五層地図作りその3
「よし、これがスイッチだな」
斥候リーダーが、回廊の壁に掛かっていたボロボロの額縁を傾ける。
しばしの間が空いて、反対側の壁の一部が埃を巻き上げながらゆっくりと持ち上がった。
それまで何もなかった筈の壁に、長方形の空洞が現れる。
隠し扉を見つけて得意満面なリーダーは、僕らを手で制しそっと薄暗い中を覗き込んだ。
安全を確認し小さく頷いたリーダーは、パーティメンバーを通路に残したまま一人、カンテラを手にして奥へと足を踏み入れる。
第二回廊をぐるっと回ってみたところ、黒骨猟犬がうろつくばかりで肝心の次の回廊への扉が見当たらない。
そのため黒い肋骨が剥き出しの犬を倒しつつ、通路を虱潰しに調べていたところ、早速隠し通路が見つかったという次第である。
「うん、ここで正解か。どれ、次の回廊も見ておくか」
そう言いながらリーダーが奥の扉に触れた瞬間、それが起こった。
突如、持ち上がっていた壁が落ちてきて、あっという間に扉が塞がれる。
同時に中から、くぐもったリーダーの悲鳴が聞こえてきた。
「くそ、罠だ! 天井からモンスターが降ってきやがった!」
「おい、大丈夫か!」
慌てて射手のセルドナさんが額縁に飛びついて揺さぶるが、隠し扉は固く閉まったままぴくりとも動かない。
「畜生!! こっちからじゃ開かないぞ」
「そういう罠なんだろ。落ち着け、ドナッシ」
壁を殴りつける盾持さんに対して、その向こうから冷静なリーダーの声が届く。
「たぶんモンスターを全部やっつけるか、奥の扉を開けるしかないようだぜ」
「おい、出来るのか?」
「…………ふっ、俺の解錠の腕前はよく知ってるだろ」
「馬鹿野郎! だからあれだけ練習しとけって……」
会話の最中も壁の向こうでは、争うような音が聞こえてくる。
「――チッ。迷宮カビ五匹相手は、斥候には荷が重すぎるぜ」
「大丈夫か、ソニッド?!」
壁をひたすら殴りつけていたドナッシさんが、響いてきた返事に顔を上げる。
「良いかよく聞け。ドナッシ、撤退の指揮を頼む。セルドナと坊主は警戒を怠るな。それと爺さん、ここの罠は忘れずに地図に書き込んでおいてくれよ……でなきゃ無駄骨になっちまうからな」
「止めろ! おい、諦めるな!」
「――くそっ、毒が回ってきやがった。前から言ってただろ……先頭を切って死ぬのが俺の役目だって」
「良いからちょっと待ってろ! すぐにそこから出してやるぞ、リーダー!」
「違うぜ、ドナッシ……今はお前がリーダーだ」
元リーダーの最後の一言に、盾持さんは壁に縋り付くような姿勢になって、小さく呻き声を上げた。
「それと一昨日のカードの貸し……、あれは向こうで返すぜ。あばよ、お前ら――」
「ソニッドオオオオオォオオ」
▲▽▲▽▲
第三回廊はこれまでとは作りが少し違い、一定間隔ごとに柱が両側から出っ張って、小部屋が連続しているような造りになっていた。
部屋の中をうろつくのは、四本の腕に弓を構えた骸骨射手どもだ。
幸いにも出っ張った柱が遮蔽物になるので、誘い出せば遠隔攻撃も脅威ではない。
後半は慣れて来たので、弓を持つ手だけを狙撃できるようになった。
そして次の回廊への扉らしきモノが見える最後の小部屋。
そこはこれまでとは、かなり趣が違っていた。
天井から何本もの鎖が垂らされ、その先には得体のしれない腐肉の塊がぶら下がっている。
それらをかき分けるように部屋の中を闊歩するのは、全身に包帯を巻き血に染まった前掛けを身につけた大男だった。
