四層第二の隠し通路
細い曲線の先を目で追いかけると、大きな渦に繋がっていた。
渦の中心からは、放射状に直線が伸びる。
直線は枝分かれしながら、次第に丸みを描いて次の渦へと続いていく。
そこからまた複雑に絡み合う線が――――。
永遠に目が離せなくなる恐怖に駆られた僕は、慌てて壁から視線を外した。
深呼吸をしながら、なるべく目の焦点を一点に絞らないようにして周りを見渡す。
壁の紋様が淡く発光しているせいで、人が二人並べるほどの通路は奥の方まで見通せた。
その壁と天井に途切れなく、びっしりと刻み込まれた紋様に思わず溜め息が漏れる。
どこまでも通路が伸びていく錯覚を追い払うために、僕は静かに目蓋を閉じた。
四層の新たな隠し通路は、天井や壁に隙間なく呪紋が彫り込まれた怪しげな迷路となっていた。
「これ面白いですね、隊長殿。見てるだけで目が回ってきますよ」
「面白がってる場合じゃないでしょ。ほら、これで触ってみなさい」
壁を前にはしゃぐリンに、キッシェが矢を一本手渡す。
受け取ったリンは、無邪気に矢で模様をなぞり始めた。
「ふんふんふん~あれ? キッシェ、曲がった矢をくれたの? あれ、私の腕も曲がってません? ぐにゃあって……なに? これなに?!」
目眩を起こして座り込んだ少女を後ろから抱き上げて、ずるずると通路から引っ張り出す。
部屋の床に座らせると、そのまま両手を突いて軽くえずき始める。
三半規管がシェイクされた感じになっているようだ。
「何ですか、一体。凄く気持ちが悪いです……全部が、ぐにゃぐにゃって」
「直接、触れなくても影響がでるのか。武器の持ち歩きは注意しないとな」
「でも、それほど脅威とは思えませんね。道幅から見て、余裕はかなりありますし」
キッシェの指摘通り、見つめたり触ったりすれば厄介な壁だが無視は容易だ。
だが暗闇空間に比べれば、何とか出来そうなこの感じは逆に怖い。
こういう分かりやすい罠こそ、嵌るとそのまま衰弱死なんてことは十分にあり得る。
「ねえ、ゴー様」
「うん、ミミ子どうした?」
部屋の真ん中でとぐろを巻いていた狐っ子は、黙って通路を指差す。
視線の先に居たのは、先程から紋様を見つめ続けるモルムの姿であった。
荒い息をしながら肩から下げた地図作成用の画板の紙に、何やら懸命に書き付けている。
よく見るとその顔は紅に染まり、手足も小刻みに震えている。
「って、おい!」
とうとう鼻血を吹き出した少女を、慌てて部屋へ引きずり込む。
まだふらついているリンの横に並べて、帽子を脱がすとふらふらになった針鼠が転がり出た。
「もう。危ないことしちゃ駄目だろ、モルム」
「…………ごめん……なさい。つい、夢中に……なって」
「仕方ないな。キッシェは二人を見ててくれ。僕は試しに行ってみるよ」
「わかりました。お気をつけて下さい」
心配そうな顔を見せるキッシェの頬に軽く口付けてから、僕は弓を構えて通路へ足を踏み入れた。
方位磁石も覗いてみたが、案の定ぐるぐると回って役割を放棄している。
それならせめて腰にロープを巻いて行きたいとこだが、縄が壁に触れた時点でヘロヘロとなる可能性もあるので諦める。
まあ僕なら、二次遭難を招くことなく緊急脱出は一応可能だしね。
一応、気配感知で前方を探るが、何の気配もない。
壁に触れないように慎重に、無人の通路を進んでいく。
幸いなことに分岐路はなかったが、通路は左右にややくねっており少しだけ見通しが悪い。
違和感を覚えたのは、しばらく進んだ時であった。
進むたびに、壁が寄ってくるような不思議な感覚が徐々に強くなって来る。
気が付くと、壁ぎりぎりに歩いている自分が居たりもする。
慌てて通路の真ん中に戻るのだが、またいつの間にか壁際に吸い寄せられている。
しかし考えてみれば、壁が動くはずもない。
答えは単純で、僕が勝手に端へ寄ってしまっていると考えるべきか。
立ち止まった僕は、背負い袋から取り出した水筒を軽く傾ける。
雫は斜めに落ちた。
やはり、平衡感覚が狂わされているようだ。
でも視覚が歪んでるなら、水はまっすぐに落ちて見えるんじゃ。
もしかして通路自体が、元から歪んで作ってあるとか。
考察はそれまでにして、出来うる限り通路の真ん中を歩くように努力する。
おかしくなって来たら、雫を垂らしてズレを確認する。
