四層ブルーケルピー狩り
暗闇を覆う天蓋には、燐光を放つ苔が星空のように散らばって見える。
果てが見えないほど、なみなみと水が湛えられた湖上にはさざなみ一つ立っていない。
吹く風もなく真っ暗な水面がどこまでも続く静寂の光景は、幻想的でありながらどこか不安を掻き立てる死の予感を伴っていた。
四層北エリア、探求者の行く手を阻む地の底の湖。
その水際に一人の少年が佇んでいた。
探求者らしからぬ軽装に、修羅場とは無縁の気の抜けたような顔立ち。
それは余りにも、迷宮深部にはそぐわない存在であった。
茫洋とした雰囲気をまとったまま、不意に少年は前へ歩き出した。
真っ黒な湖面に、躊躇も見せず足を踏み入れる。
そのまますたすたと湖面を歩く。
まるでそこが、石畳に覆われた遊歩道であるかのように。
二十歩ほど進んだだろうか。
少年は歩みを止め、水の上に立ち尽くしたたまま動きを止める。
しばらく何かを待つようにじっとしていたが、痺れを切らしたのか少年はその場で左右に体を揺らし始めた。
波も起きない湖の水面で、少年が反復横跳びを繰り返す非現実的な光景。
そして、それは唐突に現れた。
黒の湖面が割れたと思えたその瞬時、巨大な影が少年に覆いかぶさる。
「かかった!」
少女の鋭い声が静寂を破り、同時に先程までの緩慢な動きを捨てた少年が、華麗にその襲撃を大きく後ずさって避けてみせる。
ミミ子を背負ったまま湖に背を向けて、リンは大急ぎで通路まで走りだす。
併せて僕の幻影も、それに連動するように水の上から硬い地面へと居場所を移す。
四層北の湖エリアは、階段から一直線に伸びるやや幅広の通路と繋がっていた。
モンスターを誘き出した二人は、通路の角に滑りこむように身を隠す。
それからそっと顔を出して、水中から現れた異形の様子を覗き見る。
湖の上に現れたそれは、大きな体から水を滴らせる青馬であった。
比喩ではなく文字通りの群青色の肌を持つ馬なのだが、その下半身はさらに異彩を放っていた。
青馬の腰から下は、どう見てもエビの腹部そのものだった。
馬の上半身にエビの下半身。
それが四層の地底湖に生息するモンスター、水棲蒼馬である。
湖の岸辺まで下がった僕の幻影が、またも挑発するように反復横跳びを繰り返す。
水面にエビの尻尾で器用に立ったままの青馬は、その様をじっと見つめるだけで動こうとしない。
そこへいきなり、幻影の後ろから飛んできた矢が青馬へと迫る。
だが矢は的に当たる直前、何かに阻まれて消え去った。
目を凝らして見ればうっすらと透き通る壁のようなモノが、青馬の前に浮かんでいるのが判る。
『水壁』。
四層の強敵の例に漏れず、水棲蒼馬も水の精霊を使いこなしていた。
湖に入ってこない僕の幻影を見つめたまま、青馬は飛び出してきた位置から動こうとはしない。
重い沈黙を破ったのは、今度はキッシェの声だった。
「来ます!」
瞬時にモルムの腕が上がり、小さな白い杖が中空にあっという間に光る紋様を描き出す。
――――『誘眠』。
呼び込まれた睡魔たちが役割を果たすべく、呪紋が指し示す相手に忍び寄る。
青馬の首が一瞬だけ傾き、その体勢が僅かに揺らぐ。
一秒にも満たない短い眠りだが、それだけで十分であった。
青馬はじれたようにいななき、その身を少しだけ前に進ませる。
そこに矢が飛んできて、水の盾に波紋を作る。
またも青馬は動きを止めて、その下半身の先を水中に隠す。
急速にその尾が持ち上がり、湖面をすくい上げる。
弾かれた水は勢い良く飛び出し、そのまま先端を尖らせた何本もの槍へと姿を変える。
『水槍』は、水棲蒼馬の攻撃手段だ。
凄まじい勢いの水の槍が幻影を通り越して、少女たちの待機する通路へ到達する。
それを真っ向から受け止めたのは、白い鎧に身を包んだ赤毛の少女だった。