大男の手には、子供の背丈ほどはある肉切り包丁が握られている。
そしてわめき声を発しながら、たまに手にした包丁で狂ったように肉の塊を斬りつけていた。
「相当やばそうだぜ…………リーダー」
「あれくらいでビビるなよ、セルドナ。幸いこっちには気づかれてねぇ。先制で一発きついの当ててやれ!」
その言葉に頷いた先輩射手は、大きく息を吸って弓を引き絞った。
ラドーンさんがその横でさり気なく、『集中』の呪紋を描き出す。
気合を込められた『必中矢』は、あっさりと大男の肩肉をえぐり首を貫く。
だが流石にこの階層だと、モンスターも強くなっている。
怒りの声を上げた包丁男は首から矢を生やしたまま、包丁を掲げて僕らへ走り寄ってきた。
それを難なく受け止める盾持さん。そして僕の矢が男の顔面を埋め尽くす。
さらに柱の陰で男をやり過ごしたリーダーが、その背中に双手の短剣を激しく突き立てる。
しかしダメージを物ともしない男は、金切り声を上げて包丁を水平に振り回しながらその場で一回転する。
慌てて抜けない短剣から、両手を離し飛び退るリーダー。
盾持さんも身を屈め、ぎりぎりで刃をやり過ごす。
そして包丁男が背を向けた格好になった瞬間、そこに狙い澄ました『盾撃』が炸裂した。
たたらを踏む男の背に、『減退』の呪紋が効果を発揮する。
――『ばら撒き撃ち改』×二人。
降り注ぐ矢の雨は、防御が薄くなった男の背中の肉を容赦なく蹂躙した。
肉の焦げる臭いを撒き散らしながら、大男はゆっくりと床に倒れ込む。
「よし、やったぜ!」
歓声を上げたセルドナさんが、消えていく大男に近寄って嬉しそうに拳を振り上げる。
その瞬間、全てがコマ送りになった。
誰も持っていない筈の肉切り包丁が突如、宙に浮かび上がる。
その凶刃が、空を裂いて側にいた人間へ襲いかかる。
大きく口を開け、驚きを顔に張り付かせた先輩。
――そしてその挾間に、ギリギリで体を割込ませる赤い鎧の残像。
一呼吸遅れて、肉を切り裂く馴染んだ音が通路に響いた。
「ドナッシさん!」
「おい、何があった?」
駆け寄ってくる皆を前に、盾持さんは自らの身体を貫いた肉切り包丁に片手棍を叩き込む。
鈍い硬音とともに、包丁は柄の部分で割られて音もなく消えた。
「……ゴフッ。こいつは包丁が……本体だった……んだろ」
モンスターを倒した盾持さんは、口から血の泡を吐き出しつつその場にしゃがみ込む。
「待ってろ、すぐに手立てしてやる」
「…………無理だ。肺のところ……で喰らっちまった。間に合わゴホッ――」
溢れ出る血でむせ返りながらも、盾持さんは気丈にも現状を淡々と語る。
「くそくそ! 俺が油断してなけりゃ!」
「ははっ…………お前はいつもタイミングが悪いか……らな。グホッ――良いさ気にするな。誰かを庇って……死ねるんなら、それは盾にとって最高の死に様だ」
「おいおい、待ってくれよ! 俺はまだまだ、あんたに守って貰わなきゃ駄目なひよっ子だぜ。置いていくのかよ!」
「……すまんな」
その一言に言葉を失ったセルドナさんは、天を仰いで雫が垂れるのを堪える。
地面に横たえられた盾持さんに、リーダーが掠れた声で話しかけた。
「最後になんか、言っておくことはあるか?」
「…………そうだな。俺が死んだら……燃やしてくれるか。あん……な、あんな風には……なり……たく…………」
「ドナッシィィィイイイイ」
▲▽▲▽▲
背後に迫るモンスターの黒い濁流から、僕らは息を切らせて逃げ惑っていた。
