冬の女王様と大団円
あんた達もご存知だろう。
季節廻る国には、春、夏、秋、冬、それぞれの季節を司る四人の女王様がいらっしゃる。
女王様は皆、特別強い魔力をお持ちだ。
いいや、特別強い魔力を持つお方こそ、女王様に選ばれる。
そして都の外れの丘にある『塔』へ、女王たちは決められた期間、交替でお入りになる。
最上階の玉座へ女王様がお掛けになると、その女王様の季節がやってくる。
これもオレが言うまでもないだろうよ。
遥か昔より、こうして季節は廻ってきた。
しかし一度だけ、長く長く冬が続いた。
朝焼けは灰色になり、真昼も黄昏と変わらず、夜は白くなった。
冬の女王様が、塔から出てこなかったからだ。
オレはさる御人に、長く冬が続いた理由の、本当のところを伺った事がある。
一つ話して聞かせてやろう。
とても信じれらないようなお話しさ。
王様の道化師だったオレの言葉を、信じる信じないは、あんた達にお任せするとして。
始まりは、季節廻る国の北端を縁取る青い峰々の内で、一際美しく聳え立つ山。
千年雪の降り積もる、あの白い山の麓に、小さな樵の娘が住んでいた。
滑らかな黒髪と、胡桃色の輝く瞳。お日様みたいな娘だった。
小兎のように元気が良くて、生命力に溢れた小娘だった。
父親について山へ入り、樵の仕事を手伝い、毎日山谷を駆け回った。
何でも自分でやってみた。たちまち上手にやってのけた。好奇心の強い娘だった。
木の切り方。湧き水の見つけ方。大きな斧の使い方も、大人相手に負けやしない。
父親がいなくなった後も、娘は仕事を引き継いだ。
木を運んでくれる相棒の馬と、樵の稼業を続けたのさ。
まだちっちゃな女の子だったというのにね。
そういう娘は冬の森で雪男に出くわした時も、怯まなかった。
『熊に会ったら背中を見せて逃げちゃいけないぞ』と、父親に教わっていたんだ。
樵の娘にとっては熊も雪男も、同じようなものさ。
嘶く馬を背に庇い、幼い手で斧を掲げた。
「やい、お前が千年前から山にすむという伝説の雪男か! アタシが大人しくお前の腹に収まると思ったら大間違いだぞ。アタシの相棒だって食わせてなんかやらないぞ! 反対にお前の、真っ白でふかふかしたあったかそうな毛皮を剥いで、丸裸にしてやる!」
怒鳴りつけた。びっくりしたのは雪男だ。
「確かにおれは雪男だ。だけどお前たちを食べたりしない。ここは冬の女王が治める季節の間、おれの庭だ。二百年前からそういう約束なんだ。たまには庭で散歩をしようと、出てきただけだ。入り込んできたのはそっちだろう。それにまず、一目見るなり『丸裸にしてやる』なんて言うのは、人間の世界で言うところの、『わるいこと』じゃないのか?」
樵の娘は今にも雪を蹴り飛びかかりそうだ。白い毛むくじゃらは大急ぎで答えた。
けれど樵は斧を構え、再び尋ねた。声は潜め、身を屈めて。
「雪男は、人間を食べるんだろう?」
「冗談じゃない。おれが山奥にいた数十年で、人間の世ではそんな話になってしまったのか? おれは何も食わなくたって平気だよ。雪男だからな」
小兎みたいな娘が野蛮に斧を振り被り、熊みたいな雪男は諸手を挙げて降参の構え。
間抜けだろう?
