五層ボス戦その1
声もなく少女は笑っていた。
骸の座に座り込んで、艶のある黒髪を揺らしながら。
その顔は人形の如く無機質で整った造形ながら、どこか奇妙な凄みを漂わせている。
たぶん黒い瞳のせいだろう。
少女の眼は明らかに人とは違う光を帯びていた。
これまで対峙してきた数多のモンスターと同じ、それは捕食者の眼光だった。
廃墟に似つかわしくない黒いドレス姿の少女は、笑みを浮かべたまま優雅にその手を僕たちに向けて持ち上げた。
袖のフリルが妖しく揺れ、肩に羽織った白いケープからはキラキラと光の粒が舞い踊る。
何かを欲するように差し出された少女の手は、気付かぬ間に戦いの始まりを告げていた。
少女の腰掛ける骨の山の一部が動き出し、二体の足長となって立ち上がった。
同時に足長たちの後ろの祭壇跡に、骨の塊が寄り集まり巨大な柱となっていく。
瞬く間に少女の周りは、黒骨の護衛たちで固められた。
対してこちらは、状況について来れず声を失っているソニッドさんとメイハさん。
そして絶叫を放ち終え両の拳を固く握りしめるニニさんの瞳は、さらに赤みを増していた。こんな状況だが、怒りをたぎらせるその両目は紅玉みたいでとても綺麗だった。
骸骨どもを召喚し終えた少女は、こちらに突き出した手の指を人差し指から順に手前に折り曲げる。
その小馬鹿にした手招きの仕草に、ニニさんの限界が簡単に突破した。
またも吠え声を上げたニニさんは、あっさりと鬼モードへチェンジする。
意外と挑発に弱いな、この人!
「ソニッドさん、あの女の子がボスらしいです。ニニさんが暴れてる隙を狙いましょう」
「おっ、おう。やってはみるが、ありゃちょいと難しいぞ」
「怪我したら無理せず引いて下さい。メイハさんが治してくれますから」
僕の言葉にメイハさんは黙って頷くと、入ってきた扉まで下がってくれる。
当たり前だが両開き扉は、外から閂でも掛けられたかのように開かなくなっていた。
視線を前に戻すと、飛び出したニニさんは既に広間の半ばまで進んでいた。
起こりの読めない『縮地』のせいで、足長の矢は全く的外れな位置へ突き刺さる。
放っておいても鬼ニニさん一人で全部倒してそうな気もするが、ボス戦はやはりそう甘くはない。
突き進む青い稲妻は突如、鋼の壁に阻まれた。
連続縮地を使いながら飛び跳ねるように広間を縦断していたニニさんに、横合いから大きな影がその溜めの一瞬を狙いぶつかってくる。
凄まじい衝突音が廃墟の空洞に響き渡り、ニニさんの体が大きく後退した。
瓦礫の背後から姿を現したのは、鎧に身を包んだ騎士だった。
右手には、片腕で持つにはやや長い片手半剣。
全身を覆う板金鎧は、ゴツゴツとして黒く禍々しい。
そしてその騎士には、在るべき部分が欠けていた。
ないことによって、その存在感が逆に浮き彫りになる。
首から上の空所――首無騎士だ。
首無騎士は、左手に持つ長盾を大きく掲げた。
失われた首はそこにあった。
盾の中央に引き伸ばされたかのように、人の顔が浮きだしている。
そしてその額の部分から長く伸びる一本の棘――あれは角か。
首無騎士は物言わぬまま、吹き飛ばしたニニさんへ挑みかかる。
対するニニさんは、力強い咆哮をあげながら迎え撃つ。
剣尖を拳が弾き、蹴撃を盾が受け止める。
恐ろしいことに首無騎士は、闘技場の石柱を振り回せるニニさんの膂力と互角に渡り合えるようだ。
ここは追撃して、首無騎士にどれくらいの耐久力があるかを確認しておきたいところだが、先にやっておくべきことがある。
