新しい道
結局、四層最西端の泉に辿り着いたのは、昼もかなり過ぎた時間となった。
部屋は広場と言うほどもなく、ややこじんまりとした空間は全て角石で覆われている。
天井にはなかなかの大きさの発光石が埋め込まれており、隅々まで明るくランタンは不要だった。
奥の壁にはライオンの顔らしき彫刻の湧出口があり、真下の膝の高さほどの石囲いに湯気を上げながら水を流し込んでいた。
なみなみと湛えられた噴水受けからも湯煙が上がっているので、正確にはお湯が噴き出しているようだ。
指を入れてみると、程よい温かさでかなり心地良い。
全身を沈めたい誘惑に耐えながら部屋を見渡してみたが、温泉以外は何一つ見当たらない。
ここまで来た結果がこれだと、知らないで訪れた人は相当がっかりするだろうなと思いつつ、背中の荷物を下ろして休憩に入る。
「みんなお疲れ様。先にお昼ご飯にしようか」
「了解です。隊長殿」
盾を下ろしたリンが、きびきびと動き出す。
背負い袋から取り出したのは、大きめの水筒が二つ。
一つを躊躇なく噴水の中へ投げ入れ、もう一つには『沸水の小晶石』を投げ入れる。
「これパスタかな?」
「はい。水に漬けておくと柔らかくなって、すぐに食べられるんですよ」
石を入れた水筒には、白っぽい色に変わった乾麺が水と一緒に詰め込まれていた。
見ているとぐつぐつと沸き出した水筒の中で、美味そうに麺たちが踊り出す。
噴水の縁石の上に手際よく皿を並べ、フォークを添えていくリン。
そして程よく茹で上がった麺を、自分のフォークで器用に湯切りしながら各皿に盛り付けていく。
仕上げは泉で温めた水筒の中身、黒耳茸と玉ねぎにベーコンと具沢山のクリームソースだ。
「隊長殿はパンいくつですか?」
「僕は二つで。ミミ子は?」
「今日は何パン~?」
「黒パンだよ」
「……半分で」
リクエストに応えたリンが、宙に浮かせた黒パンを片手斧で綺麗に分断してみせる。
手渡して残ったほうをちゃっかり、自分のお皿に入れておくあたりが可愛らしい。
「それじゃあ頂きます」
「いっただきます」「頂きます」「…………いただきまーす」
水で戻したパスタはもっちりと歯応えがよく、つるつる喉へ吸い込まれていく。
余ったソースに黒パンをつけて食べると、違う食感を味わえてこれまた美味い。
迷宮の奥で温かい食事にありつける有難みに感謝しながら、僕はひたすらフォークを動かした。
疲れが抜けていく感覚に浸りながら、しみじみと喜びを噛み締める。
僕らは食べるのに夢中のあまり、ほとんど会話せずに食事を終えた。
「ご馳走様でした。美味しかったよ、リン。これまたやってほしいな」
「お粗末様です。今回はこれがあったので、ソースが温めやすかったんですよ。または難しいですね」
湯気を上げる温泉を横目に、リンが腕組みして何やら考え出す。
「水を多めに……いや、いっそ現地で……晶石が二個あれば。それかソースをもっと……」
「はい、どうぞ。熱いのでお気をつけ下さい」
「ありがとう、キッシェ」
いつの間にか洗い物を終えたキッシェが、食後の香茶を淹れてくれていた。
食器や調理器具、このわざわざ茶葉から淹れる香茶のセットもそうだが、実は荷物の空きをかなり潰して持ち込んでいる。
簡易食糧ならかさばらないので、もっと大量に持ち込めるし鞄の空きも増やせる。
だがこれらは必要なモノだと、僕は割り切っていた。
効率というものは単純に簡略化すれば良いと言うものではないと、僕に教えてくれたのは女の子たちだった。
潤いのある生活が当たり前となった今、無味乾燥だった日々にはもう戻れないし戻りたくもない。
香茶のカップに口をつけながら、みんなのリラックスした様子を眺める。
リンは先程からずっと唸りっぱなしで、その横ではキッシェが楽しそうに噴水のお湯を弄んでいた。
珍しく起きているミミ子は、退屈そうにあくびをしながら香茶を冷ましている。
そして帽子を脱いだモルムは――。
「ハリー君の調子はどう?」
「…………うん。機嫌良いみたい」
噴水の縁石の上に置かれたそいつは、少女の手の平に置かれたパン屑をもっそもっそと食べている。
いつ見ても表情のよく分からない顔付きだが、キュッキュッと声を上げているのを見るに喜んではいるようだ。
尖った鼻先につぶらな瞳。丸い体つきと短い手足。そして小さな棘でいっぱいの背中。
針鼠のハリーは、モルムの新しい相棒だった。