あんまり間抜けで、樵と雪男もおしまいに、「ぷっ」と揃って笑ってしまった。
一頻り大笑いした後、斧を下ろした樵の娘は、仄かな湯気の息にのせて言ったのさ。
「アタシが悪かった雪男。失礼なことを言ってごめんよ。ただ、村の皆が使う薪が足りなくなりそうなんだ。具合の良い木が、他の場所に無いんだよ。庭の木を、少し分けてもらえないか?」
「そういうことなら、持っていけ」
ちびの樵の頼みを聞き、雪男は森の木を分けてくれた。
森の外れまで、木を運ぶのも手伝ってやった。
力を合わせてエッチラオッチラ。
日が暮れる頃にはお互いに、昔から相手を知っていたような気持ちになっていた。
「どうもありがとう、雪男。また会おうな!」
鼻のあたまを赤くした娘が、分厚い手袋で包まれた手を振ると
「気をつけて帰れよ、荒くれ者の樵の娘」
白い毛むくじゃらも、大きな大きな手を振った。
このとき以来、二人は親しくなったのさ。
ちびの樵娘は山仕事のとき、白くてふかふかした雪男へ挨拶に行くようになった。
ひとりで静かに過ごすのが好きだった雪男も、元気な樵と会うのを心待ちにするようになった。
春の女王様の季節には、高原の花畑で野苺を摘んだ。
夏の女王様の季節には、渓流で魚を釣った。
秋の女王様の季節には、きのこや木の実を集めて歩いた。
冬の女王様の季節には、雪景色の山でそり遊び。
「アタシは元からこの山が好きだった。でももっと好きになったよ。こんな素敵な友達がいるんだから」
「おれも元々この山が気に入っていたが、もっと好きになったよ。トモダチがいるってのは良いもんだ」
そう言って笑いあい、愉快な楽しい時間を過ごすこと十数年。
それはいつも通り、秋の女王様が塔を出て、冬の女王様が塔へお入りになった日だ。
去年と違ったのは、冬の女王様が三百年ぶりに代替わりしたことだ。
新たな冬の女王様はそれはそれは愛らしく無邪気なお方だという噂を、最後の渡り鳥が運んできた日の事だった。
毎年そうしてきたように、雪男は山奥の谷で、栗の実を集めていた。
自分が食べるためではないが集めていた。谷にはあらゆる赤と黄色が降り注いでいた。
すると秋色に染まる谷の底へ、樵の娘が息を切らせて駆けて来た。
幾つもの季節を通り過ぎてきた娘は黒髪を靡かせ、すらりと美しく、相変わらず生命力に溢れていた。
しかし胡桃色の瞳が、今までにないくらい輝いていた。
「大変だ雪男!」
鹿と見紛う身軽さで谷を駆け下りてきた樵の娘は、雪男に叫んだ。
「アタシ結婚するんだよ! あいつと! 鍛冶屋のあいつに言われたんだ!」
娘の声が、初雪の舞い始めた谷に響いた。
娘の胡桃色の瞳が輝いていたのは、涙で潤んでいたからだ。
「斧を直してもらっていたんだ。それで今日、斧を受け取りに行ったら、あいつに『結婚してほしい』って申し込まれたんだよ!」
鍛冶屋の『あいつ』は、前から伝えたかったのだと娘に告白したのだよ。
しかしまだ半人前で貧しい田舎の鍛冶屋は、これまで言い出せずにいたというわけだ。
いつもは荒くれ者と言っても言い過ぎではない娘が、まごついた様子で語った。
麓の村に住む鍛冶屋の若者は、雪男も知っていた。
働き者で優しい奴なのだと、樵の娘に聞いていた。
「夢じゃないかな? こんなアタシなのに良いのかな?」
楓の葉より頬を紅色にして、勝気な樵は頭を抱えてしまう。
「まずは何から始めよう? どうしたらいいだろう? 花嫁衣裳は叔母さんが、自分のお古をくれるって言ってくれたけど、アタシに着られるかな?」
これまで髪も服も気に留めなかった娘の口から、ドレスの心配が出てきた。
雪男は両腕一杯の栗の実を地面へ降ろし、樵の娘を見ていた。
