや過去の話だ。

 この世界において『ジガンテ』はその名の示す通り、破滅をもたらす無慈悲な『巨人』であった。


 逃げるゴブリンたちがまとめて撥ね飛ばされる。噛み付こうとしたブラッドウルフが敷物になる。オークの振り上げた棍棒は振り下ろされる前に宙を舞い、リザードマンは口から内臓をすべて吐き出した。イビルホークが組み付こうとして翼をもぎ取られ、ガスエレメントは触れる前に風圧で霧散した。ゼリーマン、デスプラント、スケルトン、首なし騎士、ワータイガー、サンドワーム、水妖、おおだぬき。魔物たちが無謀にも『巨人』の行く手を遮ろうとして次々と散っていく。

 その体液や肉片でデコレーションされた大型トラックは、死の具現として戦場を支配していた。


「勇者だかなんだか知らねえが、このババズロクス様に勝てるものかァ!俺様は!魔王様の次に!強ェんだ!」

 伝令から勇者の接近を知らされた魔将軍のひとり、豪腕のババズロクスは四本腕を胸の前でうち合わせながら吼えた。

 雄叫びと共に岩のような全身の筋肉が隆起し、脈動した。腹筋が違う生き物のようにうねり、大胸筋がぶるぶると震え、上腕二頭筋が音を立てるような勢いで引き絞られる。流れるようなポージングを決めたババズロクスに、側近たちが感嘆の声をあげて拍手した。


「ババズロクス様、勇者がすぐそこまで迫っております!」

 駆け込んできた別の伝令に片手を上げて鷹揚に応えると、ババズロクスは椅子から立ち上がりテントの外に出た。魔物たちを蹴散らしながら、四角形の何かがこちらに向かってきているのが見える。


 ふん、大したことはない。

 彼は自分の筋肉と腕力に絶対的な信頼を置いていたし、それを振るうことを躊躇しない性格であった。未知の存在であろうと、例えそれが異世界からやってきた存在であろうとも、自分の力を持ってすればねじ伏せられるはずだ。


 ババズロクスは軽く柔軟体操を行うと、四本の腕を大きく広げ、そして構えた。

 正面からぶつかり、完膚なきまでに叩き潰す。その気迫が全身からオーラのように立ちのぼっていた。

 その光景を見たギャラリーの魔物たちから賞賛の激が飛ぶ。


 が。

 大型トラックが徐々にその距離を縮めてくるにつれ、ババズロクスの顔色が変わってきた。

 距離が開いていたせいで最初は大したことないと思っていたが、よくよく見るとあまりに巨大すぎる。おまけにあの速さ。あんな速度で走るやつは見たことがない。もしあいつと正面からぶつかったら果たして勝てるのか。


 いや、やるしかねえ。

 ババズロクスは唾を飲み込み、構えを新たにする。

 大丈夫だ。俺は強い。俺は強い。俺は強いんだ。俺ならやれる。やる。やるんだ。


 気が付くと大型トラックはもう目の前までやって来ていた。

 轟音と共に鼻をつく血とガスの臭いに、ババズロクスはふと思った。

 ああ。もしかするとこれが恐怖というものなのか。額から汗が流れ落ちババズロクスの頬を伝ったが、もしかするとそれは涙だったのかも知れない。


「勇者ァ!いざ尋常にしょッ」

 ババズロクスは最後まで言い切ることが出来なかった。


 -


 シリンダーの内側で空気が絶えず吸入され、圧縮され、燃料は燃え上がり、爆発的なエネルギーを生む。

 その圧倒的なまでのパワーはすべてが走りに転化され、大型トラックは走り続ける。

 魔王軍が王国を包囲するべく障害物の少ない平原に陣を敷いていたことも、走行面に関して極めて有利に働いていた。恐るべき暴力が、すべてを蹂躙しながら道なき道を進んでいく。


 その頃、魔将軍のひとりである謀略のクシュカダンは、ババズロクス敗北の報をいち早く手に入れていた。召喚の儀式が行われてからババズロクスが敗北するまでの時間があまりに早すぎる。

 そして勇者の進行ルート選択に、クシュカダンは内心で舌を巻いていた。


 実のところ王国を包囲するにあたっては南側に最も厚く魔物の軍勢を配置し、それ以外の方角には様々な罠を仕掛けてあった。大軍相手の戦いを避けようとすればするほどドツボにはまるという嫌らしい作戦であったのだが、勇者はそれを見抜いたかのように魔物の中に飛び込み、迷うことなくこちらに向かってきている。