一歩一歩、這うように進んでいると、通路の真ん中に何かが立っているのが見えた。
僕の腰の高さほどの台座に、発光石が埋め込まれている。
思わず台座にしがみついてその光に触れた瞬間、奇妙な音が響いた。
ついで背後の灯が消える。振り返ってみれば、通ってきた通路の呪紋は輝きを失いただの模様へと戻っていた。
遠くに最初の小部屋の灯が見えたので、一度そこまで戻る。
「お帰りなさいませ、大丈夫……のようですね」
「なんとかね。とりあえず第一の関門はクリアしたよ」
「第一ですか?」
「うん、みんな動けるようになったかな」
「はい! もう平気ですよ、隊長殿」
「…………元気!」
「じゃあ、ついてきて」
薄暗い通路を進んで、台座のとこまで進む。
そこから先の通路は、壁の呪紋がまだ怪しい光を放ったままだった。
「なるほど。この台座の石に触れば、そこまでの通路の呪紋が解除される仕組みなんですね」
「ここまで到達できた証なのかな。だとしたら、この先も同じような台座がある展開っぽいな」
次の通路は、明らかにこれまでよりも歪みがはっきりと感じる。
奥へ行くほど壁の呪紋の影響が、強くなる試練なのか。
「台座に触れば良いんですね。任せて下さいです」
止める間もなく、リンが通路へと飛び出した。
そのまま奥へ向かって走り始めるが、まったく体が進んでいない。
よく見ると、リンはその場で足踏みしていた。
「あれ? あれれ?」
「ちっとも進んでないわよ、リン」
水筒から雫を滴らせると、今度は後ろへと垂れる。
さっきのは左右の狂いだったが、今度は前後か。
「次は私が行ってみます」
「それじゃあ、これを」
『平穏の首飾り』を渡しておく。精神的な状態異常にはさほど効果がないらしいが、気休めにはなる。
諦めて戻ってきたリンと入れ替わりに、キッシェが通路へ足を踏み入れた。
ゆっくりとしかし確実に前へ進んでいく後ろ姿は、頑張る姉の威厳を立派に示していた。
僕らの声援に押されながら、通路を進んでいくキッシェ。
そして押されすぎたのか、中ほどまで進んで前のめりに倒れた。
「ハァハァ、すみません……ハァ。目眩が耐え切れ……なくて」
「ほらほら、喋らなくていいから。先に呼吸を整えて」
「……でも、見えました。奥の方に、ハァハァ、台座らしきものが……」
「うん、よく頑張ったな。後は僕に任せて休むんだ」
次は僕の番だ。
前を見据えながら、片足ずつ前に出して歩き始める。
左右の壁に触れる危険性がない分ましかと思っていたが、実際に体験してみると先ほどの通路よりも感覚のズレが激しい。
前に進んでいるのか、後ろへ下がっているのか、よく分からなくなってくる。
それでも何とか、キッシェの言っていた台座が見える地点まで辿り着く。
座り込みたい誘惑に抗いながら、台座へ向けて弓を構える。
直接触らなくても、矢が当たれば解除されるんじゃと思いついての行動だ。
一射目は遥か上を飛び越えて、通路の奥へと消える。
ならばと加減して撃てば、更に遠くへ消えていく。
力を込めると、今度は手前に当たる。
感覚が当てにならないので、勿体ないがひたすら数を撃つことにしたら、二十本目あたりでうまく台座の上部に当てることが出来た。
奇妙な音とともに、通路の紋様から明かりが消える。
「よしっ!」
思わず拳を握り締めると、背後から拍手が聞こえてきた。
モルムが抱きかかえたミミ子の手と一緒に、ぱちぱちと叩いてくれていた。
「…………もしかして、まだ続く?」
「そうみたいだな」
第二の台座の先には、まだ怪しく光る呪紋の壁が続いていた。
溜め息を我慢しながら、近寄ってみる。
「なんだこれ?」
「…………なーに、これ?」
「なんですか? これ」
「なにこれ! どうなってんの?!」
「びっくりだね~」
通路を見た皆が、一斉に感想を漏らす。
そこにあったのは、天井と壁がぐるぐると回る景色だった。
回りながら奥へ行くほど、通路は狭まっていく。
そして最後は、手の平を広げたほどのサイズまで縮まっていた。
その出口のところに、親指ほどの台座がぽつんと立っているのが見える。
「小人になれる呪紋とかあったっけ……」
混沌の迷路―見当識失調を引き起こす呪紋が刻まれている。長時間滞在すると吐き気や目眩で、体調が崩れるので注意




