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回廊を抜けて

 真黒に塗られた壁のような暗闇を前に、僕は大きく息を吸い込んだ。

 そして埃とカビが混じる嫌な臭いに、酷くむせ返る。

 

 次に腰に巻いた三本の縄の結び目を、緩みがないか引っ張って確かめる。

 ついでにそれぞれの縄の先の三人を安心させるために、それらしく頷いてみせる。

 安心感を示しておきたいシーンだが、どうも見た目が頼りない僕には難易度が高すぎたようだ。


 最後に背中の重みをもう一度、しっかり担ぎ直す。

 伝わってくるミミ子の鼓動はゆったりとしていて、少しの緊張も感じられなかった。



「それでは行ってきますね。ミミ子、お願い」

「ほいさ~」



 相変わらずの気の抜けた返事で、狐耳の少女は僕の肩に乗せていた手を軽く振る。

 ふわりと落ちてきた淡い輝きを手の平で受け止めた僕は、そのまま暗闇空間ダークゾーンに足を踏み入れた。

 ここで足踏みしてると、不安が皆に伝染しそうだから怯む訳にはいかない。

 

 全く前と変わりなく、僕の視界が一瞬で黒一色に変わった。

 ミミ子の生み出した火も、呆気なく消え失せる。

 だがその暖かみは、しっかりと残っていた。



 手の平に乗った熱に導かれるように、僕は闇の中をそろりと歩き始めた。


 

 この暗闇は話に聞くだけなら、少し長めの棒でも持って辺りを突きながら進めば簡単に抜けられるような印象だが、実際に体験してみるとそんな物ではないと直ぐに判る。

 現在、僕がかろうじて認識している方角は、足の裏が踏みしめる下方向だけだ。

 それくらい方角が判らなくなっている。


 目指した地点に辿り着くのに、目を閉じて歩いてみるとこの感覚に通じるかもしれない。

 数歩までは自信満々だが、十歩を超えると不安で堪らなくなり、二十歩近くなるとそれ以上進むのが怖くなってくる。

 いかに普段、視覚情報の恩恵を受けているかがよく理解できると思う。


 その点、ミミ子の『狐火フォックスファイア』は自動で障害物を感知して避けてくれる。

 壁伝いに歩けばそのうち出られる筈だが、こっちの方が断然速い上に迷うこともない。

 

 狐火の熱に誘導されながら、僕は暗闇の中を進んでいった。

 

 最初に始まったのは赤子の泣き声だった。

 閉ざされた眼の代わりに、敏感になった耳がその微かな音を捉える。


 聞いているとその声は徐々に間延びしてくる。

 同時に声は大きくなり、ついには耳元で長く泣き叫び出した。

 母親は何やってんだよと思いつつ、仕方がないので無視したまま、手の上の熱に従い進んでいく。


 しばらく進むと泣き声は小さく消えていき、次に聞こえて来たのは笑い声だった。

 嘲笑うような、厭味ったらしい笑い方。

 大勢の気配が僕を取り囲み、次々と嫌らしい声を響かせてくる。

 思わず愛想笑いを返してたら、なぜかミミ子に後ろからぎゅっと首を絞められた。



「どうかしたか?」

「うう、ちょっと耳鳴りしてきた。声が五月蝿すぎて…………吐きそう」

「それは勘弁してくれ!」

「……声大きいよ、ゴー様」

「ごめん。我慢できるか?」


 

 返事の代わりにミミ子は、僕の背中に顔を埋めてきた。

 狐っ子だから耳が良いのは知ってたが、まさかの弱点になるとは。


 急ごうと焦りつつ前へ向き直ると、目の前にぽっかりと誰かの顔が浮かんでいた。

 以前と同じ切り取られた顔部分だけが、行く手を遮るようにずらりと暗闇に並ぶ。

 

 その大半は見覚えのない顔だ。

 ただ端の方の顔、あれは確か傭兵時代の同期の奴の顔に見える。

 断言じゃないのは、もう殆ど覚えてないからだ。


 思えばあれからもう随分、時が流れたんだな。

 あれが同期となると、その周りの顔は傭兵団の連中かな。

 う~ん、誰か一人足りてない気がする。


 あ、あっちのは僕がずっと昔に、宝箱を横取りしてしまったおっさんだ。

 蜥蜴たちに襲われて、誰にも助けて貰えず結局駄目だったと聞いている。


 もしかしたら、今の三人は夏頃に僕とミミ子に絡んできた連中か?

