家長としての決意
モンスター生態調査部のリーガン部長は、静かに生唾を呑み込んだ。
これまで終世の使徒の探求者が、居なかったわけではない。
探求者ではないが、半ば人外と化しつつある高位の終世神官との面識もある。
だが目の前の少女は、あきらかにそれを超えていた。
本物の人外である、蘇りし者なのだ。
しかもその中でも比較的、高い知能を所持している夜を歩く者と来た。
さらに本人談ではあるが、二年ほど階層主をやっていたとの情報もある。
リーガンは額から噴き出す汗をハンカチで懸命に拭いつつ、応接室のソファーに腰掛けながらショートケーキを夢中で頬張る少女に改めて視線を移す。
詳しい調査を一刻も早く行いたいのだが、機嫌を損ねてへそを曲げられるのは絶対に避けたい。
こんな友好的なモンスターに出会えるのは、己の人生で二度と得られぬほどの好機と言えよう。
リーガンの熱い視線に気づいたのか、サリドールと名乗った少女は訝しげに顔を上げる。
少女の可憐な赤い唇の周りは、ミルクセーキの泡で白く縁どられていた。
そのぞっとするほど魅惑的な有り様に、リーガンは再び唾を呑み込みながら口を開いた。
「あの…………ケーキのお代わりはいかがですか?」
「よいのか?!」
「はい。リリ嬢、済まないがケーキセットを至急二つ、いや三つ追加で頼む。領収書は生態調査部で切って貰ってくれ」
「承知いたしました。これは頼まれていた書類です」
金の巻き毛を軽やかに揺らしながら、リリ受付嬢はにこやかに笑みを浮かべて書類をリーガンに手渡すと部屋から立ち去る。
手渡された書類の中身は、魔法具鑑定室からの結果報告書であった。
持ち込まれた探求者認識票に、偽造の形跡はなし。
また提供された指紋も、記録されているサリドール・エーラサス本人のものと一致する。
しかし調査対象の金板の所有者であるレベル5探求者サリドールは、二年前の五層探求時から消息不明であると。
興奮で震える指で書類をめくっていたリーガンは、情報の裏付けが取れたことに大いに満足を覚えた。
この報告書が意味するものは単純明快だ。
生身の人間が、二年間も迷宮に潜み続けることは不可能である。
だが唯一、それが可能な方法がある。
生者ではなく、死者として生きれば良いのだ。――おかしな言い方だが。
我を忘れてケーキを貪る死者の姿に、リーガンの好奇心はとうとう限界を超える。
「ところで、サリドールさん?」
「なんじゃ?」
「先程の御言葉を疑う訳ではないのですが、死を忘れた者の貴方に、その……食事は必要ないのでは?」
「ふむ。それはのう……」
そこで言葉を区切ったサリドールは、ミルクセーキをぐいっと呷って一息入れる。
「楽しいからじゃ」
「楽しい?」
「お主は風呂は好きか?」
「えっ、ええ、それなりには」
汗っかきなリーガンにとって、毎日の入浴は欠かせぬ習慣であった。
たまに仕事帰りに公衆浴場の蒸し風呂を楽しんでから、さらに家でもう一度入ったりするほどである。
「それと同じじゃ。入らなくても死にはせんが、それでもなるべく入りたいと思うものじゃろ」
「そんなものですか」
なるほど言われてみれば入浴には、清潔にしたいという目的と疲れが取れる心地良さ目当ての二つがある。
彼女の場合は清潔にする必要はないが、心地良さを楽しむ分には目的に適うということだろうか。
リーガンの返答を気にした素振りもなく、サリドールはモグモグと嬉しそうにケーキを咀嚼している。
その姿をみれば、楽しいと言い張る気持ちも理解できなくはない。
「そういえば、階層主をされている間の御食事とかはどうされてたのですか?」
「なんぞ、勝手に生気が補充されておったな」
「ほほう。てっきり挑戦してきた探求者の方々を、餌食にしていたのかと」
「……そうしたかったのじゃがな」
露骨に嫌そうな顔を見せた少女に、リーガンの首筋から冷や汗が流れ出す。
実は五層神殿跡の障害モンスターについては、かなり前から踏破者による多数の報告が上がっていた。
以前は黒骨魔柱が一体と黒骨長足が三体だったのだが、それに加えて首無騎士が最大三体までの出現するようになったこと。
さらに戦闘開始前に謎の少女の幻が現れて、悲しそうな眼差しのまま消えていく目撃例も多くもたらされていた。
リーガンが目を通した限りでは、少女との戦闘に至った記録はない。
つまるところ、少女が神殿跡にいたのは間違いないのだが、障害モンスターに属していたという本人の証言には首を捻らざるを得ない。
その部分をさりげなく追及するつもりだったが、どうも隠し罠を踏んでしまったようだ。
心臓の鼓動を高鳴らせて次の言葉を待つリーガンに、サリドールは不満そうな顔のまま話を続ける。
