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大鬼の過去

 ここより遥か北、寒風吹きすさぶ平原がニニの生まれ故郷だ。


 

 雪混じりの風が叩く地面は氷に覆われ、薄曇りの空に浮かぶ太陽は輪郭も覚束ない。

 吐く息は絶えず白く、不屈の魂を持たなければ心まで凍り付くような地だ。


 その地に生きる大鬼オーガの氏族、勇み角ラニフの族長の五女としてニニは生を受けた。


 常人では厳しい地であったが、大鬼オーガたちはそこで生き抜く術を心得ていた。

 雪嵐に飛び交う雪魚や氷霧をまとう毛長象を捕らえ、火酒を呷り白狼を飼い馴らす。

 凍えを知らない闘血をたぎらせながら、大鬼オーガたちは大凍原の過酷な放浪の日々を平然と生き抜いてきた。


 彼らの頑健さをもってすれば、他者の暮らす暖かい地を襲撃し略奪することは容易い所行だったろう。

 だが大鬼オーガたちにとってそのような蛮行は、非常に嫌忌すべき行為であった。

 弱きものたちを守ることこそが、彼らの名誉であり誇りと定められていた。

 

 そして何よりも大鬼オーガたちをこの大凍原に留め続けた理由は、大いなる精霊の存在にあった。

 

 氷の地に坐する地の大巨人ティタン

 それらを敬いその恩恵に与ることこそが、勇み角ラニフの氏族に課せられた使命であるとニニは幼い頃より教えられて育った。


 山のようにしか見えない大巨人の裾野に張られた天幕で大鬼オーガたちは暮らし、その山の背から鉄を含む石を掘り起こす。

 精製された鉄を鍛え武器や防具を造り出し、黒小人族ドヴェルグ)との交易で赤炭石などの燃料と交換する。

 そうやって長い時を、地の大巨人ティタン大鬼オーガは共に生きてきた。

 

 稀に瞑想から覚めた地の大巨人ティタンが起き出して山が動くこともあったが、その時季は地読みの巫師によって正確に予言されていた。


 地の大巨人ティタンの目覚めにあわせて、その背からは氷の巨人フロストギガースたちが大量に産み落とされる。

 この巨人ギガースとの対決が、大鬼オーガにとって生存を賭けた重要な戦場であり、また大切な儀式の場でもあった。


 幼いニニが初めてこの戦場に赴く際に、祖父のニノにいつになく厳しい眼で教えを授けられた。

 いかなる情念を抱くことも禁ずると。

 

 闘血をその身に宿す大鬼オーガ族は、血に狂うと制御を失い敵味方見境なく襲い掛かる。

 襲われた者もその身を守るために我を忘れ、連鎖的に死の嵐が吹き荒れる結果となる。


 祖父の教えを守ったニニは、初陣で四つの首級を上げ氏族にその名を大きく知られる身となった。 

 大鬼オーガでも珍しい赤い瞳をもつ少女は、巫師の素質も持ち合わせていたことにより、皆から可愛がられその将来を大いに切望される。

 少女もまたその期待に応え、武をよく修め巫術の才を開花させた。



 厳しいながらも穏やかで満ち足りた時を過ごしていたニニだが、彼女が十八歳の時に大きな転機が訪れる。



 人族たちがこの地にもやってきたのだ。

 毛皮を着こんだ兵を引き連れたその男は、追放伯エーラサスと名乗った。

 罪を犯し辺境に封じられた身だと言う。


 そして彼はこうも言い放った。

 お前ら蛮族を領民として扱ってやる。その代わり持っている鉄を全て差し出せと。



 ――戦となった。



 闘いを愛し、闘いに愛された大鬼オーガたちにとって、粗末な武具を振り回す人の群れなぞ敵として扱うのも恥ずかしい話であった。

 追放伯の軍勢は三度この地を訪れ、いずれも酷い敗退の様を見せる結果となった。

 