中央での攻防をニニさんに丸投げした僕は、無防備に腰掛ける少女目掛けて矢を放った。
が、到達する数歩手前で、矢が弾かれる硬い音が鳴り響く。
予想通り少女の前には、新たに二体の首無騎士がその身を挺していた。
主を守った首無騎士たちは、盾を構えたまま矢の射線上に立ち塞がる。
これはかなり面倒な配置だな。
三体の首無騎士が前面で守りを固め、その頭上から足長が矢を射かけてくる。
そして完成した骨柱から伸びる両腕が、呪紋を宙に描き始めた。
――でもまあ、これくらいをピンチと呼ぶには気が早過ぎる。
まずは『四連射』。
空気を裂いて放たれた四本の矢が、少女の両脇に立っていた足長のそれぞれの眼窩に突き刺さり、その頭蓋骨を綺麗に吹き飛ばした。
次に『ばら撒き撃ち改』で、骨柱の腕たちを吹き飛ばす。
うん。初めて使ったが高いだけあってさすがの高威力だな、この黒骨の矢は。
従来の角の矢だと貫通は難しかったが、そこは毒を以て毒を制すという訳だ。
あいつらの素材、黒骨で作った鏃は見事にその頑丈な体を砕いていた。
ただ悲しいことに、この黒骨の矢一本のお値段は大銅貨五枚。
さっきから歯を食い縛って、撃ち込んでいる。
中央でも鬼二体の争いは、決着が付きかけていた。
唸り声を上げるニニさんが首無騎士の腕を引き千切り、その盾を容赦なく殴りつける。
数度の拳の打ちつけに、盾がへしゃげ中央の顔が醜く歪む。
さらに止めとばかりに、渾身の右拳が盾を貫く。
途端に首無騎士は、糸が切れたように地に伏した。
障害物を叩きのめしたニニさんだが、その身もかなりの手傷を負っていた。
吹き出した血が霧状になって、その身に纏い付いている。
だが彼女は、そのまま脇目もふらず少女へ突き進む。
突っ込んできた大鬼を、盾で食い止める首無騎士たち。
そのチャンスを僕と――もう一人、ソニッドさんは見逃さなかった。
空いた射線に『四連射』をぶち込む。狙いは少女の首、両眼、心臓だ。
同時に骨山の陰から身を現したソニッドさんが、『不意打ち』を仕掛ける。
次の瞬間に起こったあり得ない景色に、僕は思わず息を止めた。
宙を突き進む四本の矢。
その先端が少女の側に近づいた途端、唐突に形を変えた。
進みながら矢は空中でその形を失い、バラバラに砕け塵となって落ちていく。
それはソニッドさんも同じだった。
突き出した黒い短剣は少女に到達することなく切っ先から崩れ落ち、握っていた手までが一息に腐り落ちる。
地面に転がった肘から下を、ソニッドさんは驚きが張り付いた顔で見つめていた。
たぶん僕と同じで、思考が追いついていないのだろう。
一息置いて、両手の先を失ったソニッドさんは呻き声を上げた。
その顔面にスルリと少女の白い手が伸びる。
呆然としていたソニッドさんの顔が、激しい苦悶の表情を見せた。
だがそれは、ほんの一瞬であった。
見る見る間にソニッドさんの顔が干からびていく。
頬がへこみ眼球が萎み、唇が縮み上がる。
声を上げる間もなく骸骨に皮をかぶせたような変貌を遂げたソニッドさんは、力を失いその場に崩れ落ちた。
ソニッドさんから生命力を全て抜き取った少女の頬に、僅かに赤みがもどるのが見えた。
そして少女の視線は、矢を放った僕の方へと移される。
「…………完璧に初見殺しだ、これ」
真後ろで息を呑んだメイハさんの気配を確認しつつ、僕は首無騎士二体に引けを取らず暴れ続けるニニさんの姿を視界に収めながら戻れと呟いた。
首無騎士―蘇りし者の一種。楯状に顔が変化しており。そこを真っ先に狙われる。可哀想




