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それぞれの日々

 狭い路地には鉢植えが所狭しと並べられ、淡い彩りが優しく目を楽しませてくれる。

 あまり光が差さない仄暗い小道は、しっとりと湿り気を帯びた空気に満たされていた。


 この花の小路を歩く時、キッシェはいつも水底にいるような気持ちになる。

 空気が水のような重みを持ち、柔らかく手や足に絡みついて静寂の世界へ誘われるような感覚。


 突き当りの小さな扉に辿り着き、呼び鈴を揺らすと凛とした音が鮮やかに鳴り響く。

 そこで始めて水面から顔を上げたように、キッシェは詰めていた息を長く吐き出した。 

 


「こんにちは、ご在宅ですか? お師匠様」



 呼びかけの声に、少しの間が空いて扉は音もなく開かれた。

 扉の向こうから現れたのは紺色の作務衣を着た老人、弓聖と謳われた弓の使い手ロウンであった。


「なんじゃ、今日も来たのか。熱が入っとるのう」

「この二週間、みっちり教えて頂くつもりですので」

「小僧に置いてかれて泣きべそかいてるかと思えば、随分と小娘臭さが抜けてきたようじゃな」

「ええ、そんな暇があれば少しでも早く契約したいですし」

「ふうむ。やはりあの小僧には、勿体無い器量の良さじゃのう」

「いいえ、そんなことはありませんよ、お師匠様。旦那様あっての今の私ですから」

「年寄り相手にそうそう惚気けるな。ま、上がれ。アイツはいつものとこに居るじゃろ」


 師匠の言葉に、キッシェはスッと頭を下げて家へ上がらせて貰う。

 手土産に持ってきたミラさんのお店のプリン詰め合わせを、師匠に手渡して廊下へ歩を進める。

 家の中のそこかしこにも植物が置かれており、奥へ進むと水を含んだ香りが一層濃くなっていく。

 

 この家は路地の奥の空間を存分に利用した造りになっており、入り口は狭いが中は驚くほど広い。

 長い廊下の先に見えたのは、光が満ち溢れる中庭であった。


 庭の中央には大きな石造りの水盤があり、仕掛けもないのに水が吹き上がっている。

 飛び散った雫が薄い霧となってけぶる庭の奥、ひっそりと緑の蔓に埋もれた東屋に誰かが座っているのが見えた。


 高まる気持ちを抑えきれず少し早足のまま、キッシェは人影へ近づき深々と頭を下げた。



「ご機嫌は如何ですか? 導師マスター

「今日はとても良い精霊日和ね。キッシェちゃん」



 椅子に腰掛けたままの老婆は、静かにキッシェへ微笑みかけてくれる。

 真っ直ぐに向けられたその両の眼は、深い海を思わせる藍色の竜眼。

 全身を覆う鱗肌もお歳の割にはみずみずしく、欠けた箇所も一切見当たらない。



 キッシェに精霊の扱いを教えてくれる水の精霊導師エレメンタルマスター、ラギギ様は生粋の竜鱗族リザードマンであった。



 そしてロウン師匠の奥方様でもある。

 


「今日もよろしくお願い致します」

「ふふふ。なんだかやる気満々ね」

「はい、なんだか充実してます」

「でも余り力むと、逃げられてしまうわよ」



 精霊とは万物に宿り、様々な現象を起こす存在だ。

 そして精霊使いエレメンタラーとは、それらを体の内に留め必要に応じて行使できる人間を指す。

 精霊を己の身に憑かせる行為を契約と呼び、それは精霊が集いやすい環境を利用して行われる。

 ロウン師匠とラギギ導師の御夫妻が住むこの家は、水の精霊の溜まり場パワースポットになっていた。

 

 水盤に近づいたキッシェは、その内に満たされた清らかな水に静かに手を差し入れた。

 流水に偏在する精霊を自分の中へ取り込むため、心を落ち着かせ空っぽにする。


 これがキッシェにとって大の苦手であった。

 精霊との契約は言葉を交わしたりするものではなく、歩いたり座ったりするような動作の一部であり、感覚そのもので行われる所作であると教えられている。

 明確に言葉で説明されれば、いくらでもそれに近づける努力はできる。

 だが曖昧で頭を使わない行為は、キッシェの得意とする分野ではない――筈だった。


 鼓動を一定に整えながら、キッシェは昨日の風呂場での行為を脳裏に思い起こす。

 水に濡れながら、ただひたすらに熱を感じたあの感覚を。


 それはふと気が付くと、するりと身体の奥深いところへ入り込んでいた。

 清涼な流れが身体の隅々まで、くまなく駆け巡っていく感触。

 内側から満たされてくる安らぎに近い感覚。



 ――これが、精霊なの?