 あいつらも、それなりに良い奴だったな。少しばかりお馬鹿だったけど……。



 ちょっとした同窓会のような気持ちになりつつ、僕は懐かしい顔の群れの中を歩き続けた。



 手にした蟷螂の赤弓に授与アワードされた『不動アチャラ』の真言には『不変コンスタンス』が含まれている。

 これのせいで少しマシなのかも知れないが、それ以外の理由もあると判っていた。

 多分、僕は見てきたモノが多すぎて、その辺りの感情は小さい欠片くらいしか残ってないんだろうな。

 

 しかも顔たちは口々に何かを一斉に呟いているせいで、互いに混じり過ぎて言葉が意味不明になっている。

 もう少し間隔を空けるか、同じ台詞にすれば良いのになんて思っていたら、不意に指先に感じる暖かみが増えた。

 これはと思い、急いで眼を閉じて突き進む。


 唐突に光が差し込んできたのが、塞いだ目蓋を通しても判る。

 ついに僕たちは、暗闇の回廊を抜けたのだ。


 ホッと息を吐きながら、僕はゆっくりと目を見開いた。

 明るさに順応していく視界が、ぼんやりとした建造物の輪郭を捉える。



 それは五層へ降り立った時から見えていた巨大な建造物、終世神を祀る神殿の大伽藍だった。


 


   ▲▽▲▽▲


  

 

「着きましたよ、ニニさん。大丈夫ですか?」



 縄に引っ張られて暗闇から姿を現した女性は、両腕で自らを抱きしめたまま震えていた。

 僕の呼びかけに顔を上げるが、涙が薄く溜まった赤い瞳の焦点は合わず、ぼんやりとしたままだ。

 


「もう平気です。暗闇は終わりましたよ」

「ああ…………うん……」


 

 喋るのも覚束ないニニさんの体に触れると、微かな震えが伝わってきた。

 僕はそれ以上何も言えず、静かにニニさんの体に腕を回した。


 体の熱を伝えようと、力を込めて抱きしめる。

 鍛え上げたニニさんの体は弾力を持ちつつ、それでいて芯の部分に女性特有の柔らかさを残していた。

 

 しばらくそのままで居るとやや落ち着きを取り戻したのか、僕の耳元でニニさんが小さく息を吐いた。

 そして珍しく目を伏せたまま、弱々しく囁いてくる。



「…………ありがとう」



 たった一言だったが、その言葉はなぜか僕の心に突き刺さった。


 先日、ニニさんの過去を長々と聞いた時は、実はそれほど僕の気持ちは揺れなかった。

 知らない遠くの国で起こった戦争。顔も浮かばない名前だけの登場人物。

 よく出来た物語を聞かせてもらった――そんな心持ちしか感じなかった。


 でも今、腕の中で唇を固く結んだまま震えている女性は、ハッキリと僕に助けを求めていた。


 自然な感情に身を任せて、僕はニニさんと唇を重ねた。

 少し瞳を見開いて、ニニさんはいきなりキスをしてきた僕をマジマジと見つめてくる。

 そんな態度にお構いなく、衝動に身を任せたまま口づけを続ける。


 いつしか己を守っていたニニさんの両腕が解かれ、僕の背中にさり気なく回される。

 ついばむようなキスをしていると、ニニさんは小さく笑みを浮かべて額をコツンとぶつけてきた。


 彼女の角が、僕の眉間をくすぐるように突ついてくる。

 その仕草が可愛くて、僕は思わず笑い出してしまった。

 ニニさんも薄く唇を持ち上げて、僕に微笑んでくれた。




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