変化
あの闘技場の一戦から、一ヶ月が経っていた。
そして夏が終わり秋が本格的に始まったこの時期に、僕らの周りでは大小様々な変化が起こっていた。
その中でも一番大きく変わったのは、これかもしれない。
「おはようございます! ナナシの兄貴」
「おはっす!」
迷宮組合のロビーに入ると、真っ先に野太い挨拶の声が飛んで来る。
ずらりと並んだ厳しい鎧姿の男たちは、今日も見事なお辞儀を披露してくれていた。
「皆さん、おはようございます」
軽く会釈すると、先頭に立って頭を下げていたソフトモヒカンの彼が、僕に頷きながら仲間に目で合図する。
あっという間に散開した彼らは、僕らの周りを覆うように配置につく。
大柄な護衛たちが発する空気のせいか、人込みが自然に分かれ僕らの前に道が開ける。
壁の役割を果たしてくれる彼らのおかげで、今日も僕らはすんなりと受付に辿り着くことが出来た。
「今日も有難うございます」
「いえ、兄貴のお役にたてて何よりでさ」
闘技場でのニニさんと死闘を繰り広げた翌週、いつも通り迷宮へ潜ろうとロビーへ足を踏み入れた僕たちを待ち構えていたのは、黒山の人だかりだった。
人の群れが次から次へと押し寄せて来て、僕らを取り囲んだまま一斉に話しかけてくる。
小隊のお誘いから始まって、徒党の勧誘から弟子志望、果ては弟子が無理ならあの技を教えてくれ、あの赤い弓を譲ってくれと口々に持ちかけてきたりお願いされたりと大変なことになった。
騒ぎに気づいた警備員の人がすぐに間に入ってくれたが、それなりにもみくちゃにされて目が回った。
どうも女を食い物にしてる女衒のような悪い噂から、一転して英雄とその取り巻きといった風に世間の評価が変わっていたらしい。
色魔として蔑まれたのも胃に来たが、強者としてちやほやされるのもこれはこれで面倒としか言い様がない。
まさに、手の内にしっくり収まる弓矢を探すのは難しいといった感じだろうか。
そんな環境の変化に困惑してた僕らを助けてくれたのが、鬼人会の方たちだった。
彼らは当初、戸惑う僕らに率先して接触するふりをしながら、壁になって群がってきた人たちを跳ね除ける役割を果たしてくれた。
たぶんいきなり今のような強面で威嚇すれば、角が立つと考えてくれたのだろう。
一週間ほどそんな感じが続き、気が付くと僕が鬼人会を配下に収めたという噂が出回っていた。
それからは毎朝、彼らがボディガードをしてくれて、露骨な誘いかけや声高な嘆願を目にすることはなくなった。
おかげさまで経験値稼ぎに専念でき、ついに僕はレベル4に、モルムがレベル2に上がることができた。
ミミ子と出会ってパーティを組みだして、わずか半年ちょいでレベルアップだ。
レベル3昇格までに二年掛かったのを考えると随分と早い。
まあレベル4に上がってもそんな実感が湧くような変化はないし、急いで認可試験を受けるような技能もないので地味な感じだけど。
逆にモルムはレベル2になって、解禁された第二階梯の呪紋習得に張り切っている。
これまで以上にパーティでの貢献度が上がりそうだ。
あと少し身長が伸びたらしい。胸も大きくなったと、嬉しそうに報告してくれた。
「これ良かったら、皆で食べて下さい」
「頂きます! リン姐さん」
「いつもありがとうね、リンちゃん」
「いえ、お世話になってますからこれくらい」
変化と言えば最近のリンは、料理を頑張っている。
朝早くから仕込みをして、鬼人会の方たちの分までお弁当を作ってあげる熱の入れようだ。
ただ可愛いエプロン姿で台所に立つリンが魅力的すぎなのは良いが、その熱心な理由が僕ではないのが少しばかり悔しい。
対してキッシェのほうは、水の精霊使いの修行に行くようになってから、前にも増して落ち着いた感じになった。
もともとそれらしい雰囲気はあったが、今は一皮剥けたように大人びた顔付きを見せてくる時がある。
四角い眼鏡を掛けさせたら、凄い似合う感じだ。
もっとも今ではパーティの収支や我が家の財政に関しては彼女が居ないと話が進まないので、秘書姿が似合うのも道理かもしれない。
ミミ子の胸は、相変わらず変化がない。
ただ最近、毛並みが物凄く良くなった。
つやつやと輝いてキューティクルもばっちりだ。
これは朝夕の散歩とブラッシングのおかげだろうと思う。
「旦那様。パーティの探求申請が終わりましたので、ご確認をお願いします」
「うん、今日は四層で水棲蒼馬狩りですか。それじゃあ行ってきますね、リリさん」