 初めて成功した精霊との契約に、キッシェは満足気に頷いた。

 一度出来てしまえば、この行為はとても容易いことだと気付く。

 そして同時に、後ろに座る女性がその身に膨大な量の精霊を宿した存在であると改めて認識する。

 振り返ったキッシェの目には、導師の姿はまるで精霊そのものがそこに座っているかのように映っていた。

 立ちくらみが起きそうな器の差を感じながら、キッシェは今の気持ちを素直に口にする。



「出来ました、導師! ……今まで、ご指導ありがとうございました」

「おめでとうね、キッシェちゃん」

「でも全然、導師と量が違いますね」

「最初はそんなものよ。焦らない焦らない」



 そうは言ってくれるが、キッシェはすでにその言葉に込められた気休めに気付いていた。

 混じりものハーフの自分では、いくら足掻こうとも導師に決して及ぶことはない。


 それは間近で天賦の才を持つ精霊憑きを見て来たキッシェだからこそ判る、優しい嘘であった。

 力を持つ者はそれが外見に現れる。

 導師の三日月のような瞳孔をもつ竜眼。

 ミミ子さんの体を覆えるほど長くしなやかな尻尾たち。

 それに力強い角を生やしたニニさんや、長い耳と漆黒の肌のイリージュ姉さん。

 半端者の自分には、決して得られない証。


 そういえば以前、導師にミミ子さんの幻影についてお話ししたら、珍しく御言葉に詰まっておられた。

 薄々気付いていたが、やはりあのペースで精霊を行使できるのは異常なのだ。

 

 自分がそうなれないのは残念ではあるが、落ち込む素振りはキッシェには全くなかった。

 少しでもお役に立てる。

 それがとても大事なのだと、今の彼女は悟っていた。


 嬉しそうに顔を綻ばせる弟子に、ラギギ導師は悪戯っ子のように唇を持ち上げる。



「随分と楽しそうな恋をしてるのね、キッシェちゃん」




   ▲▽▲▽▲




 眠気を絞り出すように大きく開いた少女の口に、真黒な光沢を放つお菓子が投げ込まれた。



 もぐもぐと味わってみると、舌の上でちょっと苦いのといっぱい甘いのが入り混じりスッと溶けていく。

 思わず笑顔になる少女に、席を囲む年上の御婦人たちもつられて相好を崩す。



「…………これ、美味しいです」

「そう。チョコレートっていうのよ。もっと召し上がる?」



 その言葉に少し考え込んだモルムだが、きっぱりと首を横に振る。



「…………あの、妹たちに」

「ああ、お土産って事ね。大丈夫、もう包んであるわ。それならお茶のお代わりはいかが?」



 御婦人方は抜かりのなさを披露しつつ、小さく頷く少女のカップに取って置きの茶葉を使った香茶を優雅に注ぎ入れる。

 先程のチョコレートも、南方の流通から取り寄せたかなりの高級菓子だ。

 

 それほどまでにこの女性の魔術士ソーサラーたちの集会、『魔女のお茶会』は少女を歓迎していた。

 通常、女性の魔術の使い手は女魔術士ソーサレスと呼ばれるが、探求者シーカーでもある彼女たちは自らを魔女ウィッチと呼称していた。

 このお茶会は、そんな魔女である彼女たちが情報を共有するために定期的に開く交流の場だった。


 魔女たちにとって噂話は、大事な娯楽であるとともに大切な生命線でもあった。

 絶えず人が入れ替わる迷宮という場所に身を置く以上、他の探求者の人となりを把握しておくことは非常に重要な事項である。

 特にアシストとして付き添う役柄上、歓迎ならざるお客様ゲスト――口さがない魔女たちは、一部の度が過ぎる欲求をしてくる前衛をそう呼んでいた――に当たると、簡単に生死に関わってくる場合があるからだ。


 現に無謀な前衛のせいで複数のモンスターに襲われて、『誘眠スリープ』で足止め出来たものの魔力酔いで動けなくなり、その場に放置された魔女の噂などはまことしやかに囁かれている。