「何でこうなった?」
「とっ、年寄りを走らすな!」
「ナメクジだけは勘弁してくれーーーー!」
第四回廊まで進んだ僕たちを待ち受けていたのは、背中に白い人の頭蓋骨を背負った真っ黒な蝸牛の群れだった。
頭骨の大きさは優に僕の身長を超えているので、巨人の物かもしれない。
長い槍のような目を突き出しながら、蝸牛はゆっくりとした動きで通路の床や壁に滑りとした粘液の跡を残していく。
そのあまりの気持ち悪さに、盾持さんが奇天烈な悲鳴を上げた。
「ビヒェッ!!」
「何、急に叫んでんだよ。馬鹿!」
「おっ、俺は昔からヌメヌメした奴は苦手なんだよ」
「良いから、盾を構えとけ」
「嫌だ!」
「嫌だじゃねーだろ。お前は盾持なんだぞ」
「嫌なものは嫌だ!! 俺は帰らせて貰う」
「帰るってどこにだよ!」
「あいつらがいない場所に決まってるだろ!」
顔を突き合わせて、腕を振り回すリーダーと盾持。
その大騒ぎに、蝸牛の目がゆっくりと伸びる。
「おいおい、気付かれたっぽいぞ! お二人さん」
先輩射手の指摘通り、ぬそっとした感じで巨大な頭骨の虚ろな眼窩がこちらへ向く。
ゆっくりと近づいてくるのだが、その動きは『鈍化』が掛かったかのように遅い。
「なんだよ。見掛け倒しか、焦って損したぜ」
そう言いながらリーダーは、僕に頷いてくる。
何だか嫌な予感を十分に感じ取りつつ、蝸牛に矢を撃ちこむ。
――『三連撃』。
『見破り』で浮かび上がった、目の部分の丁度真ん中の二本、それと殻の部分に一本撃ち込む。
奇妙な悲鳴を上げて、蝸牛は大きく体を縮こまらせた。
そして矢を受けた頭骨に、無数の小さなヒビが走る。
唐突に蝸牛の背の骸骨頭が、卵の殻のように砕け散った。
同時にその内部から大量の真っ黒なナメクジが、堰を切ったように溢れ出す。
一匹一匹は肘までの長さほどあり、殻を背負ってないせいかその動きは親と比べ物にならないほど早い。
「ビヒャァァ!!」
あ、逃げた。
盾持さんが逃げ出したので、それに釣られて僕らも慌てて追従する。
だが逃げた先でも、蝸牛たちが道を塞いでいる。
「ブヒャアアア!」
またも謎の奇声を上げた盾持さんが、手にした片手棍を振り回しその頭骨部分をなぎ払う。
たぶんヌメヌメ部分には、触りたくなかったんだろうな。
ヒビが入り簡単に砕け散る頭骨。なんでそんなに脆いのを、背中に載せてるんだ。
そして倍に増える子ナメクジ。
数が多すぎて、もはや手のつけようがない。
どうしようもなくなった僕たちは、なぜか通路の奥へ走りだした盾持さんを懸命に追い駆ける。
そしてその逃避行は、あっさりと終わりを告げた。
まあここ回廊だし、どうしようもないね。
前後を黒いナメクジの群れに囲まれる僕たち。
絶体絶命の危機に、名乗りを上げたのは魔術士のラドーンさんだった。
大きく杖を持ち上げながら、前へ進み出る。
「ここはワシが、血路を開く。リーダー、後は任せたぞ」
「何をする気だよ、爺さん」
「ふっ、老骨の意地の見せ時じゃ」
その杖先が目にも留まらぬ速さで、中空に光の線を描き殴る。
複数の呪紋を身に纏うその技は、『高速呪紋』。
杖を休めることなく、老人の口からは低く呟く詠唱が漏れだした。
「怠惰の深淵に座する混沌よ。今こそ此処に至りて、その狂痴を指し示せ。果てなき嘲笑よ、この地に満ちよ。――『混乱』!」
巨大な呪紋が中空で、うねりながら怪しい光を放つ。
