第二の番人戦と年の瀬
「はちゃっ!」
低級悪魔の打ち下ろしを綺麗に受け流して、側面に回り込んだリンは短く息を吐いた。
その足元で水音が跳ねる。
即座に膝をついて、盾を低く構えるリン。
そこに悪魔の奥の手、体を旋転させて勢いのついた長く太い尻尾が襲い掛かる。
だが初披露ならともかく、すでに何度も見せられたパターンだ。
危なげなく尾の一撃をやり過ごしたリンは、そのままモンスターの背面へと跳ねるように移動する。
釣られるように、背後へと向き直る低級悪魔。
その背に向けて、僕の矢がばら撒かれた。
だが殆どの矢は無防備な背中に刺さる前に、その背から生えた翼に煽られて向きを変える。
蝙蝠の翼そっくりの飛膜が付いた二本の腕は、後面の守りをがっちり固めていた。
この背中の飛膜付きの腕たちも、初めは正面から見えないように畳まれており、急に広げられてびっくりしたっけ。
もっともこれも最初だけで、二度目からは慣れて対処できるようになったが。
この翼の防御と『乱心』の呪紋のせいで、後方からの矢は大半が床や壁に消えていく。
でも全く当たらない訳でもない。勿体ないが少しでも可能性があるなら、攻撃を仕掛けるのが攻撃手の務めだ。
今回は十二本のうちの三本が、悪魔の体を掠めることに成功する。
傷を負わせた矢口から煙が小さく上がると同時に、急速にその部分が変色していく。
低級悪魔から血を流させると、小悪魔召喚の媒体にされてしまう。
その対処が、この腐敗毒の毒矢であった。
傷口を腐らせることで、流血を逆に減らす作戦という訳だ。
さらに付与された焔舌の熱で傷を焦がすのも、止血に一役買ってくれている。
ただし悪魔だけに毒物耐性があるようで、腐敗効果は皮膚の変色のみに留まっており、その肌に描かれた呪紋を無効化するまでに至ってないのが残念だ。
そんな守りの堅い背中をわざわざ、こちらへ向けさせたのはもちろん狙いがあってこそだった。
僕の横で黒い骨を宙に振り回していた少女が、呪紋の完成を確認しつつ小さく息を吸い込む。
「…………リン姉!」
妹の大きな呼び声に、こちらへ体を向けていたリンが一瞬だけ視線を寄こす。
その目が細められ、数度の瞬きを繰り返す。
しっかりと呪紋が効いたことを確認したモルムは、肩の力を抜いて首から下げていた砂時計をくるりとひっくり返した。
そして部屋の中央では、妹に『盲目』と『集中』の呪紋を掛けて貰った姉が、モンスターへ再び立ち向かう。
これがモルムのアイデアであった。
呪紋を無効にするには、同系統の呪紋を唱えることで魔の導線を邪魔する『対抗呪紋』が有名だが、それよりももっと単純で確実な方法がある。
予め同じ呪紋を掛けておき、状態異常を引き起こしておくという荒業だ。
すでに呪紋によって異常を来している場合は、『対抗呪紋』と同様に魔の導線がつながらない仕様なんだとか。
幸いにもモルムの『盲目』は練習中のため、効果が弱く輪郭がぼやけるくらいの効き目しかない。
完全に視界が閉ざされる低級悪魔の『盲目』に比べると、随分とマシであった。
それと他の呪紋だが、『恐怖』と『強迫』は『集中』で無理やり相殺し、『沈黙』は諦めて放置となった。
だからリンは先程から、奇妙な掛け声とか呻き声しか発していない。
この作戦の問題点その一は、練習中の呪紋のため効果時間が五分しか保たないことだ。
『集中』の方は、十分間保つので丁度半分の時間となる。
だが我が小隊が誇る魔術士は、時間管理に関してはバッチリであった。
砂時計とにらめっこしながら、砂粒単位で効果が切れる時間を測定し、五分毎の掛け直しを完璧にこなしてみせた。
もしこの一秒以下の狭間で悪魔の呪紋がうっかり発動したら、本当に運が悪かっただけだと潔く諦められるほどの正確さだった。
作戦の問題点その二は、いくら弱い呪紋効果とはいえ視界を制限されたリンの負担が大き過ぎることだ。
これのフォローとして活躍しているのが、キッシェの『水壁』だった。
リンの周囲に浮かぶ薄い水の壁は、モンスターの攻撃を軽減すると同時に、派手な水音を立てることで注意を知らせる役割を担う。
あまり動きの素早くない相手とはいえ、リンが大きく被弾せずに済んでいるのはキッシェの支援も大きかった。
さらにキッシェには、小悪魔への対処も分担してもらっていた。
毒矢で出血を抑えてるとはいえ、全く血が流れない訳ではない。
召喚頻度が減ったとはいえ、あの金切り声はかなりの脅威だ。
なので生まれたら即、キッシェが短剣で首を刎ねるか、僕が矢で射殺すようにしていた。
さらに撃ち漏らした場合の対策として、モルムとミミ子には耳栓をしてもらっている。