 モンスターを一人では倒す事が出来ない非力な存在だからこそ、彼女たちはパートナーとなり得る前衛たちについて、常にシビアな批評を忘れることはなかった。

 もっともそれらは、男性への品評会といった形を取られることが多々あったが。



「それでね、モルムさん。貴方の固定小隊パーティのリーダーのことだけど――」

「…………兄ちゃんのこと? ……ですか」

「そうそう。一体どんな方なのかしら?」

「…………優しいよ。です。モルムたちが死にかけだったの、助けてくれてたし」

「あら、そうなの?」

「…………あと凄く強いよ。です。弓でなんでもやっつけるし」

「その弓の腕前は、どこで修めたのかご存知かしら?」



 先日の『名無しの弓使い』と『鉄壁』との一戦は、すでに伝説と化しつつあった。

 高度な先読みと、それを裏付ける正確無比な射撃。

 さらに観客の前で初めて見せた闘姫の狂乱の様を、幻影を使いこなし見事に撃破してみせたコンビネーション。

 その冷徹な戦いぶりはすでに迷宮都市外にも広まり、民の語り草となっていた。


 確かに彼以上の弓の使い手は、高レベルを探せば存在するかもしれない。

 だがわずかレベル3の身で、あの『鉄壁』を打ち倒せる無名の若者が居るだろうか?

 だからこそ魔女たちは、少しでも彼のことを聞き出そうと躍起になっていた。


 

「…………知らない。あ、知りません」

「――そう。あ、こちらのクッキーはお口に合うかしら?」

「…………いただきます」



 無心にクッキーを齧る少女の姿に、魔女たちはほっこりとした気持ちで互いに頷き合う。

 注目を集める名無しの弓使いだが、その固定メンバーである少女たちにも大衆の関心は高まりつつあった。


 特に同じ魔術の使い手として、魔女たちがモルムに好奇の目を向けるのは致し方ない。


 なんせこちらも連紋派の権威、混沌の描き手ニーナク尊師の寵児と呼ばれている少女だ。

 尊師直々に弟子に勧誘したという噂は、すでに魔術界隈では大きく広まっていた。


「モルムさんは、ニーナク師の御弟子さんよね?」

「…………じいじ先生?」


 その受け答えに魔女たちは、小さくどよめく。

 彼女たちの中には、少なからずニーナク師の授業を受けている者がいる。

 そして彼女たちは口を揃えて、師の厳しさをお茶会で吹聴してきた。


 あの老雄を年寄り呼ばわりしたら、どんな目に遭うか……考えるだけで身が震える。

 しかし目の前の少女はけろりとした顔で、お茶をずずずっと啜っては小さく舌を出している。

 どうやら猫舌のようだ。


 その後もお喋りの形を呈したモルムへの質問が根掘り葉掘り続いたが、あまり重要な事柄は明かされず魔女たちが肩を落としかけた頃、一つの爆弾が投下される。



「…………モルム、兄ちゃんの苦手なの知ってるよ」

「それは興味深いお話ね。ぜひお聞かせ願いたいわ」

「…………そういえばじいじ先生が、ここに来たら面白い呪紋教えて貰えるって」

「なるほど、そういうことね。皆様どうされます?」


 主催者ホストの一言で出席メンバーが、ひそひそと話し始める。


「……そんな簡単に教えていいものでは……」

「……でも、この機会を逃す訳には……」

「……だがあれは、我々が多くの時間と手間を掛けて……」

「……彼女も魔女である限り、資格を有するのは確かだ……」


 大体の流れを見切った主催者が、大きく頷いて結論を述べる。


「良いでしょう。魔女のお茶会の秘紋をお教えします。ただし、貴方は今後、このお茶会の一員と認められますが宜しいですか?」

「…………はい、よろしくです。お姉さま方」


 かくしてモルムは怪しい集会の参加資格を手に入れ、魔女の呪紋を会得した。

 そして魔女たちは、『名無しの弓使い』が苦手としているある食べ物の情報の入手に成功した。



重紋式―基礎呪紋を重ね合わせて威力を高める方式

連紋式―高速に展開した呪紋を連結させ、相互作用により効果を高める方式

魅了チャーム』―魔女専用に開発された呪紋(ウィッチクラフト)。身体的な特徴が重要なため、男性には使用不可

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