 そして四度目にやってきたのは、新しい顔ぶれであった。

 エーラサスの長子サリドールが引き連れていたのは、人の軍勢ではなかった。

 

 黒い骨を剥き出しにした死者の群れ。

 その先頭に立つ大柄な体格の骸骨たちを見た時に、大鬼オーガの軍勢に悲痛な叫びが上がった。

 先の戦で失った父や息子、甥や祖父の変わり果てた姿に、闘血を抑えきれず彼らは敗走を余儀なくされた。


 だが彼らとて、伊達に戦いの場に長くその身を置いてきた訳ではない。


 冷徹さを思い起こせば動きの遅い骨など恐るるに足りず、再戦に於いて多くの骨が大地に還ることとなった。

 人族との戦は、これで決着がついたかのように思えた。


 だが終わりにはならなかった。

 病が発生したのだ。


 傀儡にされまいと持ち帰った遺体のせいなのか、それとも最初からそうなるように骨たちに予め毒が仕組まれていたのか。


 熱を発し臓腑が腐る病に、氏族は大きく浮足立った。

 そこに僅かな従者を引き連れて乗り込んできたのが、悪夢の軍勢を操っていたサリドールである。


 当然の如く、ニニとその兄たちが行く手に立ちはだかる。

 細腕の人族なぞ一捻りで事足りると思っていたニニたちだが、その身を怪しげな術に縛られ何も出来ず地を這う羽目となった。


 あっさりとニニたちの身柄を拘束したサリドールは、その父にあたる氏族の長に一通の書状を無言で差し出した。

 さもありなん。使者の唇は黒い糸で上下が縫い合わされていた。


 書状の内容は、簡潔であった。

 病を治す薬を分け与える準備はある。

 その代わり我らに隷属し、その鉄の半分を毎年差し出せ。


 妻を始めとする病に倒れた大勢の民の行く末を案じ、族長はその首を黙って縦に振った。


 頭を垂れる大鬼オーガの長に対し、サリドールは書状にもう一文を書き添える。

 先ほどの者たちを人質として我に差し出せと。


 勇み角ラニフを守るために、族長は自らの家族を差し出す道を選びとった。



 こうしてニニは、終身奴隷となる。 



 その後、なぜか主であるサリドールは、ニニたちを連れて追放伯の家から距離を置いた。

 もう己の役目は、十分に果たしたと言わんばかりに。


 そしてニニと兄たちはこの迷宮都市へと連れてこられた。

 兄たちは、剣と盾を学び主を守る騎士ナイトとなった。

 剣の扱いが不向きであったニニは騎士にはなれず、代わりに護法士モンクの修行を命じられる。


 強者である主に対する畏敬の念。

 故郷を貶めた憎き敵に対する憎悪の念。

 複雑に絡む感情を抱えながら、ニニは懸命にサリドールへ仕えた。


 やがてそれなりの月日が経ち、サリドールの小隊パーティは五層へと到達する。

 その時に見せた主の歓喜の様を、ニニは今でもハッキリと覚えている。


 やっと安住の地を見つけたかのようにはしゃぐ主。

 

