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生命の重み

 ランタンが照らす範囲は、歩幅にして十歩。

 その薄明の先へ足を踏み出すと、獣どもがひしめく闇が待ち構えている。


 背後から差し込むランタンのか細い光ギリギリの位置で、リンは懸命に前を目指し走っていた。

 力の限り、精一杯息を弾ませて。


 背中の重みから伝わってくる鼓動は、時を増すごとに途切れがちになっていく。

 気持ちが焦り、食い縛った歯が軋む音を立てる。


 先へ進みたい気持ちを、眼前の光の縁が枷として押し留めている。

 息せき切って追いかけてくる足音と光を待ちながら、リンはジリジリと焼け焦がされる感情に堪えていた。



 ――もっと早く! もっと急いで!

 


 迷宮の昏い通路を、死にかけの小鬼ゴブリンを背負ったまま、リンはひたすらに走り続けていた。







 隊長殿が二週間の別行動を取ると聞いて、リンは不満げに口を尖らせた。

 五層の地図作りの重要性は、確かに理解している。

 もちろん自分の力量も分かっているので、連れて行ってほしいとも思ってはいない。


 ただ単純に寂しいと感じただけであった。

 それと二週間もぶらぶらするのは、自分の性にあってない。

 なので姉妹を誘ってみることにした。


「キッシェ、モルム、今日は何層へ行く?」

「何を言ってるの? あとミミ子さんを降ろして差し上げなさい」

「…………モルムはお茶会に行くよ」

「何それ? 私も行っていい?」

「…………リン姉は魔術士ソーサラーじゃないから無理。あと遊びじゃなくて、勉強に行くんだよ」

「えー。じゃあキッシェだけで良いや」

「だけが余計よ。それに私も精霊使いエレメンタラーの修行があるの」


 眉を持ち上げたキッシェに角を引っ張られて、リンはしぶしぶ背負っていたミミ子をソファーへ降ろす。

 狐っ子はスヤスヤと健やかな寝息を立てたまま、くるりとその尻尾を体に巻き付けた。



「それなら、鬼人会の小隊パーティへ参加してみては」



 唐突な提案に驚いて顔を上げたリンは、いつの間にかミミ子の隣に腰掛けていた大鬼オーガの姫の存在に気付く。


「ニニ姫様!」


 今日も一段と美貌が冴えるお姿に、リンの心臓が大きく脈打つ。


「宜しいのですか? ニニさん」

「リン君が良いなら、話をつけておこう」


 頬を赤らめて押し黙ってしまったリンの代わりに、キッシェが詳しく話を進めていく。

 途中何度かキッシェに角を引っ張られたが、そのまま結局リンは最後までニニ姫様と言葉を交わすことはなく、会話は終わりを告げる。

 そしてリンが気が付くと、二週間の鬼人会新人研修への参加が決まっていた。


「今日はよろしくです」 

「こちらこそよろしくね、リンさん」


 ロビーで鬼人会のメンバーと合流したリンは、意気揚々と三層へ向かった。

 構成は、レベル3の盾持ガードリーダーが一人、レベル2の盾持ガードが一人、戦士ファイターが二人、それとレベル1の斥候スカウトが一人。

 鬼人会の小隊パーティには、後衛という概念がない。

 そもそも徒党リングに前衛しか在籍していないので、仕方がないとも言えるが。


 申請した獲物は、西エリアの小部屋通りで骸骨とゴーレムだ。

 レベル1の小鬼ゴブリンの子とリン以外はここに慣れているのか、ほぼ簡単な打ち合わせのみで狩りは始まった。

 

