貴族様との戦い(1)
魔法。
サラりと出たマリンの言葉が、ずっと頭の中で回り続けている。
一般的に考えて魔法とは、知識と努力の集合体だ。勉強を続けることによって成績が伸びるのと同じだと思えばいい。
ただその伸びた成績を、さらに現実世界に現象として発現するだけの能力もまた必要というだけで……。
……って、これじゃ現実逃避だ。
そうじゃなくて、だ。
この世界の魔法がもし、火の玉を飛ばしたり風を起こして身を切り裂いたりするようなものなら、俺はすぐさま敗北を喫してしまうだろう。
なんせ魔法に関する知識がないのだ。
努力や経験といったものがこの身体に蓄積していようとも、扱うための前提条件が無ければ何の意味もない。
呪文があるのか魔法陣で発動するものなのか、道具がいるのか動作が必要なのか、声を発するのか杖を振るうのか……そうした物語によくある『お約束』が、全く分からない。
これでどうやって魔法を発動しろと言うのか……。
……こうなったら、浅い知識で思いつく方法を取るしか無い。
つまりはそう――短期決戦だ。
魔法を使われるその前に、相手を倒す。
この身体に沁みついた経験を最大限用いることが出来て、最もボロが出ない方法は、むしろそれしかない。
「……よしっ」
控え室を出てからしばらく歩き、約束の場所へと向かう。
マリンに場所を聞いておいて良かった。でなければ、読めない文字の案内板を頼りに歩くことになっていた。
「……ん?」
と、開いた両開きのドアの向こうに、食堂にも似た喧騒が広がっているのを感じる。
大勢の人の気配があるような……なんて考えは、中に入る直前で正しかったことを思い知る。
競技場のような場所、と言えば良いのか。
広さとしては食堂の二倍か三倍はある。
テレビとかで見る陸上競技場か、サッカーのフィールド程はあるだろうか? これで一学科分……? かと思ったが、そういえばマリンは、三年生になってからはこの広い場所を全員で使うことのほうが多い、と言っていた。
別の場所に行くのは、事前に教導官(先生のようなものだろう)と少数訓練の約束をしている者や、街へ出て騎士らしいことをしている人だけらしい。……騎士らしいが何を指すのかは分からなかったが。
ともかく、三年生にもなると自主的な訓練が主になるということは、こういうことなのだろう。
で、そのだだっ広いフィールドの中央に、例の貴族様が一人で立っていた。
ならさっきの喧騒は? と思って少し視線を上にしてみれば、そこには大勢の生徒が立っていた。
本当、陸上競技で観客がいる二階席みたいな感じがする。椅子はないようだが。
まるで見世物みたいだな……が、まああの静まり返った食堂でアレだけの言い合いをして喧嘩になったのなら、邪魔にならない位置で見てみたいという気持ちもわかる。
……もしくは、あの貴族様がその威張り腐った態度を用いて、邪魔にならないようにという名目で自分を見せびらかすために上に移動させたか、だな。
その肝心の貴族様はと言えば、青銅に輝く鉄の鎧に身を包まれていた。
全身鎧――という程酷くはないが、兜・軽鎧・腕具・脚具と、ほぼ全ての急所を守っている。
全身鎧は重いが身をしっかりと守りたい。そんな臆病者な空気が見て取れた。
「大層な格好だな」
「貧乏人らしい格好だな」
近付きながらの俺の嫌味に対しての軽快な返し。正直ちょっと感心してしまった。
確かにこちらの格好は制服のままで、防具らしい防具は何もつけていない。
「勝負は実戦形式で文句ないな?」
「もちろんだとも」
貴族様の言葉に返事をした所で、自然と身体が動いた。
百メートル程離れた位置で足を止め、半身になり、手に持つ武器を突き出すように構える。
腕は下がったまま。肘も伸ばしきらない。
テレビで見るフェンシングのような……それでいて一息で距離を詰めることに特化したような、そんな構え。
あの中途半端な全身鎧は隙間が多い。
それならば武器の特性も考えれば、刺突で攻めるのが良いことぐらいは俺でも分かる。
それに特化した構えを頭を使わず自然と取ったということは、これがリフィアの経験則と本能によって身体に沁み込ませた中で、ベストの構えだということ。
「なんだ、そんな遠くで構えて。ま、俺の武器を見ていたら当たり前か」
自慢げに、腰にぶら下げていた剣をベルトから鞘ごと外し、勿体ぶるようにゆっくりと抜いていく。
広い両刃の長剣だった。
嫌味ながらもこの貴族様は長身なので、腰に引っ掛けていても地面をこすらなかったのだろう。もし本来の俺だったなら背中に背負わなければみっともないことになっていた。
しかし、腰に差したまま鞘から抜くことは出来ないから、そうして腰から外して剣を抜いている。……格好つけているのも兼ねているのは間違いないが。
なんでただ剣を抜くだけであんな自慢げな表情を浮かべられるのか。
今襲いかかっても良いのだろうか? 今すっごいリフィアの衝動を抑え込んでる状態なんだけど……実戦形式って話だし、そうして油断してゆっくりと剣を抜いている時点で普通なら良いだろうが……まあ、そこは様式美ってやつか。
変身シーンで攻撃してはいけない、的な。
「ふっ、待たせたな」
「そうでもないさ」
鞘から抜き、その鞘を投げ捨て――
「ま、貴族たる俺を待ったことは褒めてやろう。……だが――」
――その音が地面を鳴らすと同時、俺の太ももに激痛が走った。
「いっ……!」
「――勝負は実戦形式と言ったはずだぞ?」
痛みが走った右脚を見ると……そこには一本の矢が、深々と貫き刺さっていた。