 しかし探求においては感情の一切を隠したまま、サリドールは慎重に慎重を重ね進んでいく。

 第五回廊まで到達した時は、小隊全員はレベル5に上がっていた。


 暗闇に覆われた第六回廊の手前。

 そこで事件は起こった。


 途中で怪我を負ったニニは、身動きが取れぬまま柱の陰に横たえられていた。

 当時の小隊パーティには治癒士ヒーラーがおらず回復薬頼みであったのだが、なぜかその時のニニには与えられなかった。


 意識を失う寸前に、己に向かって微笑みを浮かべてみせたのがニニの見た主の最後の姿である。

 これまで尽くしてきた主はそれ以上は何も示さず、三人の兄を引き連れて何処かへ姿を消した。


 その後、たまたま後続の小隊パーティがやって来て、ニニは無事地上へ戻ることが出来た。

 そんなニニを待ち構えていたのは、迷宮組合ラビリンスギルドに預けられていたサリドールの遺言だった。


 自由を手に入れたニニは主の真意を探ろうとするが、一人の身ではそれも叶わず己の力不足を痛感する。

 自分が置いて行かれたのは、その所為であると。


 己を鍛え直すため、ニニは独りで迷宮へと挑み続けた。

 そして気がつけば憎しみや焦りは遥か彼方へ消え去り、ニニのレベルも6に上がっていた。


 仲間も大勢増え、闘技場での地位も確立した。 

 いつしかニニは、今の現状に満足している自分に気がつく。


 そんな時、ニニは一人の少年と出会った。

 初対面の時にニニが受けた印象は、なぜそんなにも眠そうな眼をしているのかだった。

 

 その後、査問会で出会った少年が、奴隷の亜人少女と分け隔てなく話す様子に心が揺れた。

 自分と元主の関係を思い出して、少し悲しくなったことは記憶している。


 そして闘技場での出来事。

 かつて戦場で見た同胞たちの姿を、ニニは忘れたことはない。

 闘血に溺れ浅ましい獣に堕ちたその有り様に、自らをより戒めた――筈だった。


 けれども闘いの先を、全て読み取られる恐怖。

 その恐怖により昔日の敗北が生み出した己の哀れな境遇を思い出した時、ニニの心の枷は粉々に砕け散った。


 その後のことは、周知のとおりだ。

 闘いを通じて理解し合い、その果てに芽生えた少年との愛。

 その熱い魂の一撃に、ニニは人の心を取り戻した。


 だがこれから共に歩む前に、自分の奥底にある感情にけりを付ける必要がある。

 ニニはそう考え、少年に全てを託すこととした。



   ▲▽▲▽▲



「って起きろ、ミミ子。失礼だろ」

「うう~。回想の中でさらに過去の話が始まったとこで限界だったよ」

「そんな場面はなかったろ!」


 緩く頭を叩くと、ミミ子はその長い耳を軽く動かしてみせる。

 もしかしたらこの重苦しい空気を感じて、わざとやってるのかもしれないが。

 と言うか最後辺りは、少し、いやかなり食い違いがあったような。

 僕は辛い昔話を打ち明けてくれたニニさんに、改めて向き直る。


「それでもう一度、そのサリドールさんの形見を探していた訳ですね。気持ちの決着を付けるみたいな」

「ああ、私をこの迷宮に引っ張りこんだお礼と文句が言いたくてね」

「でも見つからなかったと?」

「うむ。第五回廊までに拾ったのは、全て銀板シルバープレートだった」

「やはり、あの暗闇の奥が怪しいと」


 僕の指摘にニニさんは、真っ直ぐ瞳を合わせたまま頷いてくる。


「もし主や兄たちに出会ったら、また闘血に飲み込まれてしまう可能性を私は否めない」

「確かに、あの暗闇は危ないですね」

「そのために、君が必要だ」

「…………いや無理ですよ」

「大丈夫だ。君なら出来るはず」

「いやいや、真っ暗闇で暴走されたら死にますって」


 首をブンブンと横に振る僕の肩を、ニニさんはがっしりと掴んで離してくれない。

 その真っ赤な宝石を思わせる眼から放たれる光が、僕の心の中に染み込んでくる。

 


「――私は君を信じている」

 


 呟くようなその一言は、これまでの冷静なニニさんの声とはかけ離れ、とても弱々しい響きを伴っていた。

 ここで力になれないのは、流石に男として恥ずかしいか。


「分かりました。ただし、危なくなったら中止しますよ」


 まあ、駄目だったら巻き戻せロードば良いしね。


「ありがとう。君と出逢えて本当に良かったよ」


 その時、見せてくれたニニさんの笑顔を、僕は今でもちゃんと覚えている。



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