 やり方はさほど難しくはなく、まず斥候が小部屋の扉を開き、中のモンスターを報告する。

 骸骨三体なら一体が部屋から出て来た時点で、盾持が扉に詰め寄り残りの二体を釘付けにする。

 部屋の外に誘き出された骸骨は、四人で取り囲んで袋叩きだ。

 ゴーレム一体の場合は、部屋から引っ張り出してこっちも袋叩きだ。


 メインの盾役はレベル3の豚鬼オークの女性が務めるため、リンの仕事は部屋から出て来た骸骨の相手であった。

 張り切っていたリンだが、最初の戦闘ですぐに違和感に気付く。


 これまでのリンのやり方は、盾役ががっちりと敵対心を稼ぎ攻撃手アタッカーにモンスターを近寄らせないガチンコ型だった。

 だが鬼人会では、盾回しと呼ばれる戦闘形態が主流となっていたのだ。

 これは各人が盾を持ちモンスターの攻撃を順に受けつつ攻撃を仕掛けるスタイルで、ダメージが分散されて盾役の負担が少ないのが特徴だ。

 しかしタイミング良くモンスターのターゲットを回していく必要がある為、それなりの技量が要求される。


 他のメンバーからすればレベル2の盾持なら当然、それくらい出来て当たり前との認識だったのだろう。

 だが迷宮での経験は半年僅かで、その上ずっと固定で来ていたリンにはその調整は至難の技であった。


 思いっきりやれば、モンスターが剥がれなくなる。

 手加減をすれば、今度はモンスターの攻撃がこっちへ向かない。

 あたふたしつつ何とか一戦目を終えたが、他のメンバーの同情混じりの視線は痛くリンの矜持プライドを傷つけることとなった。


 正直なところリンの装備であれば、骸骨剣士スケルトンウォリアー石造人型ストーンゴーレムだけでなくその上位種相手でも余裕で耐えられるのだが、それに関しては見慣れない装備に気付けない他のメンバーを責める訳にはいかない。

 そもそも白鰐の鱗鎧ホワイトスケイルメイルを着ているレベル2の存在があり得ないのだ。


 リンの方も、折角ニニ姫様から誘って頂いた機会なのだからと遠慮がある。

 お互いの理解不足が生み出した、不幸な組み合わせだったとしか言いようがない。

 

 始終、他のメンバーを気にしながら全力を出せない状況に、爽快感も達成感もない。

 そしてそれよりも辛かったのが、自分がパーティの負担になっていることであった。

 リンは唇の端に悔しさを滲ませたまま、その日の狩りを終えた。


 翌日もその翌日も同じような感じであった。

 だがリンも伊達に戦闘種族である牛鬼ミノタウロスの血を引いてはいない。

 少しずつ手加減を覚えながら、周りの様子を見る余裕が出来ていた。

 もっともストレスは、溜まりっぱなしではあったが。

 

 それとストレスを溜める原因は他にもあった。

 盾回しはある程度の強いモンスターでも長時間、安全に戦えるメリットはあるが、前衛が盾を装備する必要があるため攻撃手段が片手武器に絞られてしまう。

 なので硬い体を持つ相手では、戦闘がどうしても長引く傾向があり、経験値効率はさほどよくない。

 さらにレベルに対して攻撃力の高いモンスターには、盾が本職ではない戦士には対応が難しい。


 そのため小部屋にたまに湧く石造人型ストーンゴーレムの上位種、鉄造人型アイアンゴーレムが出現した場合、毎回階段まで逃げる羽目になっていた。

 リンからすれば、隊長殿が十秒足らずで仕留めていた相手である。

 角を隠して逃げるのは、かなりの屈辱だった。


 そして色々と溜め込んだ七日目、ついにその事件は起こった。

 


「ゴーレムです!」


 

