第三話:ハロー、異世界。
「うわっと、と、とぉおおう!?」
光の洪水を抜けた先、思わぬ重力の絡め手のせいで俺は思いっきりこけそうになった。
だが案外そこは狭い場所だったようで、壁に手をつくことで盛大な事故は免れる。ほっと一息、ほっとなどしていないがつくと周囲をとりあえず見た。
薄暗い、じめっぽい裏路地のようだった。どこからか流れ出ている水で黒い煉瓦が濡れ、奥のほうから差し込む光が反射して黒い空気を下から照らしている。振り返ってみればそれは大きな姿見のようで、触れるとパキリと割れてしまった。
常識的におかしいが俺はこの姿見から出てきたということになるのだろうか、おかしなことばかりが連続している。
とりあえずここがどこなのかを確かめよう、裏路地を伝って日の当たっている通りにでると俺は思わずぽかんと立ち尽くした。
「なんだこりゃ……」
まるで映画のセットのように忠実な煉瓦で作られた大通り、しかしそこに立ちゆく人や空に舞うものたちは想像をはるかに超えていた。
中世ファンタジーをそのままくりぬいてきたような衣装をまとった街の人たち、見上げた空には箒に乗って飛び回る人もいる。遠目に見えるのはお城だろうか、わいわいがやがや、おおよそ日本という国には存在しないマーケットそのものが目の前に広がっていた。
そう呆然と突っ立っていると、どうにも周囲がざわざわと噂話をし始めた。意識して街の人たちを見てみると、やっぱりここでも体質は変わらないようで色と匂いが漂ってくる。興味と好奇心だろう、灰桜色の靄と甘い花の匂いがした。一体何に向けてのと視線をみると、どうにもそれは俺自身に向けられているようで。
「勇者様! 勇者様がここにいるぞ!!」
「あれが噂の勇者様なのね!」
「我々を救いに現れてくださったのか! おぉありがたやありがたや……」
「誰か王様に伝えてくれ! 勇者様はここにいるぞって!」
風船が割れたがごとく押し寄せる興味と噂話の波、勇者? 俺が? 確かにそんなこと言われたような気もしたが、どういうことだ。っていうか怖い、悪意のない善意の塊が怖い! こいつらは一体何を言っているんだ!? こちとらただの高校生だ!
言うよりも思うが早いか、俺はその場から逃げるように駆け出した。運動は得意なほうだったが、こんな大勢との鬼ごっこは初めてだ。大体ここはどこなんだ、どこに逃げればいい? いや捕まれば穏便に……なるような予感がしない!
「藤咲! こっちだ!」
むちゃくちゃに走って逃げ回っていると、そう声が掛かった。裏路地から「はやくしろ!」と聞いた覚えのあるような声がする。
こうなったら自棄だと声のした裏路地に駆け込むと、急に腕を引っ張られ何か箱の中に放り込まれた。
「うおっぷ、ちょ、いきなり、なん」
「静かに」
急な暗転の中で身動きもできないが、しばらくのうちに追手もどこかにいったらしい、また腕を引っ張られ箱から引きずり出された。
「もう大丈夫だ、怪我はしていないか」
「えぇと、まぁ……大丈夫みたいだ。ビックリはしたけど……助けてくれたのか?」
「そういうことになるな」
顔を上げて礼を言おうとしたが、思わず言葉が詰まった。助けてくれたのは俺とそう背丈の変わらない青年のようだったが、その服装はいうならば全身黒ずくめ、黒いマントに茶系のコート……口元はネックウォーマーのような布で隠されていた。
多分彼もびっくりされているということに気が付いたのだろう、「あぁすまない、仕事服なんだ。気にしないでくれ」とネックウォーマーを下げながら苦笑した。
さらにびっくりした、彼の口の左半分が大きく裂かれ、縫われていたのだから。だが、そうじゃない、そうではない。
「あれ、まさか安藤……!?」
その顔は、クラスメートの一人と酷似していた。
