責め立てる言葉
机を挟んだ向こう側へと転がるトレー。
少ない野菜で構成された野菜スープがお椀の底を天へと向け、全てこぼしてしまった。
水の入っていたコップも転がり、野菜スープと同様床を濡らしてしまっている。
無事だったのは、ちぎるために持っていた食パンだけだ。
「……何してるの? あなた」
それまでの喧騒が嘘のように静まり返っているその中で、より空気を重くするような低い声で、俺は訊ねた。
「何、だと?」
それに貴族様は、はんっ、と鼻で笑う。
「そんなことも分からんのか? お前が俺の話を聞かずに食事を続けるからだろ?」
そんなことを宣う貴族様を、俺は見上げる。それがどうやら相手には睨んでいるように写ったようだ。
「なんだ? その生意気な目は。お前が食っていたあの食事だって、俺の父上の金で食えているんだ。つまり俺の物と言っても過言じゃない。それをどうしようと俺の自由に決まってる。当たり前だ。それなのに何をそこまで怒っている?」
怒っている? そんなつもりはない。
確かにお腹は減っているし、食事が出来なくなったことに苛立ちは覚えているが、怒っている訳ではない。
食材を作るまでの苦労とか、料理にするための労力とか、そういった面の有り難みを考えろなんていう気持ちも持っていない。
結局この世界に来ても俺は現代人で、まだまだ若い中学生で、その辺のことがピンと来ていないのだ。
だからそう……怒っているとすればそれは、俺の中にいるリフィアだ。
「醜いなぁ……貴族様」
ゆっくりと立ち上がり、眼前に立つ男を感情の赴くまま見つめる。
怒っている時のような頭が真っ白になる感覚は当然ない。だって俺は怒っていない。
怒っているのはこの身体に残っている、彼女の心の方だ。
「それが民の上に立つ人のやることか?」
だから燃えるような熱い滾りをそのままに、冷静なまま言葉を吐き出せる。
いつもみたいに叫んだり、語気を荒げたり、周りに八つ当たりしたくなるような感覚が無い。
初めての感覚だった。
「はんっ。この俺様が直々に、お前のその嘘の実力を測ってやろうというのに無視した報いだ。そこを自覚しろ」
「実力?」
「魔物を倒したというお前を俺が倒す。そしたら俺もまた魔物を倒せる。それだけの話しだ」
「なんだ。要は貴族様が、自分の現在の実力を知りたいと、そういうこと。訓練をつけてほしいのなら素直にそう言えば良いのに」
「なに自惚れたことを言ってる。そもそも俺は、お前の嘘を証明するためだと言っただろ?」
「嘘? 魔物を倒したという部分がか?」
「そうだ。いつも隅っこで素振りばっかしてるお前が、魔物を倒せるはずがない。模擬戦を何度も行っている俺ならまだしもな」
「嘘の証明……ね。それなら貴族様のツテを使って、直接魔物を目の前に連れて来れば良い」
「不可能なことを言って逃げるつもりか? ま、確かに魔物を倒したという嘘は、そこまでしなければ証明できないことだからな。そりゃ嘘をつきたくなる気持ちも分かるさ」
魔物を目の前に連れてくることが不可能……? ということは、魔物の絶対数が少ないってことか……ゲームによくある闘技場のように、容易に魔物を準備することはできない、と……。
……それなのに貴族たちは、騎士学校を存続させている……?
魔物から民を守る騎士が必要だと謳って……?
魔物の数が減っているのに……?
……この貴族様が言う「模擬戦」……アレが魔物を相手にしたものではなく、同じ騎士学校の生徒を相手にしたものだとすれば……。
「だが、出来ないことを言って注目を浴びようとするなよ、平民如きが」
ある考えに至りそうになった所で、男の声がこちらの思考を妨害してくる。
嘘を吐いている……それを大義名分にして、こちらを責めてくるその声が煩わしい。
ここ世界観を把握できそうだっていうのに……。
というかこの男、気付いていないのだろうか?
「なあ貴族様、つまりお前が魔物の代わりに、俺の実力の測りになってくれるってことだろ?」
「ああ。この俺様が直々にな」
「そのついでに、魔物を倒せたコチラと戦うことで、自分が魔物と対抗できるかどうかを確認しようとしてる……矛盾に気付かないか?」
「は?」
「お前はこちらを、魔物を倒したやつか倒してないやつか、どちらにしたいんだ?」
そう。
この男はそこがブレている。
「それじゃあまるで、自分がただこちらに喧嘩を売る口実を作りたいだけの言い訳を言ってるだけのようにしか見えない」
「っ……」
言葉を詰まらせる貴族様相手に、俺はさらに言葉を重ねる。
「つまりはだ、魔物を倒したと噂されているリフィアを倒すことで有名になりたいっていうお前自身が、『魔物を倒したとのたまっていた奴を倒した』っていう名声を得たいが故に、こちらに喧嘩を売ってきたようにしか見えないってことだ」
この場合、魔物を本当に倒したかどうかは関係ない。
もし本当に倒していたのなら、勝てば有名になれる。
もし倒していなくとも、嘘をついて有名になろうとする騎士の風上にも置けない奴を成敗したと有名になれる。
それにこいつはついさっき、俺に向けて名前を名乗った。
つまり、今までリフィアと会話を交わしたことなんて一度もないということ。
一人で素振りばかりをしているリフィアを見ていた、と言うのに。
そこも踏まえるとまるでこの男は、リフィアと仲良くなるキッカケとして、この件を持ち出したようにも思える。
手間の掛かった不器用な照れ隠し。
それが可愛いという奴もいるだろうが……生憎と、俺はそう思えないタイプだ。
照れ隠しなら何をしても良いわけではない。
だからそこで一つ言葉を区切り、俺はパンを持たぬ手で男に指を突きつけて、言ってやった。
売られた喧嘩を買うという意志を示すような、挑発的な言葉を。
「お前はただ、俺に集まってるこの注目を奪い取りたいだけの目立ちたがり屋だろ? その傲慢で欲張りな感じは貴族らしいが……残念ながら、騎士らしくはないな。……強さも、その態度も」