 小鬼ゴブリンの斥候の報告に、豚鬼オークの盾持が待ち構える。

 そして部屋から姿を現したゴーレムの色の違いに気付き、即座に前に出ながら盾を持ち上げる。

 不幸な偶然の連鎖が始まったのは、そこからだった。


 足が滑ったのだ。

 体勢を崩しながらもゴーレムの一撃を捌けたのは流石のレベル3であったが、彼女はそこで地面に倒れ込んでしまう。

 そこに新たな不幸が舞い降りた。

 踏み出したゴーレムの足が、偶然にも丁度その足の上に重なった。

 骨が砕ける鈍い音とくぐもった悲鳴が、通路に響き渡る。


 気が付けばリーダーは通路に転がっており、その横には鉄の身体をもつゴーレムがそびえ立っていた。

 斥候が石造ストーン鉄造アイアンを見間違えてしまったのだ。



「逃げなさい!」 



 右膝を踏み砕かれて、その場から動けない豚鬼オークの女性が冷静な声を上げる。

 本来、こんな場面ならリーダーの命令は絶対であった。


 だがリンはそれを受け入れられるほど、経験を積んではいなかったしそれ以上に腹を立てていた。

 仲間を傷つけたモンスターを前に、溜め込んできた諸々が雄叫びウォークライの形となって吹き出す。


 振り下ろされた鉄の拳を、真正面で受け止めるリン。

 大地を踏みしめる両脚の筋肉が盛り上がり、その力が腰を伝い背中の肉までも膨れ上がらせる。

 恐ろしいほどの重みを完璧に受けきったリンは、唇の端を少しだけ持ち上げた。

 そして押し込まれたばねのように、溜め込んだ全身の力を一点に集中させる。

 

 密接した状態からの『盾撃シールドバッシュ』!


 拳を跳ね戻され体が泳ぐ鉄製のゴーレムの腕の付け根に、リンの『強打スマッシュ』の一撃が加えられる。

 そのまま流れるように反対側の付け根にも、強打スマッシュを叩き込むリン。


 地面すれすれから空気を裂いて、持ち上がってくる鉄拳。

 前に出過ぎていたリンは、その拳を避けきれず腹に激しい一撃を喰らう。

 だが倒れない。荒く息を吐き出したまま、リンはその場に踏ん張ってみせた。


 その頭に、今度は鉄拳が振り下ろされる。

 ギリギリで躱したはずが、リンの頬に大きな裂傷が刻まれ血が噴き出した。

 リンも只ではやられていない。拳を避けながら、その片手斧は正確にゴーレムの右足の付け根を強打スマッシュしていた。


 限界ギリギリの距離で、殴り合いを始める一人と一体。

 獣じみた叫び声を発しつつ、リンはゴーレムの攻撃を弾き受け止め、時に被弾しながらモンスターの身体に斧を打ち込んでいく。

 

 状況が分からず呆然としていた他のメンバーも、リンのその働きを見て慌てて動き出す。

 すでにリンが稼いだ時間で、リーダーを担ぎ上げ少し離れた場所へ運び出すことに成功していた。

 だがそれ以上の手出しができない。

 荒れ狂う嵐のような戦いの最中へ、手助けできるような経験は動けるメンバーにはなかった。

 


「……不味いな」


 

 戦士の一人がぽつりと呟いた一言に、己のミスで招いた事態に打ちのめされていた斥候の少年が顔を上げる。

 


「何が不味いんですか?!」

人型ゴーレムの倒し方は、首の裏と両手両足の付け根にある隠し文字を潰すことだ。だが今のままじゃ……」


 その指摘の意味がよく分からず交互にモンスターとリンを見ていた少年は、ようやくその意味を悟る。

 正面向いて戦っている今のままでは、リンの攻撃はゴーレムの首の後ろに届かない。

 

 戦士の二人は足が動かない盾持を、両脇から支えてるため動けない。

 先程から呼び掛けているが、リンにこちらの言葉が届いている節はない。



「僕が行きます!」

「馬鹿、止せ!」



 制止の言葉を無視した少年は、忍び足ステルスで素早く鉄造人型アイアンゴーレムの背後に回り込む。

 その脳裏には、先日手を握ってくれた少年の英雄の姿が浮かんでいた。


 武器を構えたまま少年は、攻撃が確実に当たる距離まで近寄る。

 そして振りかぶった短剣を、無防備な姿を晒すモンスターの首根っこに叩き込もうとしたその時――。



 唐突にゴーレムの両手が突き出され、肩を支点に凄まじい速さで縦に回転する。

 


 その攻撃は、真後ろから近寄っていた少年の身体をまともに打ち据えた。 

 鈍い音を立てながら、床に叩き付けられる少年。

 だが同時にゴーレムも動きを止めていた。

 

 鉄拳を喰らいながらも、少年の投げた短剣は見事にその首根に突き刺さっていた。

 消え失せるゴーレムの姿に、リンは肩で息をしながらようやく理性を取り戻す。


 地面に伏したまま動かない少年に、リンは慌てて駆け寄った。

 少年の肩の付け根が、拳の形に陥没しているのが見える。

 口に耳を近付けると、ヒューヒューと微かな息遣いが漏れているのが確認できた。

 リンは頭を起こし、無意識のまま隊長殿の姿を探す。




 ――これなら巻き戻…………。


 