「はい、お気をつけて」
受付担当は、リリさんのままだ。
最近はキッシェと相談しつつ、僕らにあった狩場を提案してくれるので凄く助かっている。
僕らの戦力を細かく把握してくれているので、だいたいの要望を伝えるだけでほぼ希望通りのプランを出してくれるのだ。
なので経験値稼ぎの狩場チェイスなんかは、すっかり任せっきりになってしまっているのが現状だ。
武器預かりカウンターへ向かう前に、迷宮予報士のサラサさんにも軽く会釈しておく。
僕らに気づいたのか、サラサさんは片目を閉じて可愛らしくウインクしてくれた。
相変わらず当たると評判のようで、彼女の周りは人波が絶えない。
それとあと大きな変化と言って良いか迷うが、知らない内に僕は結婚していた。
何を言ってるかよく分からないと思うが、本当に未だによく分かってないので諦めて欲しい。
知らなかったのだが、大鬼の角を折ると結婚しなければならないらしい。
詳しい説明をお願いしたら、当人であるニニさんに不思議そうに首を傾げられた。
なぜ説明が要るのかから、説明が必要だった。
結局、そのようなものだと話が落ち着き――実際は諦めただけだが、ウヤムヤの内に押しかけてきたニニさんと、一緒に暮らすこととなった。
そのせいでリンは闘血をたぎらせすぎて鼻から吹き出し、キッシェは大いに拗ねて反対した挙句、赤い瞳から発せられる無言の圧力に膝を折った。
あとイリージュさんが、人見知りのあまりひっそり失神してたが、ひっそりし過ぎて発見が半日遅れた。
リンが料理を張り切りだしたのは、それからである。
あと鬼人会の方たちが助けてくれるようになったのも、当然ニニさんのおかげだ。
なぜか僕は年上の皆さんから兄貴と呼ばれ、キッシェたちは姐さん扱いになった。
もっとも全員がそうではなく、気さくに話しかけてくれる鬼人の方も居るので、そんな肩肘張った関係にはならずに済んでいる。
ちなみにミミ子はミミさんで、モルムは嬢ちゃんと呼ばれていたりする。
あと一緒に連れてきたニニさんの飼い犬ピータだが、これが馬鹿でっかい真っ白な狼犬だった。
小僧を黙らせるほどのサイズはないが、ミミ子を背に乗せたまま散歩に行けるくらいには大きい。
これがちびっ子たちに大好評だった。
躾がきちんとされているのか、ピータは無駄吠えもせず、どちらかといえば大人しい犬だった。
そしてそのフカフカな毛皮は、真っ先にミミ子とちびっ子たちの寝床に認定され、毎晩一緒に仲良く寝ている。
ストレスが溜まるんじゃないかと心配したが、ニニさん曰くそんなやわな犬ではないらしい。
そしてその肝心のニニさんだが、迷宮への階段を降りると律儀に僕らを待ち構えていた。
「今日はどこだ?」
「四層ですよ」
「そうか」
「お先に行きますね」
僕の言葉に、ニニさんは無言で首を縦に振った。
結婚したとはいえ僕らの会話は、いつもこんな感じだ。
男女の仲と言うより、戦友と言うか先輩後輩のような関係だ。
もちろん深い仲には、まだなっていない。
美人過ぎるニニさんに気後れしている面もあるが、彼女も進んでそういった関係になるのを望んでないせいだ。
どうもニニさんには区切りを付けなければならない何かの事情があり、そのためにも迷宮深層に潜る必要があるらしい。
そこで白羽の矢が立ったのが、ニニさんの背後から力ない視線を僕に向けてくるメイハさんだった。
確かに高レベルの護法士に、治癒士の組み合わせはベストマッチだ。
僕の身近にいてニニさんと釣り合いそうな治癒士と言えば、メイハさんしか心当たりがない。
そのせいで強制的なマッチングが発生し、メイハさんは引退したはずの探求者に復帰する流れになった。
なぜそうなるのか、そうなってしまったのかは僕からは上手く説明できない。
一つ言えるのは、ニニさんの赤眼にじっと見つめられると、たいていの人間は言葉を失うということだ。
メイハさんの貧民街の治療院は、カリナ司教が手を回したらしく治癒士が交代で派遣される手筈になった。
ここ一層の治療室勤務だったサリーナ司祭も、よく顔を出してくれているとか。
改めて義母の恐ろしさを感じつつ、メイハさんの現役復帰は嬉しいので僕としては沈黙を守るしかない。
ただ二人きりで五層へ挑むのは、かなり大変らしい。
特に相方が、意思疎通の難しい相手だと尚更だろうな。
無言で助けを求めてくるメイハさんに背を向けて、僕らは迷宮下層へ向けて歩き出した。