真っ白い髪をしていた彼と目の前の彼は同じ色をしているし、目の色も顔の雰囲気もそっくりそのままだ。
「よくわかったな、藤咲。ビックリしているわりにはだいぶ冷静じゃないか」
しかも本人だったらしい。
安藤伊神、同じクラスのクラスメートであり時折不良をぶっ飛ばしてくれたりもした友人だ。見た目はおとなしそうな優等生なのに、ずっと左頬についたたまのガーゼとギャップの激しい性格、腕っぷしの強さから学校内ではかなりの有名人だった。
だが待ってほしい、ここは……あの自称神様が言うには異世界のはず。
どうしてクラスメートが平然とここにいるのだろう。
「何故ここにいるかと聞きたそうな顔をしているな」
「そりゃあ、まぁ……」
「……移動しながら話そう、大体のことは教える」
安藤は踵を返し──随分と絵になっていてアニメかと思った──裏路地の奥へと進んでいく。
その後ろに随行する形で歩いていくと、どんどん大通りから離れていっているのか静けさと足音だけが響くようになった。
「此処は都市アルテマの住居区だ、もっと大きな括りでいえば……テーゼサーバーの第一エリアといったところか」
「サーバー?」
「私たちは異世界のことをそう呼んでいるんだ」
ちなみにお前はゲームでいうサーバー移動をした状態だ。と付け加えられた。
曰く、ここは大雑把に言ってしまえばやっぱり「異世界」であり、安藤はそもそもが「異世界の住人」なのだとカミングアウトする。安藤という名前も偽名のようなものらしく、こちらでは別の名前……鋸鉈の捕喰者と呼ばれているらしい。人の名前ですらないのだが、それを聞けば「そういう種族なんだ」と言われた。
「さらっとすごいことを言われているような気がする」
「よくある話だろう?」
「よくあってたまるか……、じゃあなんで安藤……ええと、鋸鉈はあの学校にいたんだ?」
「安藤のままでいい。……あの学校にいたのは、ほぼお前のようなものの監視だ」
「え、監視!?」
「先に言っておくが、藤咲、お前は今まともな状態ではないからな」
大釘を筋にぶっ刺すように言い聞かせられ、俺は思わす足を止めた。
自分がまともな状態ではない?
そんな、もともとおかしいようなものなのに。
「さて、続きはここで話そうか」
彼が足を止めたのは、随分古びたアンティーク調の店の前だった。硝子が曇っていて中がよく見えないが、やっているのだろうか。人の影もみえないから靄で確認もできない。一体何の店なのだろう。
「ここは……」
「骨董屋だ、ついでに飯も貰おう。言えば出るからな此処」
「どういう店だそれ」
「何でも屋なんだろう、多分。……オーナー! 例のやつ拉致ってきたぞ!」
カラン、と扉の鐘を鳴らしながら安藤が店に押し入る。そのあとに続いて入ってみると、コーヒーの匂いがすぐに喉に入った。薄暗い店内だが結構綺麗で、だが物がごちゃごちゃしえあってチグハグな印象を受ける。
一番奥のほうから「らっしゃーせー」と渋い声が聞こえたと思えば、暖簾の隙間から栗梅色の髪をした二十代半ばのような男性が姿を現した。
ファンタジーな裏通りから一変、男性の服装は和風一筋でまたチグハグだ。
「やぁ鋸鉈くん、久しいねぇ。それでその隣の子が例の」
「あぁ、例の」
「……随分苦労してきたみたいだね、そこの椅子に座ってておくれ。今お茶とお菓子を出してくるよ」
「え、あの」
「少し落ち着いたら話をしよう。勇者、藤咲智花くん」
単純に不思議な人だった。
まだ名乗ってもいないのに名前を知られていたことよりも、オーナーらしい男性からは意識してみても靄という靄が見えなかったのだ。
「とりあえず……ようこそ、二周目のテーゼへ」
対して歓迎していなさそうに、安藤はそう語った。