「……止められておったのじゃ。おかげでちっとも終世の教えを布教する機会がなくてのう」
「止める? どなたが?」
「もちろん、迷宮の主にじゃ」
「なんと! お会いしたのですか?」
「いや、多分そうじゃろうと。階層主をやってる間は、半ば傀儡の有り様でのう。ハッキリとは覚えておらんのじゃ」
迷宮の核心に近付いたと思えた瞬間、曖昧な言葉を返されてリーガンは内心でがっくりと膝をつく。
ただ一時的に斜めになっていた少女の機嫌が直ったようなので、こっそりと胸を撫で下ろしはしたが。
「わかりました。迷宮の仕組みに組み込まれていたというお話ですね。あとは、えーと、戦闘の許可が下りなかった理由の心当たりなどは?」
「それはのう、我が真の階層主じゃったからじゃ」
「………………はい?」
「我が強すぎたので、制限が入ったのじゃな」
「えっ、制限?」
「今回、ニニと相見える許可がでたのは、ほんに僥倖じゃった。強き仲間を引き連れて来たのは素晴らしき手柄じゃ。礼を言うぞ、ニニ」
少女の言葉に頷き返す大鬼の探求者の姿に、理解が追い付かないリーガンは言葉に詰まる。
そこにタイミングを見計らったように、新しいケーキが運ばれてきた。
「この赤いのはなんじゃ?!」
「蜜苺のムースですよ。こっちのは白栗のムースで、黄色いのはレモンチーズケーキです」
「なんと! 素晴らしいのう。全部食べても良いのか?」
「ええ、ごゆっくりどうぞ」
テキパキと説明するリリ嬢の言葉に、サリドールは嬉しげに弾んだ声を上げる。
その幼い少女の見た目には死者、ましてや恐ろしい階層の主であった面影は全く見い出せない。
またしても好奇心が頭をもたげたリーガンは、食事中の少女に再び声を掛ける。
「あと少しよろしいでしょうか? サリドールさん」
「手短に頼むのじゃ。我はこの甘味たちを邪魔されずにゆっくり味わいたいのじゃ」
「貴方が御本人である確認はとれましたので、この探求者認識票はお返しさせて頂きますね」
「ふむ。それはなによりじゃ」
「ただ今後の探求活動の許可ですが、それに関してはモンスターでもある貴方に簡単に出すわけにも行きません」
「ふむむ。勿体ぶるな。はよ条件を言わんか」
「ご理解が早くて助かります。モンスターである貴方にしかできない御協力なのですが、身体能力や技能の計測をお願いしたいのです」
「まあ、やむを得んのう。と言うか、そんなに知りたいなら無理矢理に我を捕らえて試せばいいじゃろうて」
「組合が探求者に危害を与える行為は禁止されてますから。判って仰ってますね」
リーガンの返しに、少女は何も言わずケーキへかぶりつく。
すんなりと協力を取り付けられたことに、リーガンは内心で大きく息を吐いた。
話してみると少女の言葉遣いは古めかしいが、その態度の端々に理知的な部分が見て取れる。
これは思っていたよりも楽に調査が進むかもしれないなと、リーガンは張っていた背中の緊張を解く。
そして肩の荷が下りたついでに、つい自分の知的欲求にまたも負けてしまう。
「そうだ。良ければ私に吸精してみて頂けませんか?」
その言葉に同席していたメイハが、香茶にむせながら慌てて止めに入る。
「何を言い出すんですか?!」
「いや、これは生態調査に是非必要な行為ですよ。自らで受けるのが一番早い理解への道です」
「無茶ですって。そもそも貴方、戦闘経験もない素人でしょうに」
「その素人の観点が、分析において非常に重要なんですよ」
「そういう問題じゃなくて――――あ」
「――――え?」
不意に会話を中断したメイハの視線に釣られて、リーガンは差し出していた自分の手に視線を落とす。
そこに見えたのは、茶色く固まった枯れ木のような何かだった。
思わず手を伸ばそうとしたリーガンは、自らの肩から先の感覚が消失していることに気付く。
同時にその物体が、自分の体につながっている事実にも。
枯れ木の正体は、からからに干からびた自分の右手であった。
「ほら、もう。手を出して下さい。治療しますから」
「…………す」
「す?」
「凄い! あのわずかな一瞬でこれほどの吸収とは……これはぜひ記録しておかねば! ってペンが持てない。逆の手にすべきだったか!」
大声ではしゃぎ回るリーガンを脇に置いて、サリドールは一心不乱にケーキを口に運ぶ。
「うむ。やはりレモンチーズケーキが至高よのう」
▲▽▲▽▲
「新しい方が増えるのですか? 旦那様」
「うん、そうみたいだ」
「どんな方ですか? 隊長殿」
「ごめん、僕もよく知らない人なんだ」
「…………兄ちゃん」
「どうした? モルム」
「…………仲良く出来そう?」
「…………どうだろう」
曖昧な返事をしつつミミ子をソファーへポンと落として、背負い袋をキッシェに手渡す。