 このまま南下を続ければ、最奥に陣を敷いた魔王様の本陣まで一直線にたどり着くことになるだろう。

 即決果断、おまけに強く、そして早い。


「さすがは勇者、恐るべしじゃな」

 クシュカダンは皺の寄った細い指で杖を弄びながら思考した。実際には大型トラックは奇跡的な確率で自走を続けているだけであったが、彼にそんな事は知る由もない。


「じゃが筋肉以外に取り柄のないババズロクスの奴と一緒にされてはたまらん。細工を弄させてもらうぞい」

 クシュカダンが杖を天にかざして呪文を唱えると、たちまち周囲に濃い霧が立ち込め始めた。いつしか太陽は黒い雲に遮られ、平原の一角は不自然に暗く湿った空気に覆いつくされた。


 続いて懐から取り出された水晶が、走り続ける大型トラックの姿を鮮明に映し出す。それを見てクシュカダンは己の推測が当たっている事に満足げな笑みを漏らした。

 やはり『勇者』はあの巨大な四角い走る箱ではなく、その内側にいるちっぽけな人間である、と。

 

 人間は脆弱である。肉体も、そして精神も。長く生き、また経験から老獪さと狡猾さを兼ねそなえたクシュカダンは勝利を確信した。


 大型トラックは相変わらず走り続けていたが、その車体はいつの間にか深い霧の中を進んでいた。

 あれほど執拗に襲い掛かってきていた魔物の姿は消え、代わりに空中に何かが浮かび上がってきていた。

 

 それは『記憶』だった。


 幼い子供のころの記憶、両親の記憶、仲の良い友達との記憶、初恋の記憶。

 楽しかった事、嬉しかった事、悲しかった事、つらかった事。

 フロントガラス越しに様々な思い出が現れては消えていく。

 そして最後に、ぼんやりとした、優し気な雰囲気をまとった幻影が現れた。


(もうおやすみなさい……戦いはやめて……ゆっくりと深呼吸して……)


 だが、大型トラックは止まらない。幻影の呼びかけや霧に浮かび上がる記憶の数々は確かに感動的ではあったが、ことごとく具体性を欠いていた。

 本来であれば対象の記憶をもとに構築されるはずの幻影が、抽象的にならざるを得ない理由はもちろんひとつしかなかった。運転手の甚六が死んでいるからだ。


「馬鹿な!わしの幻影術は心持つものならば誰にでも通じる!勇者はやはり人間ではないのか!?」

 そんなこととは知らないクシュカダンは策の失敗を悟って地団駄を踏んだ。

 あわてて次善の策を、と湧き出す霧に強力な毒を混ぜ込んでみたものの、やはり大型トラックの中の『勇者』は身じろぎ一つしない。抗毒の魔法の使い手なのか、はたまた魔法そのものを無効化するすべを知っているのか。


 その間にも水晶に映った大型トラックはぐんぐんと進み、その前方にどこか見覚えのある背中が迫っていた。はっとして振り返ったクシュカダンは、すぐ目の前まで迫った巨大なフロントバンパーを見て絶叫する。

 

 水晶が粉々に砕け散り、宙に舞った。


 -


「ババズロクスとクシュカダンがやられただと!」

 魔王は玉座から勢いよく立ち上がった。勢いが良すぎて床板が割れ、若干よろめいた上に立ちくらみがしたが、そんなことを気にしている余裕はない。


「あり得ぬ!あの二人は余の腹心、それがこの短時間に続けて敗れるなど!」

 自分は勇者の力を見誤ったのか。苛立ちと困惑を隠せぬまま、魔王はうろうろと本陣の中を歩き回った。


 召喚された勇者が人間どもと仲違いし、暴れているとの報告を受けたのがほんの数時間前である。

 そこからわずかばかりの間に、王国の城門から飛び出したそいつが陣を切り裂きながら迷いなくこちらへ向かってきているという。移動速度も戦闘力も、以前自分が戦った勇者とは比べ物にならない。


 一瞬、この拠点を放棄して魔王城で迎え撃とうか、という後ろ向きな考えが浮かび、自分ですぐに否定する。余自身がわざわざ軍勢を率いて出陣し、王国へ攻め込んだというのに勇者が来たからと撤退しては配下に示しがつくまい。

 そもそも過去に封印された雪辱を果たすのも、我が目的のひとつである。

 目標を見定めて、ざわめいていた心が静まっていくのを魔王は感じた。


「よかろう、では余自らが相手をする。人間どもの切り札である『勇者』が孤立無援で、わざわざ首を差し出しに来るのだ。僥倖であろう」

 余裕に満ちた態度を取り戻した魔王の姿に、配下たちは安堵した。

 と、そこに伝令の魔物が知らせを持ち込んできた。


「勇者が現れましたっ!」

 緩みかけた空気が急激に引き締まる。

 魔王は無言で深紅のマントをひるがえし、しっかりとした足取りで陣幕を押し上げると本陣の外に出た。

 戦う前にどんな言葉をかけようかと思案しながら、緩やかな丘の上から勇者が現れたという方角に目を凝らした。


 見たこともない、巨大な四角い箱が向かってきていた。


 魔王の口がぽかんと開く。

 なんだあれは。


「おい貴様!あれが勇者だとでも言うつもりか!?」

「はっ、あれこそがババズロクス様とクシュカダン様を倒した勇者に他なりませぬ」


 いやいや、どう見てもおかしいだろう。

 まず二足歩行の人間ですらないし、やたらと巨大なうえに形状や材質が見た目からして無機質すぎる。なぜ報告しなかったのかと言いたくなったが、魔王はあることに気がつき、言葉を飲み込んだ。

