迷宮の掟
直結厨が一人入っただけでギルドがあっさり崩壊したでござる
ミミ子が我が家にやってきて、一ヶ月がたった。
季節は蝉の声がない夏に近づいていた。
その日は低体温症ぎみなミミ子も、流石にフードの止め紐を緩めるくらいの暑さであった。
些細なことが、後の大きな流れをつくる切っ掛けになるのを僕はよく知っている。
その時はそれが始まりだった。
人いきれで蒸された迷宮組合のロビーを、僕とミミ子は足早で駆け抜ける。
探求者にすれば夏だろうが冬だろうが基本、装備に変わりはない。
だが一定の快適な温度が保たれる迷宮と違い、ここの温度はもろに外気の影響を受ける。汗を吸った鉄鎧や革鎧から放たれる臭気は、長く嗅いでいたいとは到底思えない酷さだ。人混みの合間をすり抜けて、レベル3探求者用の受付に向かおうとしたその時、事件は起こった。
騒がしく歩いてきた三人組の探求者とすれ違う際に、そのうちの一人が大袈裟に振り回した手がミミ子のフードをかすったのだ。
はらりとフードが脱げ、ミミ子の真っ白な髪があらわになる。
僕は慌ててフードを戻そうとしたが手遅れであった。
「おっ、何ソレ」
「すげぇキレイ」
「て、コイツ亜人かよ」
ミミ子に気づいた三人組が大声を上げる。
そしてロビー中の注目が、あっという間に僕らに注がれた。
「お、アンタこの子の連れか?」
縮こまったミミ子を庇うように前に出た僕に、三人が挑むような目線を向けてくる。
その中でミミ子のフードを脱がした奴が、僕の下げていた探求者認識票の色に気付く。
「ってレベル3かよ」
「俺らレベル2だし、ちょうど良くね?」
「お前は冴えてる。今日のお前は恐ろしいよ」
「だろ、これ今日は宝箱出しちゃう系だろ。ま、そういうことだし行こっか」
「はっ?」
「いや今の流れだと、一緒にパーティ組もうって意味だろ。空気読もうよレベル3」
「このノリが判んないとダメだぜ~」
「いや結構です。パーティは間に合ってますので」
「はぁ?」
「一緒にレベル上げしてやろうってのに、それ何? お前に断る権利はねーんだよ」
「誘ってやってるのに、ソレはないだろ~って、寝てんじゃねーよ!」
この眠そうな目は、生まれつきだよ。
「ここでの無理な勧誘は、怒られますよ。止めましょうよ」
後から考えれば、もっと無難に断れた筈だった。
僕もちょっと蒸し暑さで、イライラしてたんだろうな。
「あ、もうイイわ。なんか冷めたわ」
「そうだな。そっちのカワイイ子だけで行こうぜ」
こういう場所で揉め事を吹っかけられた時、力を誇示するのは馬鹿のやることだと前々から僕は思っていた。
一時の憂さ晴らしで、余計なヘイトを稼ぐことはない。あとで面倒になるだけだと。
だが次の言葉を聞いた時に、僕の自制心はあっさり消え失せた。
「じゃあその子一日貸してくれたら許すわ。そいつ亜人だから奴隷だろ? 俺らにも良い目見せてくれよ」
僕はミミ子に伸ばしてきた男の手の親指を掴み、反対側に躊躇なくねじ曲げる。
女々しい悲鳴を上げてうずくまる男を見て、もう一人が大仰に腕を振りかぶる。
そのがら空きの喉仏を一撃してやると、呼吸が止まったようで膝をついてむせ出した。
最後の一人は仲間の惨状に頭が血が上ったのか、猪のように突っ込んでくる。
それを半歩引いて躱しながら、脇腹に手加減無しで膝を打ち込む。
男は豚のような泣き声を漏らし、床に這いつくばった。
そこでようやく騒ぎに気づいたのか、警備員が駆けつけてきた。
▲▽▲▽▲
火吹蜻蛉が、全身から火の粉を吹き出して僕に迫る。