呪紋を掛けるタイミングをしらせる必要があるので、リンとキッシェは耳栓が使えない。
金切り声が来たら、気合で耐えて貰うしかない。
半分視界がぼやけたまま、ひたすら低級悪魔を引き付けて攻撃を受け止めるリン。
低級悪魔を直視しないようにしつつ、リンの周囲に『水壁』を張りながら小悪魔を警戒するキッシェ。
魔術の効果時間をきっちり管理して、ひたすら呪紋を掛け続けるモルム。
当たらない矢にストレスを溜めながら、じわじわと毒ダメージで削っていく僕。
『水壁』用に水筒を、たまに部屋へ投げ込むだけのミミ子。
ちなみに長丁場になりそうだと考えて、予め空にしておいた土喰いの胃袋は途中の泉で満杯にしておいた。
一時間を超える戦闘を経て、不意に悪魔は膝をついて静かに消え去った。
長く地味な戦いだったが、終わり方も地味だった。
だが得られた経験は、とても大きいと思う。
今回はちょっとした失敗で崩れそうになる場面はそこそこあったが、皆が上手くフォローしあって踏み留まることができた。
今までは個人のスペックの高さで乗り切ってきた部分が多かったが、今回はコツコツと積み重ねてきた地力が上手く出せた感じだった。
巻き戻しを含めてぎりぎり一年ちょっとの小隊だけど、これでようやく一つの形に成れた気がする。
汗塗れでへたり込むリンの顔は、盾役をやり遂げた嬉しさに満ち溢れていた。
水浸しになった部屋を見渡すキッシェは、肩で息をしながらも誇らしげに顎を上げている。
魔力酔い一歩手前まで赤く染めた顔を綻ばせながら、ミミ子に肩を貸してもらうモルム。
「……なんか、ミミ子さんだけ余裕じゃありませんこと?」
「そんなことないよ~。水筒運び過ぎて、くたくただよ」
「絶対に嘘だ!」
「ほんとだよ~。もう立ってるのもやっとだよ」
下手くそな口笛を吹き始めたミミ子を冷めた目で見ていると、キッシェが僕らへ近づいてくる。
「ミミ子さん、お水凄く助かりましたよ。ありがとうございました」
「ほら~。大活躍だよ」
「それと旦那様、これが落ちてました」
「うん、なんだこれ?」
「指のようですね」
キッシェが差し出してきたのは、切り取られた小指のような物体だった。
色は赤く爪は見当たらない。どうみても悪魔の指だな、これ。
「これは困ったな」
「どうしてでしょうか?」
「ドロップ品の報告をしたら、この層にいないモンスターのだってバレちゃうからね。どこで倒したんだって話になる」
「言われてみればそうですね。見なかったことにして戻りますか?」
「それはそれで勿体ないけど、この通路はまだ秘密にしたいし仕方ないか」
と、僕の袖がくいくいと引っ張られた。
振り向くと小首を傾げたモルムが、悪魔の小指を見つめながら小声で話し掛けてくる。
どうも姉に声を掛け過ぎて、喉をやられてしまったらしい。
「…………これ、魔力を感じるよ」
「そりゃ悪魔のだしな」
「…………だから魔法具で通用するかも」
▲▽▲▽▲
「本日はお疲れ様でした」
「今年は色々とお世話になりました、リリさん」
今日が今年最後の探求だった。
年末年始は迷宮組合も休みに入るので、探求者たちも一斉に休暇となる。
僕らも年明けの迷宮営業再開日まで、のんびりと家で過ごす予定を立てていた。
「最後の日まで銀箱を出されるなんて、貴方様らしい締めくくりですね」
「今年は運が良かったです」
悪魔の小指は、無事に魔法具として認定された。
こないだ銀箱を出したばかりで、不自然極まりない主張だったが、普段からコンスタントに箱を出してきた実績もあって疑われずに済んだようだ。
「リリさんは、休暇どうするんですか?」
「私は家族と一緒に、ちょっとのんびりしようかと」
「良いですね。いつも働き詰めだし、たまにはゆっくり羽を伸ばしてください」
僕の余計な言葉に、リリさんは極上の笑みを返してくれた。
「そういえば新奉祭ですが、ミミ子さん方の出場登録は無事済んでおりますよ」
「おお、それは楽しみです。リリさんも観戦に来られます?」
「はい、是非」
「それじゃあご一緒にいかがですか。他の方も一緒ですが」
「はい、喜んで」
名残惜しいが、忙しい時期に長話もあれだしそろそろ切り上げないと。
「来年もご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いしますね。リリさん」
「迷惑だなんて、とんでもない。来年も一層のご活躍を祈念しております」
「ありがとうございます。では、良いお年を」
「はい、良いお年をお過ごしください」
さーて、冬休みだ。
悪魔の指―低級悪魔の小指。不思議な魔力を秘めている