通路中の空間が、巨人に捻り上げられたようにねじれ、視界を激しく揺さぶる。
間近で見た『混乱』は、恐ろしい効果を発揮していた。
ナメクジたちの体が、次々と歪みだしその形を変えて行く。
伸びきったものや、真っ平らになるもの。捩じ切るように体を捻ったり、団子のように丸まっているものもいる。
そして互いを餌と認識したのか、一斉にナメクジ同士で共食いを始める。
あまりの阿鼻叫喚な様に言葉を失ってしまった僕たちだが、不意にリーダーが我に返ったように動き出す。
目を塞ぎ耳を両手で押さえてうずくまる盾持さんの頭を叩き、僕らにも逃げるように合図をする。
そして気が狂ったように争い合うナメクジたちの前に立ちはだかったまま、動かないラドーンさんに急いで声をかける。
「ナイスだ! 爺さん。さっさとずらかるぜ……爺さん、おい! 爺さん、爺ぃぃぃいいいさあああん」
▲▽▲▽▲
「大丈夫ですか? 旦那様」
朝食の席で顎をさすっていると、キッシェが心配そうな声を掛けてくれた。
「うん。いや、うん……たぶん大丈夫だと思う」
曖昧な僕の受け答えに眉を持ち上げるキッシェに、やるせない笑顔を向けて誤魔化す。
すでに五層の地図作りは一週間を超え、佳境に突入していた。
昨夜で第四回廊の攻略も終わり、本日は新しい回廊へ突入する予定だ。
途中、何度かアクシデントはあったが、全て巻き戻して無事クリア出来ていた。
確かに命が掛かっている局面だ。
誰かが居なくなることは、当事者たちには耐え難い悲しみをもたらしているとは理解できる。
だが毎回、その芝居がかった様子を見せられると、堪えようがない笑いが僕を襲うのだ。
どんなに頑張って真面目にしようとしても、ついつい口端が持ち上がってしまう。
おかげで僕はずっと口元を押さえて我慢する羽目になり、そのせいで顎の筋肉痛になっていた。
非常に失礼な行為だとは思うが、厳粛に受け止めようとすればするほど笑みがこみ上げてくるのだ。
悲劇は一歩引いた場所で見ると、喜劇になるということだろうか。
たぶん、巻き戻せる余裕が僕の傲りを生み出してるのだと思う。人の性は業が深いな。
「そういや、モルム」
「…………なあに? 兄ちゃん」
「魔術って呪紋の他に、詠唱とかいるのか?」
「………………いらないけど格好いいよ。私も練習中だよ」
駄目だ。次、ラドーンさんの顔を見たら確実に吹く。
「ところで、リン」
「はい?!」
「元気ないな。何かあったのか?」
「いえ、大丈夫ですよ。何でもないですよ。あ、お弁当出来てますよ!」
キッシェに目配せしたら、無言で首を横に振られた。
彼女たちも色々あるようだ。構ってあげたいが、今は僕も余裕がない。
そういえばリンのお弁当は二日目にありませんと告げたら、ソニッドさん達に世界が終わったような顔をされた。仕方がないので、その為だけに巻き戻した。で結局、今は毎日作って貰っている。
「それじゃあ行ってきます」
五層探求九日目。
僕の顎が限界を迎えつつある中、その日、地図作りは新たな進展を迎えた。
『盾の加護』―盾持の中級技能。対象のパーティメンバーを体を張って守り、ダメージを代わりに引き受ける
迷宮カビ―浮遊するカビの塊。表面には人の顔そっくりな模様が浮かんでいる。幻覚毒ガスを含む胞子を撒き散らすが、殺傷力はない
飛行包丁―魔導よって生み出された器物生命体シリーズ。包帯を使って人形を操る
骸骨蝸牛―金属を腐食する分泌物を飛ばしてくる。背中の殻で子供を育てる習性がある