それをギリギリの間合いで避ける僕。
たが羽ばたきで煽られた火の粉が、僕の全身に振りかかる。
僕の体は白い煙を上げながら、ゆっくりと崩れ去った。
獲物が消え失せたことで、トンボの動きが一瞬止まる。
次の瞬間、トンボの胸部に一本の矢が突き刺さり、声を上げる間もなくモンスターは地面に墜ちた。
床に転がるトンボの死体が消えて、代わりに現れた薄いガラスのような羽根を拾いながら、僕はミミ子に声をかけた。
「ちょっと休憩しようか」
勿論、さっきダメージを受けて消えたのは僕の幻影だ。
初期はミミ子の幻影を使って囮狩りをしてたのだが、幻とはいえ少女が襲われることに耐え切れなくなった僕が、自分の幻影を使ってくれとお願いし今のやり方になっている。
「おやつでも食べる? 揚げ団子あるよ」
「…………」
僕の問いかけに、ミミ子は押し黙ったままだ。
いつもなら二つ返事で飛びついて来るのだが、今日はずっと無言を通している。
まあ原因は判っている。
きっと午前中に起きたロビーのいざこざを気にしてるんだろう。
警備員に取り押さえられそうになった僕だが、事情を見ていた周囲の方の声で無罪放免になった。そして声を掛けてきた三人組も、ルール違反だったが手酷い目にあったのでお咎めはなく厳重注意で済んだらしい。
僕が折った骨も、ギルド所属の治癒士さんが治してくれたそうだ。
その後、僕らは普通にレベル上げに出かけたのだが、ミミ子の様子がおかしいまま今に至ってる。
いつもならもっとマイペースで我が儘言い放題なミミ子が、こんなに大人しいと調子が狂う。元気づけようと気の利いた言葉を考えていたら、憂いを帯びた瞳を伏せたままミミ子が小さく声を漏らした。
「…………ゴー様、ごめん」
「いや全然怒ってないし、気にもしてない。あれは運が悪かっただけ。そもそもミミ子は何も悪くないだろ」
「うん、でも噂になっちゃたと思うし……」
「噂なんて気にしない。どうせ僕は地味だし、みんなすぐに忘れるよ」
「無理だと思う。この髪をみたらきっと――」
ミミ子の言葉を全て聞き取る前に、僕は飛んできた矢をわずかに首をひねって躱す。
矢が飛んできた方向に目を向けると、そこにいたのは朝の三人組であった。
僕が矢を避けたのが余程驚きだったらしく、三人とも間抜けなほど大きく口を開いている。
「あり得ねぇぇ! この距離で避けるか」
「おい、女を狙え! そしたら庇うから避けれねぇって」
ミミ子めがけて放たれた二本の矢を、僕はすかさず片手で掴み取った。
的が判ってるなら、これくらい簡単だ。レベル3を舐めるな。
「……なんだよあれ、アイツ矢を掴んだぞ……」
「……化け物かよ」
「うるせぇ、だったら斬り殺せばイイだろ! 行くぞ」
心底呆れるほどの馬鹿って居るんだな。
こいつらは朝の下らないやり取りの恨みを晴らす為だけに、たった今、命を投げ捨てたのだ。
でも僕も、こいつらと同じくらい馬鹿かもしれない。
剣を抜きこちらへ迫ってくる三人組に対し、僕はなんとも言えない視線を向ける。
こうなる前に巻き戻しすべきだった。
そうしておけば、ミミ子にこんな顔をさせることもなかったのに。
一ヶ月続いた巻き戻しなしの生活に拘ったせいでこのザマだ。
「さっきは武器がなかったが、ここなら使い放題だ。思い知らせてやる!」
片手剣を抜きはらった男に対し、僕は無言で弓を地面に向けた。
「へたれかよ! さっきのもまぐれってとこか」
「終わってるな、お前。ま、奴隷ちゃんは俺らが可愛がってやるし安心しとけ」