こんな日がくると、雪男は知っていた。
「いつごろ結婚するんだい?」
尋ねた白い毛むくじゃらに
「色々支度をしなくちゃいけない。冬の女王様が塔を出る頃。春の女王様の季節が来る頃に」
春には花嫁になる樵は答えた。
娘が夕暮れの山を下っていった後。白い毛むくじゃらは空を見上げた。
紫紺の空には、鼠色の雲が敷き詰められていた。切れ間には白い半月が見えた。
「あの樵は、もうこれまでのようには、山へ来なくなるだろう」
雪男は囁いた。
「春が来なければ良いのになぁ」
その微かな囁きを、冬の到来を告げる風が拾っていった。
冬の女王様の魔力に呼び寄せられた北風には、大勢の雪と氷の妖精達も乗っていた。
国中を飛び回って冬を運びながら、雪と氷の妖精たちは、千年雪の山にすむ雪男について喋りあった。
そしてとうとう妖精たちのお喋りは、塔にいる冬の女王様の耳にも届いてしまった。
新しい冬の女王様は、蜂蜜色の巻き毛がお似合いだ。
雪の妖精も敵わないと言われる可憐なお方。
そのお方が妖精たちの話しを聞くや、雲雀より高らかに告げちまった。
「かわいそうな雪男! 私が冬が終わらないようにしてあげるわ!」
新しい冬の女王様は、そう心に決めてしまったのさ。
さあ大変だ。
女王様は、更に北風を呼ぶ。
冬の女王様の魔力で力を増した雪と氷の妖精たちは、空と大地を埋め尽くす。
決められた期間をとうに過ぎていても、女王様は塔の中。
冬は全てが眠り休む季節。
それでもこんなに長く続いては、いずれ食べる物も尽きてしまう。
困った王様が、「冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう」と、お触れを出したほどだった。
お触れを知り、知恵や力に自信を持つ者が『我こそは』と名乗りを上げ、塔を目指した。
けれど一人として、塔に近付く事も叶わなかった。
冬の女王様の居る塔は、恐ろしい吹雪に包まれていた。
瞼を開けば目玉が凍る。雪は沈み、風が笑い、氷は踊った。
塔の扉は巨大な氷柱で凍りつき、人の力では到底開けられなくなっていた。
雪は狂ったように吹き荒れた。氷柱は何かを守るように凍てついた。時は止まった。
もう二度と春は来ないかもしれない。
人々の心は吹雪の夜より暗くなった。嵐の晩より重くなった。
それでも冬の女王様が塔を出る事は無く、国中が冬に閉ざされたまま。
とうに次の春が来て、夏が過ぎ、秋も終わっただろうと、誰もが日々を数えていた頃。
ある日、誰かが塔の扉を叩いた。
「開けてくれ」
扉の向こうで誰かは言った。
扉を叩く音は大きくなり、叩く強さを増していく。
最後に重い音が、塔の最上階に居た冬の女王様にも聞こえた。
続いて何者かが塔の階段を上ってくる気配。
「ご機嫌麗しゅう、冬の女王」
玉座に座る冬の女王様の前に現れたのは、ふかふかで真っ白な毛むくじゃら。
「先代の冬の女王とは顔見知りだったが、オマエとはハジメマシテだな」
地吹雪を引き連れ、大きな雪男が立っていた。千年雪の山にすむ、あの雪男だ。
「人の世界にはあまり関わらないようにしていたが、どうもおかしいと思ったんだ。捕まえた雪の妖精に聞いたよ。オマエが、この国の冬が終わらないようにしてくれていたそうだな」
玉座の前にうずくまり、呻くように雪男は言った。
「その通りよ雪男。驚いた? でも嬉しいでしょう? 私がここに居る限り、冬は終わらないのだもの」
氷色の瞳をした新しい冬の女王様は威張っていた。
霜に覆われた玉座の上で上機嫌。宝冠を頂く蜂蜜色の巻き毛は輝いていた。
可愛い鼻を上へ向け薔薇色の唇が笑うと、女王様の周りで硝子色の氷雪が舞い散った。