 その瞬間、リンの頭に殴られたようなショックが走った。


 そしてよくやく理解する。

 今までの自らの幸運、油断、甘え、思い上がり、その全てを当然としてたことに。


 リンにとってこれまでの人生は、それなりに上手く行ってきた結果だった。

 嫌なこともあることはあったが、それ以上に良いことの方が多かったからだ。

 だからどんな時も、なんとかなるという気持ちをどこかに残していた。


 その思い込みは隊長殿に出会って、もっと強くなった。

 色んなことに当たって・・・・きた自分だけど、今日も無事にやりきれたと。

 だから自分は絶対に大丈夫だと。


 自分以外が大丈夫じゃなくなった時に、リンは初めてその浅はかな考えに気付く。

 このままだと、この子はいずれ死ぬ。

 そうならない為に、自分がこの子を守らねばならなかったことに。

 

 ――どうしよう。どうすれば良い?


 うろたえるリンの傍に、両脇を支えられたリーダーが近づいてきた。


「まだ息はあるわね。肩の部分を固定して、呼吸の邪魔にならないようにしましょう。今なら治療室まで連れて行けば何とかなるわ」


 二人に指示を出しながら、リーダーはリンの顔を覗き込む。

 焦点があってないリンの瞳を確認したリーダーは、容赦なくその頬を殴りつける。


「しっかりしなさい! 今、この子を助けられるのはアナタだけなのよ! リン」

「助ける? 助かる?!」  

「そうよ。ここから間に合う速さで走れるのは、アナタしかいないの」


 その言葉にリンの意識がハッキリする。

 ――そうだ。私にも出来ることがある。


 こちらを見つめてくる豚鬼オークの女性の視線を、リンは腹を据えて受け止める。



「お願いね……リンさん」

「――任せて下さい」






 そしてシーンは冒頭へと戻る。


 ランタンで背後から照らしてくれる戦士のメンバーと共に、リンは地上へ向かって走っていた。

 その背で呻く少年と共に。


 ふとリンは、以前同じように迷宮を走っていた記憶を思い起こす。

 もっともあの時担いでいた少女は、ピンピンしていたが。 


「先に行きます!」

「おい、明かりがないのに無茶だ!」

「大丈夫です――この先の道は、覚えてますから」



 ランタンの光を置き去りにして、真っ暗な通路をひた走るリン。

 その足取りに、ためらいは全く見られない。

 背中の命を助けること、今のリンにはそれだけしか考えられなかった。




   ▲▽▲▽▲




 居間の側の大きな窓はこの季節、大きな陽だまりをちょうどソファーの上に産み落とす。

 それゆえ、そこは最近の狐っ子のお気に入りの場所となっていた。


 光のもたらす熱が、華奢な娘の体をゆっくりと温める。

 まどろみに浸りながら、狐っ子は意識を心の奥底へ沈めていく。


 そうでもしないと数多の記憶に、心がすぐに押し潰されてしまうからだ。

 母親の体の奥深くで眠る胎児のように、その身を丸める。


 眠りに落ちる寸前、不意に狐っ子の瞼の裏に地底で見た湖の景色が思い浮かぶ。

 それと光の乱舞する不思議な様も。


 真っ白い毛に包まった体から、光の粒がぽわりと浮き出る。

 それはくるくると少女の周囲を舞いながら、やがて空気の中へ溶けるように消えていった。



「ぜんたーい、止まれ!」

「りょうかい!」

「うむ。今日もイナイナ隊はぜっこうちょーだな」

「たいちょう、大変であります!」

「どうした? ナイナ隊員」

「ミミ子隊員の様子がヘンであります!」

「へんだー」

「いつも通り寝てるだけじゃん」

「だってほら……」

「あれ何かおかしいな」

「何かおかしいよね」

「数えるー」

「1」

「2」

「3」


 

「「あれ尻尾が増えてる?!」」





この後の一話は、ノクターン出張版に繋がります。


「あなたの年齢、十八歳以上ですか?」「はい/いいえ」


内容的には息抜き回となりますので、本編に絡む要素は全くありません。

苦手な方は飛ばして頂いても、支障はありませんのでご安心ください。

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