義母襲来
「なかなか住み心地の良さそうな家ね、『名無しの弓使い』くん」
我が家の居間のソファーに腰掛けたカリナ・セントリーニ司教は物珍しそうな視線を周囲に走らせた後、僕に向かってにっこりと笑いかけて来る。
それは査問会で見せた獲物を嬲るような笑みとは全くの別物だった。
「…………その、それ何でしょうか?」
色々と聞きたいことが山積みだが、まずその変な呼び方は一体……?
「名無しの弓使い? これは闘技場運営部から正式にあなたに与えられた二つ名よ」
「えっ? ご厚意はありがたいですが、辞退させて――」
「残念だけど、拒否権はないの。それにもう公布も終わってるわ」
横暴過ぎる話に僕は言葉を失った。
ニニさんの『孤高の闘姫』を哀れんでいたら、いつの間にか僕にも謎の渾名がついていたとか。
「そもそも……その、何ですか? 『名無しの弓使い』って。意味がさっぱり判りませんよ」
「あらご存じなかったの? てっきり彼に敬意を払って真似してるのかと」
カリナ司教曰く、『名無しの弓使い』はかなり以前にこの迷宮都市で活躍した虹色級の探求者らしい。
未踏の深層まで到達した有名人らしいが、詳しい記録を残すことなく消えてしまったとのことだ。
「その人に僕の何が似てるんですか?」
「彼の弓の腕は、神技とまで呼ばれていたのよ。それに常にその傍らに美しい白狐族の相棒が控えていたとも」
薄い唇をわずかに持ち上げなら、カリナ司教は僕の横で丸まるミミ子に意味ありげな視線を寄越す。
「なるほど。ミミ子は似てるかもしれませんが、僕はそんな褒められるほどじゃないですよ」
「下手な謙遜は、周りを不愉快にさせるわ。言ったでしょ、強者は強者らしさを示しなさいって」
「それは無理です。性に合ってません」
「あら言い切ったわね。あれほどの腕を披露しておきながら、まだ隠れて生きるつもりなの?」
「その……ニニさんに勝てたのは運が良かっただけで…………」
「探求者にとって幸運は誇るべきものよ」
「きっ、昨日は、ニニさんの調子がたまたま悪い日だったんですよ」
「そうなの? ニニ」
僕があたふたとわざとらしい謙遜をしてみせた理由である件の人物は、カリナ司教の問い掛けに無言で首を横に振った。
そう。今日はカリナ司教だけではなく、なぜかニニさんも一緒に我が家に訪問中だったのだ。
向かいのソファーに腰掛ける彼女には、昨日の死闘の面影は全く残っていない。
僕の折れていた左腕と同様、その天を突く角も完璧に治っている。
なんだかんだと事故が起こりやすい闘技場は、常に治癒士さんが待機していて迅速な治療を施してくれる仕組みになっている。
もっとも聞いた話では、ここも迷宮の治療室も同じように新米治癒士さんの実習を兼ねているのだとか。
無言のままのニニさんから重苦しい空気が押し寄せて来たので、僕は急いで話を進めることにする。
「それで本日は、どのようなご用件ですか?」
「そう。それだけど、まずは闘技場の安全管理室長の立場として一言。あんな危ない真似は二度と止してちょうだい」
『安全人形』を、ミミ子に二つ持たせた件か。
その辺りは明確には定められていないが、やはり過度の危険行為は問題視される。
生命維持が不可能なほどの肉体の損傷は、聖者階位でも治療は難しい。
神殿でもある闘技場でそうそう死者を出すわけにもいかないし、優秀な探求者を簡単に失うのは迷宮組合にとっては大きな損失だ。
彼女がわざわざ釘をさしてくるのも無理はない。
「ご心配をお掛けして申し訳ありません」
「二度としない?」
「いたしません」
「ならその件はおしまいね。えっと次はこれね」
軽い口調で僕を許してくれたカリナ司教は、小さな袋をそっとローテーブルの上に置く。
革袋はかなりの重さがあるようで、置かれた途端その形が平たく広がる。
「これは?」
「勝利の報酬よ。昨日はあなたが気を失っていたので、渡しそびれたの」
「賞金でるんですか? てっきり査問の件がちゃらになるだけかと」