まだ何か聞きたそうな三人に首を振って、僕はソファーへ深々と腰掛けた。
今は一人で考え事がしたかった。
そのために事情聴取をメイハさんたちに任せて、先に帰らせて貰ったのだ。
新しい同居人のサリドールは、ただの少女ではない。
危険な思想を持ち、それを実行に移せるだけの能力も持ち合わせている。
それにもっとも注意すべきことは、あの計画性と我慢強さだと思う。
普通の人間に、あんなわずかな可能性を信じきるのは不可能だ。
だが彼女はそれをやり遂げた。
能力を考慮すればサリドールは非常に魅力的な存在だ。
味方にすれば頼もしいし、話してみたら世間知らずな部分も愛嬌があって可愛らしかった。
見た目と声のギャップも、新鮮で心惹かれた。
問題はその有能な彼女が、果たしてすんなりと僕の家族になってくれるだろうかという点だ。
あの振る舞いからして、下に見られていることは間違いない。
それでも仲良く出来るんなら問題はないんだが、何かあった時に彼女を制御するのは無理だろうな。
巻き戻しがある限り、何とか出来るとは思うが毎回説明するのは骨が折れる。
そもそもその手間が面倒で、身内で小隊を組もうって話になったのにこれじゃ本末が転倒している。
でも共有できるほどの信頼関係を結べるか、と考えれば先は長そうだなとしか思えない。
それにあの真名という言葉。心当たりはないのだが、どこか聞き覚えがあった。
ミミ子も何か知っていたようだが、二人ともそれっきり黙り込んで教えてくれなかったし。
そもそも今回のミミ子はおかし過ぎた。
迷宮に行ってないのにレベルが上がってるし、新しい技能もさも当然のように使いこなしている。
いきなり黄泉返りの儀式を手伝ったり、それを見せて思い出さないかと尋ねてくるし。
その癖、詳しく聞こうとしたら狸寝入りを始めると来た。なんで狐の癖に狸なんだよ!
多分、僕が自主的に思い出さないと駄目なんだろうと予想は付くが、たいていの場合は後々ちゃんと説明しておけば良かったって状況に陥るパターンなんだよ!
頭を抱えて唸り声を上げていた僕は、ふと美味しそうな匂いに気付く。
いつの間にかローテーブルの上に、湯気の上がるカップが置かれていた。
手を伸ばし口をつける。
温めた葡萄酒に生姜や肉桂が入れてあり、その優しい味わいに強張っていた体の芯がゆっくりと解れていく。
顔を上げると居間の入り口で、心配そうに僕を見つめるキッシェたちと目があった。
飲み干したカップをテーブルに置いて、彼女たちに声を掛ける。
「ありがとう。美味しかったよ。心配かけてゴメン」
嬉しそうに頷く少女たちを見ながら、僕は改めて現状の問題点の根っこに気付く。
そうだ。いつも振り回されているのは僕たちの方ばかりだ。
その部分をなんとかしなければ、同じことの繰り返しになる。
確かにニニさんやメイハさんは、僕よりもかなり歳上だ。
それに頼ってしまった部分や、強く言い返せない部分がなかったとは言い切れない。
その辺りを有耶無耶にしてしまうと、この先もトラブルがトラブルを引き込んでくる予感しかない。
あとキッシェの眉が戻らなくなっても困るし。
やはり一度しっかりと、話し合う時期なのかもしれない。
心を決めた僕は、少女たちを安心させようと両の手を左右に大きく広げた。
ホッとした笑みを浮かべたキッシェたちが、一斉に僕に駆け寄ってきて――。
ぎゅっと抱きしめると、なぜかモコモコだった。
あれっと思い見直すと、腕の中にいたのはピータだった。
嬉しそうに尻尾を振りながら、僕の顎や首を舐めまわす。
「そうか、そろそろ散歩の時間だしな」
真っ白な狼犬のピータは来た当初はニニさんの命令しか聞かなかったが、今は僕を家長と認めてくれたのかこうやって甘えてくれる。
頭を撫でてやると小さく喉を鳴らすピータを見ながら、僕は躾の重要さを改めて思い出す。
抱き合うタイミングを邪魔されて落ち込むキッシェに、腹を据えた僕は宣言する。
「キッシェ、明日、ニニさんとメイハさんで家族会議をしてみようと思う」
「……大丈夫ですか? 旦那様」
「うん。一度、三人でじっくりと話し合ってみるよ」
障害モンスター―迷宮組合によるモンスターの分類の一種。進行を阻害し必ず倒す必要のあるモンスターを指す
ケーキセット―組合の食堂で頼めるセット。季節のケーキに香茶かミルクセーキかオレンジジュースが選べる。菓子屋の老舗、迷宮堂で修行した職人が作っている。
次話はノクターン出張版の掲載となります。
「あなたの年齢、十八歳以上ですか?」「はい/いいえ」
内容的には息抜き場面となりますので、本編に絡む要素は全くありません。
苦手な方は飛ばして頂いても、支障はありませんのでご安心ください。