腰を落とし菱盾を持ち上げて、その水の猛攻を防ぎきる。
白鰐の使う『水球』と違い水槍のほうは貫通力は高いが重量が減った分、リンの体重でも耐え切ることができる。
もっとも流石に格上の攻撃だけあって、凌ぎ切ったリンの方も大きく肩で息をしていた。
連続で水槍が放たれると、かなり厳しい状況だ。
水槍を打ち出したモンスターは、またも焦れたようにリンたちへと近寄っていく。
こちらからの攻撃は水の盾で防ぎ、手が出し辛い水面に陣取ったまま遠距離から水の槍で攻撃してくる。
厄介な相手であった。
だが水棲蒼馬からしても、こちらはやり難い相手のようだ。
水の槍を続けざまに飛ばそうとしては、『誘眠』で集中を乱され邪魔される。
成功しても、今度は盾持が防ぎきってしまう。
膠着した状態のなか、一人元気に岸辺を駆けまわる僕の幻影。
その挑発に業を煮やしたのか、ついに青馬は大きく歩を進めた。
水面を尻尾で大きく叩き、一気に陸地へ上がってくる。
それが僕の待っていた瞬間であり、青馬の最後であった。
岸の端に潜んでいた僕は、宙を横切り地に降り立とうとするモンスターの動きを見極める。
長く伸びたタテガミに絡みつく水草から分離した雫の一粒一粒が、僕の視界を横切り消えていく。
蹄鉄がない前足の爪は大きく伸び、その骨まで砕けそうな一蹴りがスローモーションで繰り出される。
下半身を覆う青色の甲殻の内側に並ぶ角ばった脚たちが、それぞれ個別に細かく蠢く様が脳裏に刻まれる。
その一挙一動の最中、赤い弓が引き絞られ、水棲蒼馬の馬の胴とエビの甲殻の繋目へ矢が飛来する。
――『命止の一矢』。
ニニさんとの激闘で、僕が身につけた新たな技だ。
胴深くまで矢が刺さった水馬は青い血を撒き散らしながら、もんどり打って地面へと倒れこんだ。
そこに片手斧を構えながら駆け寄るリンと、続けざまに矢を放つキッシェ。
水揚げされた魚のように大きく口を開き喘ぐ青馬は、二人の攻撃で敢えなくその心臓の鼓動を止めた。
ゆっくりと消えていくモンスター。
その後に青いタテガミが現れる。この水馬のタテガミは銀貨4枚の値がつく。
棘甲羅よりも安いが、こちらのほうが危険が少なく倒しやすい敵だった。
とは言っても水中から安全に釣りだすにはミミ子がいないと無理だし、釣った後の対処もそれなりに試行錯誤した結果だった。
水馬の面倒な点は、遠距離攻撃とほぼ完璧な防御能力もそうだが、それ以上の問題はなかなか水上から離れてくれないところだ。
正直な話、水盾は曲射で何とか出来る。ただ出来ても、どうしようもないのだ。
水面上でモンスターを倒した場合、ドロップアイテムはその場に出る。
タテガミはまだ水に浮かぶのでなんとか回収はできるだろうが、宝箱が沈んでいく姿を目にしたら絶望の余り一週間ほど寝込みそうだ。
なので必死に陸にあげて、倒す方法を編み出したという訳だ。
全身を覆っていたマントを脱ぎ捨てながら、僕はゆっくりと満足の一息を吐いた。
▲▽▲▽▲
レベルが上がった僕たちの装備も、それなりに新調されていた。
とは言っても今回は万遍なく底上げするのではなく、それぞれに特化する形で補強していた。
まずリンだが、思い切って鎧を新調した。
白磁鋼の鎖帷子だが、四層のモンスター相手に早くも数ヶ所に綻びが出てしまい修理代が高くついたのだ。
そこで目をつけたのが、白鰐の鱗鎧だった。
名前ですぐに判ると思うが、これは四層最強の八脚白鰐の鱗を加工した逸品だ。
白磁鋼を超える強度を持ちながら、その重量は半分以下。しかも水への耐性がとても高い。
そしてお値段も凄く高い。一式全部揃えると金貨10枚だ。
なので胴鎧だけ作ってもらった。
材料を自分で調達して、職能ギルドに委託するような形で作ってもらえる受注制度を利用したのだが、それでも金貨3枚と値が張った。