「ああ、ずっと冬が続いている。みんな凍りついた。おれも生まれて始めて、人が住む町へ下りられた。この『塔』へ来ることも出来た。ありがとうよ」
不機嫌そうに雪男も頷いた。雪男がうずくまっている様は、巨大な雪玉のようだった。
それが、じわりと身動ぎすると
「だが、もう塔を出てくれないか」
玉座を見上げ、真っ白の毛むくじゃらは言った。
冬の女王様の瞳は、真ん丸になった。
「どうして? 貴方は春が来なければ良いと言っていたじゃないの」
驚く冬の女王様に
「千年雪の山の辺りは、寒過ぎる」
雪男は白い毛皮の下で、噤んでいた口を開いた。
「雪男のおれは平気だが。このままじゃ相棒の馬が死んじまう。山麓の村も人も凍っちまう。おまけに鍛冶屋の『あいつ』が病を患った。街の薬じゃ治らない。癒しの魔法も役に立たない。治す方法は一つだけ。森にある薬草を煎じて飲ませれば治るそうだ。でも降り積もった雪まで凍りついて、探すことさえ出来やしない。樵の娘がそう言って、ぽろぽろ泣いているんだよ」
辺境の地で起きている事々を、雪男は静かに語ったのさ。
しかし冬の女王様は、鈴の音に似た声で仰った。
「その鍛冶屋がいなくなれば、貴方にはオアツラエムキではないの?」
全く邪気無くお尋ねになった。
雪男はだんまり答えない。やがてのろりと立ち上がり
「今度の冬の女王は、アタマは良いが賢くないか」
恐れもせずに放言し、冬を司るお方へ背を向けた。
「塔の扉は、おれが壊しておいた。まだ間に合う。『魔法の加減がわからなかった。門が凍って出られなかった』と謝れば、オマエもそれほど叱られないだろう」
大きな足で一足二足、玉座を遠ざかる。
そうして階段を下りた白い毛むくじゃらは、荒れ狂う吹雪の中へ消えていった。
最上階の玉座で考え込んだ、可愛い冬の女王様。
雪と氷の召使達は、柱やカーテンの陰で怖々様子を伺っていた。
しばらくすると、玉座から立ち上がり冬の女王様はこう言った。
「塔を出ます。支度をしなさい。私がここに居る理由は消滅したわ。春の女王へ使いを出しなさい」
氷の結晶が輝くドレスの裾をひらめかせ、雪と氷の召使い達へ命じた。
急な女王様の命令に、召使い達は大慌てで走り回る。
螺旋の階段を上へ下へ。塔を急いで外へ内へ。
それを横目に、蜂蜜色の巻き毛をした冬の女王様はつまらなそうなお顔。
「愚かな雪男! 失礼しちゃうわ!」
薔薇色の唇を窄め、呟いていらっしゃったのさ。
それから時を待たずして、冬の女王様は塔を出て、春の女王様が塔へお入りになった。
止まっていた季節は、もう一度巡り始めた。
春が訪れ、鍛冶屋の青年の病は癒えた。
樵の娘は、鍛冶屋の花嫁となった。
千年雪の山の麓で、夫婦は幸せに暮らしているよ。
今じゃ夫は腕の良い鍛冶屋として村で頼りにされ、妻も樵の仕事に精を出している。
もちろん、あの雪男も達者で暮らしているともさ。
北の山と森の中で、腹の大きくなってきた樵の山仕事を手伝ってやっている。
鍛冶屋とも、森で酒を酌み交わすトモダチになった。
あんた達には、とても信じられないだろうがね。
おっと、それから。もう一つ。
こいつもついでに言っておこう。
「雪男。私を“賢くない”と言ったわね? どういうつもり?!」
「怒らせたなら詫びるよ」
「謝りなさいとは言ってないわ! 私は理由が知りたいだけよ」
「今度の冬の女王は、わからないやつだなぁ」
雪男は時折、冬の女王様の避暑の別荘に呼び付けられては、こんな押し問答なぞしているよ。
オレの話しは、これでおしまい。
やっぱりとても信じられないって?
だから最初に言ったじゃないか。
信じる信じないは、あんた達にお任せするってね。