魔女のお茶会に定期的に顔を出しているモルムだが、そこで色々と面白い話を仕入れてくるようになった。
これもその一つで、『使い魔』と呼ばれる技能だ。
通常、魔術を使い続けると、混沌の影響がどんどん溜り最終的に魔力酔いを引き起こす。
魔力自体は魔術を使うことで徐々に鍛えられ、混沌への耐性はついていくが、それでも限界は必ず存在する。
『使い魔』はそのために、編み出された技能である。
動物と精神を交信させることで、混沌の影響を一部肩代わりさせ、より多くより強い呪紋の行使が可能となる。
といったいわば、追加の防波堤を用意しましょう的なコンセプトだ。
もちろん問題はあって、心が通じてないとまず『使い魔』には出来ない。
そして心が通った相手だからこそ『使い魔』に何らかの障害が発生すると、使役者の精神にもダイレクトにダメージが来る。
あとは生ものだから、取扱いが大変だってのも地味に問題か。
だがそんな欠点を上回るほどの長所、魔力耐性の向上と呪紋使用回数の増加は、素晴らしいものであった。
モルムの呪紋使用間隔がほぼ半分に縮まった時点で、その凄さが窺い知れる。
それにとても可愛い。ここはとても重要だと思う。
愛らしい少女に、可愛い小動物。やはりこの組み合わせは鉄板だ。
「今日も可愛いな、ハリー君」
「…………うん」
棘をつんつんすると、キュゥと鳴いて丸くなるハリー君を眺めるモルムの横顔は、年相応な純粋さで満たされていた。
探求者として命懸けの日々を送ってはいても、モルムはまだ十四歳の少女なのだ。
最初にモルムが針鼠を飼いたいと言い出した時は、飼育が難しいと聞いて僕は反対した。
小さい子供もいるし、自宅で小動物を飼うのは危ないよと。
ついでにミミ子で我慢しなさいって言ったら、ミミ子がへそを曲げて大変だった。
いつも適当に聞き流している癖に、ペット扱いはなぜか許せなかったらしい。
最初はそんな感じでうやむやになったのだが、モルムは全く諦めなかった。
朝から晩まで熱心に、家族を説き伏せたのだ。
そしてわずか三日で音を上げた僕は、週末に一緒に市場へ見に行く約束をあっさりしてしまった。
その選択が正しかったと、針鼠に構う少女を見てるとつくづく思う。
近頃のモルムはよく笑う。楽しそうに顔を綻ばせて。
子供らしさをより発揮し始めた少女は、戦闘での動きも段違いに良くなった。
どこか遠慮のあった呪紋の使い方が、大胆に変化した。
それでいて他のメンバーや、全体の動きを把握した呪紋の選択にミスも見られない。
魔力酔いで倒れていた頃とは別人のようになった少女に、僕は嬉しい反面少し複雑な気持ちになる。
結局のところ効率の良いと思える選択肢は、単純な結果しか得られないということか。
女の子たちに、教わってばかりだな。
食事を終えた針鼠を寝かしつけたモルムは、そっと頭の上にハリー君を戻して帽子をかぶりなおした。
そしてポケットからぼろ布に包まれた物を取り出して、泉の温水で洗い始める。
「それさっき拾った奴?」
「…………そだよ」
モルムに手渡したままだった金色蛙のドロップ品は、輝く巨大な目玉だった。
よく見ると白目の部分に、みっしりと細かい紋様が入っているのが分かる。
「それが呪紋?」
「…………そだよ。立体だから難しいって、じいじ先生が言ってた」
なるほど言われてみると、普通の呪紋は平面で展開されている。
だが丸みを帯びた眼球内に毛細血管のように張り巡らされた筋は、三次元の広がりで構成されていた。
体液を洗い流して綺麗になった目玉を、発光石の光にかざしながらじっと見つめるモルム。
何度も向きを変えて、ためつすがめつ検証している。
不意に覗き込んでいた少女の瞳が大きくなる。
顔を上げたモルムが、僕に手招きしてきた。
「何か発見したの?」
「…………見て」
「見てもたぶん分からないよ」
少女の手が伸び、強引に僕を引き寄せて頬っぺたをくっ付ける。
モルムからはミントの香りがしていた。
「やっぱり分からない」
「…………違う。その先を見て」
少女の言葉に僕は目玉を透かして、部屋の中を見つめる。
おもわず息が止まった。
蛙の目玉から、顔を離してもう一度眺める。
何もない。
次は目玉を通して、もう一度確認する。
噴水の横、何もなかったはずの壁に、ぽっかりと黒い長方形の穴が空いていた。
黒耳茸―きくらげの一種。こりこりして美味しい
『使い魔』―男性でも使えるが、飼育が面倒なのでやる人は少ない
 