 自分が封じられている間に配下の魔物たちは世代交代をくりかえし、もはや『勇者』がどのような存在であったか知る者はほとんどいない。現代の魔物にとってみれば人間どもが召喚したのだからそれが『勇者』である、と考えてしまうのも不思議な話ではない。

 無知であるが故の思い込みであり、それは同時に、そのことに思い至らなかった魔王自身の失策であった。


 ええい、悔やんでも仕方がない。

 気を取り直し、魔王は配下たちを無残に轢殺しながら進んでくる『勇者』の姿を見定めに掛かった。


 さまざまな魔物の血と体液、骨や肉でまだらになった姿の四角い箱はおそろしく速く、不気味である。

 が、よく見るとその足元では黒い巨大な車輪が高速で回転しており、箱は人間どもが操る馬車の一種ではないかと魔王は考えた。

 ならば御者がいるはず、と探せば箱の内側、ヒビの入った正面のガラス越しにうつ伏せた男の頭頂部だけが見えた。間違いない、あれこそが本物の『勇者』だ。


 にやりと笑った魔王は思い切り大地を踏み込み、飛翔した。突進してくる大型トラックの正面に華麗に着地し、間を置かずに両手にこめた魔力を解き放つ。周辺の温度が下がり、魔王の足元からパリパリと音を立てて急激に霜が広がった。


「そこだっ!くたばれ勇者!」

 手の中で構築された鋭い氷弾が無数に放たれ、大型トラックのフロントガラスが派手な破砕音と共に砕け散った。いくつかの勢いを失わない氷弾は運転席にうつ伏せた甚六の死体の頭や背中に突き立って骨を削り、肉を吹き飛ばす。

 硬直した身体が強制的にガクガクと揺さぶられ、甚六の死体は勢いをつけて助手席側へ倒れこんだ。

 その衝撃で大きくハンドルが切られ、大型トラックは氷魔法を撃ち終えた魔王の脇をすり抜ける直前に横転した。


「確かに仕留めた!勝ったぞ!巨大な馬車で余を轢き殺そう、などとは浅薄の極みである!」

 悲鳴のような擦過音を上げながら凍りついた地面をすべり、火花を散らしながらぐるぐると回る大型トラックに背を向けたまま、魔王は両手を大きく掲げて哄笑した。


 さて。

 大型トラックの背部、荷台の扉を施錠する装置は、召喚されてからここに至るまでの行程でかなりの衝撃を受けていた。数え切れないほどの魔物を撥ね轢き潰し粉砕してきた結果、自動ロック機能に障害が出始めていたのである。

 それこそ大きな衝撃を受ければ壊れてしまいかねないほどに。


 そして大型トラックは横転した。

 激しい振動と衝撃のなか、ロックは解除され、荷台の扉が勢いよく開放された。

 積荷が遠心力の助けを借りて、勢いよく飛び出した。


 ずどん、と音がした。


 魔王が自分の胸元に違和感を感じて視線を下げると、そこから銀色の、長いトゲのようなものが突き出ていることに気がついた。

 どうやらそれは自分の背中側から胸へと貫通しているようだ。

 首をゆっくりと回して振り返ると、白く凍った背びれと尾ひれが見えた。


 凍ったカジキマグロが、魔王の背中に突き刺さっていた。


「え?」

 魔王の身体が発光を始めた。

 指先が、髪が、ぼろぼろと崩れ落ちていく。


「え?」

 魔王はもう一度つぶやいた。

 周囲の魔物たちが戸惑っている姿が見えた。

 背中に刺さった冷凍のカジキマグロと、他の凍った海産物をまき散らし回転しながら遠ざかっていく大型トラックが見えた。


「なんだこれ」

 それが魔王の最後の言葉となり、彼の肉体は爆散した。


 -


 聖アルストロメリア王国には巨大な石像がふたつある。

 ひとつは救国の姫君と呼ばれた女性の像であり、プレートには単身魔王の元へ乗り込んで打倒した物語が綴られている。もうひとつは栄光ある騎士団の像であり、騎士たちが王国の門を守護する姿が迫力をもって刻まれている。

 かつて存在した魔王を倒し、王国に繁栄をもたらした英雄たちの物語はいまなお形を変えながら語り継がれているのだ。


 それとはあまり関係のない話だが、王国のとある場所には立ち入り禁止の区域が設けられている。

 あるのは廃墟と化した神殿跡で、そこはかつて災厄が呼び出された場所と噂されており、誰も立ち入ることができなくなっている。



 それだけの話だ。

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