「――――終わったのはお前らだ」
「へっ?」
そこでようやく両足が動かない事実に気がついたのか、先頭の男が声を上げた。
その足首は、床から現れた透き通る手に掴まれている。
「なっ? なんだコレ?!」
「いや探求者になる時に、初回の講習で教わったろ。この迷宮の禁忌を破るとどうなるかって」
「アレってただの脅しだろ!」
「本当に馬鹿だったんだな……」
男たちの足首を掴んでた手とは別に、新しい手たちが次々と床から長く長く伸びてその膝や腰に縋り始める。
あれは冥府への案内人だ――過ちを犯した人間を罰する為の。
神が創ったこの『試練の迷宮』は、神の創造物である僕ら人間同士で血を流すことは許されていない。
この迷宮内で敵意を持って他人に武器を向けたものは、即刻の退場を命じられる。
ただし迷宮外ではなく迷宮の下、死者の国にであるが。
ここは迷宮であると同時に、神々の神殿でもあるのだ。
「おいおいおい、なんだよコレ! おい助けてくれ!」
振り回した剣が、亡者の手をすり抜けることに気づいた男たちは悲鳴を上げる。
でも僕にはどうしようも出来ないし、これ以上かける言葉もない。
だがミミ子は違ったようだ。
突如、少女の幻影がミミ子から飛び出し、三人組に絡みつく亡者の手に挑みかかる。
「ミミ子、何やってんだ!」
「助けなきゃ! 死んじゃう」
「馬鹿! 無駄だよ。なんてことを」
ミミ子の幻影を全く気にも留める様子もなく、死者たちは男共を床に引きずり込んでいく。
男たちは周囲を懸命に飛び回る少女の幻影に、必死でその手を伸ばす。
何かを言いたげに目を見ひらき口を大きく開けるが、その眼と舌を亡者の手が容赦なく掴み取る。
あっと言う間に男たちは、装備品だけを残し地面の下へと姿を消した。
そして次は僕らの番だった。
「えっ?」
足元から伸びる無数の手が、僕たちの体に絡まるのに気づきミミ子が声を上げる。
どんな事情であれ亡者の手に攻撃を仕掛けてしまったら、どこにも逃げようがない。
こいつらはどこまでも追いかけてきて、容赦なく冥府へと引きずりこむ。
「いいか、ミミ子。ああなったら、誰でも絶対見捨てろ」
「……ごっめん……なさい、ご……め……」
「泣くなって、僕は気にしてないし。お前は良い子だからああいう時、動いちゃうのは仕方ない。僕がもっと注意すべきだった」
「ご……主人様は悪くない。優しくしてくれたのに、私が甘えちゃったから」
なんか初めて主人扱いしてもらった気がする。
泣きじゃくるミミ子を、僕は心底可愛いと思った。
でも流石にこれは不味いな。そろそろ死にそう。
さて、たぶん朝の油断がこの一連の出来事の始まりだと思うが、やり直しでうまく回避できるかな。
なんとなく流れが来ている気がするので、難しいかもしれない。
ミミ子の金色の瞳をまっすぐ見つめ両手をしっかり握り合ったまま、僕は戻れと小さく呟いた。
ベッドの感触を背中に感じながら、僕の一ヵ月近い平穏な日々は終わりを告げた。
やはりこの喪失感は、何時になっても慣れないな。
特にあんな下らない奴らのせいだと思うと、余計に空しく感じるし。
大きな溜め息を吐きつつ、寝返りを打つ。
なぜかそこにいない筈の少女が、大きく瞳を見開いて僕を凝視していた。
『探求者認識票』―探求者のレベルと登録番号が刻んであり、裏面には可能ジョブと習得技能が彫り込んである。レベル2までは銅製、レベル4までは銀製、レベル6までは金製、それ以上は特殊な金属で作られる。改変や偽造すると重罪に問われる