「それは査問会での条件であって、闘技場の運営とは別の話ね。これは正式にあなたが自分の力で勝ち取ったものよ」
「それでしたら、有り難く受け取らせて頂きます」
かなり胡散臭い報酬だが、断るとまた波風が立ちそうでそちらのほうが怖い。
それに査問会の呼び出しから、まともに迷宮に入れてなくて稼げてなかったという事情もある。
革袋を持ち上げるとズッシリと重みが伝わってきた。
これは意外と――。
「金貨5枚と銀貨34枚よ」
「そんなに貰えるんですか?! って賞金って端数なんですね」
「昨日の試合は闘技場でもトップクラスの組み合わせよ。それくらいの額は当然だわ。それと半端な分は税金と治療費の天引きよ」
治療費取られるのか……。
でも金貨5枚は凄い助かるな。あの一戦で大人なら二年は食べていける賞金か……。
「それで?」
「はい?」
「次はどうするの?」
聞き返すまでもない。次の出場を訊いているのだろう。
確かにこの報酬は魅力的だ。
僕の眼の色が変わったのを、即座に見抜かれる程だし。
それにあの拍手と喝采は悪くはなかった。
僕は手を伸ばし、真横で眠るミミ子の柔らかい手触りとその下で脈打つ鼓動を確かめる。
「お誘いは有り難いですが、当分出る気はありません」
「そう。気が変わったら連絡をちょうだい」
カリナ司教は意外なほどあっさりと引いてくれた。
あの勝利の瞬間は、最高の気分だった。それは嘘じゃない。
だがあの時、勝てたのは、間違いなくミミ子が居てくれたお陰だ。
共に戦ってくれる仲間が――家族が大切な存在だと改めて僕に教えてくれただけでも、今回の件は巻き込まれて良かったと思う。
そんな彼女たちと、もっと一緒に強くなりたい。
それが今の僕が一番に感じていることだった。
そして闘技場は、それに相応しい場所ではないと思う。
お金は稼げるし強くは成れるかもしれないが、僕らにはまだ早い場所だ。
「孤高の闘姫と、それを打ち破った新たな英雄の二枚看板を失うことだし、闘技場の運営に携わる身としては歓迎できない話なのだけどね」
「ニニさんももう出ないんですか?」
「あれだけの戦いぶりを見せたら、流石にもうカードは組めないわ。それにこの子が言い出したことなのよ。そういえば伝えたいことがあるのよね」
何気ない風に重要な話を告げてきたカリナ司教は、横に座るニニさんに話を振る。
そのニニさんだが、実は部屋に入ってきてから片時も僕から視線を外してこない。
以前はあれほどミミ子に執着していたその関心が、僕に集中してくるのだ。
正直、カリナ司教も苦手だが、それ以上に今のニニさんは怖かった。
何時にも増して迫力のある大鬼のニニさんだが、その硬い表情とは裏腹に今日の見た目はとても柔らかだった。
見慣れた藍色の胴着よりやや色が薄く光沢を放つ生地のワンピースだが、その裾には深いスリットが入っている。
袖もなく大きな胸元にも同様に切れ目が入る仕様は、どうみてもチャイナドレスだった。
誰だ! こんなけしからん衣装を素晴らしい体型の美人に着せた奴は!
心の底から感謝させて欲しい。
丁寧に髪を結い上げ冷徹な表情を見せる彼女の美貌に、途轍もなくその服装は似合っていた。
カリナ司教に促されたニニさんは、僕を見据えたままおもむろに口を開く。
「お前の一矢、しかと受け取った」
その一言を口にしたっきり、彼女は再び黙りこくってしまう。
よく判らないが、良い試合だったという感じだろうか。
「ありがとうございます」
取り敢えず頭を下げておこう。
ニニさんは本当に強かった。
巻き戻しがあってこその勝利だが、それでも認めて貰うのがこんなに嬉しいとは。
思わず口元がにやけるのを我慢できず顔が綻ぶ。
僕のそんな表情に気付いたのか、ニニさんは深く頷いてくれた。
そんなほのぼのした空気が流れている居間だが、不意に掠れた呟きが僕の耳に届く。
「母……さ…………ん?」
振り向くと香茶を乗せたお盆を、メイハさんが丁度取り落とすところだった。
聖者―代価なく治癒が可能な人に与えられる称号。生まれつきの才能でほぼきまる。ルビは同じだが戦闘能力はない