だがこれのおかげでリンが水馬の攻撃にも怯まなくなったので、惜しむ気持ちは欠片も残っていない。
むしろお金を貯めて、全箇所頼もうと考えているくらいだ。
モルムの場合は、帽子を新しくした。
これは運良く銀箱からでた魔法具が、モルムにあつらえたような性能だったのが良かった。
その魔女が愛用するような黒いとんがり帽子の名称は『専心の帽子』。
長い鍔の内側に『集中』の呪紋が刻まれており、視線を向けるだけで効果が得られる。
もっとも多用すると、魔力酔いに似た症状が起きるので要注意だ。
この三角帽子をかぶったモルムは、以前にもまして素早く呪紋が描けるようになった。
その結果が『誘眠』の魔術を使った相手の行動阻害だった。
モルムのレベルでは一瞬の意識喪失を引き起こすのが精一杯であるが、戦闘の最中でのそれは恐ろしい効果を発揮する。
水馬の水槍攻撃を半数、中断させるほどの成果といえば判って貰えると思う。
もっとも、その成果の影の立役者がキッシェであった。
キッシェの装備はミミ子と同じく以前と変わりはない。
しかし水の精霊使いの指導を受けるようになってからは、小隊の戦力として大いに貢献してくれていた。
ただ彼女はまだ自由に使えるほどの、水の精霊との契約ができてないらしい。
それでも他者が使う水の精霊の識別が、出来るようになったのが大きかった。
水馬の精霊術の兆しをいち早く読み取って皆に伝えるコンビネーションこそが、この作戦の要になっていた。
そして最後に僕の装備だが、これは結構迷った。
闘技場の賞金である金貨5枚と銀貨34枚だが、最初は殉教者の偶人をあと二つ買おうかと考えた。
だが守りにばかり力を入れるのは、一時的に見れば安全かもしれないが総合的に判断した場合、危険度は高くなる。
戦闘時間を短縮したほうが、より安全なケースが多いのだ。
そのために僕が選んだのが、『不可視の外套』だった。
これは『空化』が刻印されており、全身を覆うとその姿が周囲の景色と同化できる。
まさに狙撃手に相応しい装備だった。
ニニさんとの試合で、気配を消して矢を叩きこむことの重要さを思い知らされた結果がこの選択に繋がった。
さっきの戦闘でもこのマントのおかげで気づかれずモンスターの側面に居座れたし、応用の幅を考えるとワクワクが止まらない。
ただそう甘くは行かないのが、試練の迷宮の常識だ。
まず視覚効果しかないので、嗅覚や聴覚感知には効き目がない。
そして効果時間がそれほど長くはない上に、ランダムなのだ。
最長で十分保てば、絶好調だと感じる。
さらにだが、そんな性能のくせにかなり値が張った。
まあ、これ諜報活動とかに使われるとヤバイからだとは思うが、金貨7枚もした。
リンの鎧の代金もあったので、余裕で赤字となる金額だ。
…………足りない分はニニさんに借りました。
という訳で現在、絶賛借金生活に突入中。
でも見えない狙撃手って凄いカッコ良いし、後悔はしてないけどね。
ちなみにこの響きの良さに、女の子たちの誰一人として共感してくれなかった。
『名無しの弓使い』なんて二つ名より、こっちに変えて欲しいんだけどな。
まあ今は頑張って馬のタテガミを売って、お金を稼ぐ毎日です。
『誘眠』―魔術士の第二階梯呪紋。仮眠に便利
『空化』―精霊使いの空精使役術。光学迷彩です
水馬のタテガミ―この毛で編まれた布は撥水性が高く、様々な用途に使われる。主にお風呂グッズとか
ノクターン出張版にも一話追加しました。
キャラ崩壊が気になる方は、スルーおすすめです。
「あなたの年齢、十八歳以上ですか?」「はい/いいえ」
内容的に、本編に絡む要素は全くありません。
苦手な方は飛ばして頂いても、支障はありませんのでご安心ください。
今週の月曜日と土曜日は更新を休ませて頂きます。




