決戦!その1
雲一つなく晴れ渡る空。
幸いなことに、風は全く吹いていない。
薄暗い場所から眺める景色は、光と音に満ちていた。
まだ眩しさを残す晩夏の日差しが、人で溢れ返る観客席を照らし出す。
そこから響いてくる喧騒が、さざ波のように競技者が待機中の通路まで押し寄せて来ていた。
今さら考えても仕方がないが、なぜ自分がここに居るのかと改めて強く感じる。
さっきから足の震えが止まらない。
暗がりしかなかった迷宮の日々が、酷く遠くに思えた。
今の僕は、無理やり地上に引っ張り出されたモグラのような存在だ。
こんな目映い場所で、あんな大勢の人を前にして戦わなければならないのだ。
怖気づいていた僕の首筋に、不意に小さな風が吹き抜けた。
そっと振り向くと、僕の背中でミミ子がスヤスヤと寝息を立てていた。
……本当にこの子は肝が太いな。
なんか悔しくなったので、柔らかなほっぺやまぶたに絨毯キス攻撃をしかける。
しばらくチュッチュしてると、ミミ子が目を閉じたまま嫌そうな顔で呻き出した。
「なめくじが……なめくじめ~」
うなされながらも頑張って眠り続けるミミ子を見てると、肩の力が抜けていくのを感じる。
よし。周りの声は無視して、まずは当てることに集中しよう。
あと27回やり直しできるし、初回は空気に慣れればいいか。
と、言い聞かせていたら大きくラッパの音が響いてきた。
慌てて通路から顔を出すと、闘技場の観客席のど真ん中に大きな台が設えてあるのが見える。
その上には緑の礼服姿の女性が端然と佇み、皆の注目を一身に集めていた。
観客が静まるのを待って、女性は手にした魔法具に語りかけた。
貝の形をしたソレは、確か過剰の魔術が呪紋された拡声機能がついていた筈。
朗々とした声が闘技場に響き渡る。
「今日のこの良き日に、ここに集い今から繰り広げられる素晴らしき戦技の数々を目にすることのできる貴方がたは、類まれなる幸運の持ち主と言えるでしょう。本日の対戦は私どもが珠玉揃いの競技者の中から、吟味を重ねに重ね選びに選び抜いたカードでございます。かたや知らぬものは居ない闘技場に咲く気高き花、『孤高の闘姫』ニニ・ラニフ・ニノ嬢。その無敗の女王に挑むのは、まだ僅かレベル3の若輩者とその従者の二人だけ」
すらすらと口上を述べてみせたカリナ・セントリーニ司教は、ここで一息ためて群衆を意味ありげに見渡す。
「ここまで聞いて帰り支度をされる方は、早計とだけ申し上げさせて頂きます。そう、かの少年こそが弓聖ロウンの薫陶を受けた、今最も注目を集める新人なのです。さらに彼に従う少女は、かの『大輪牡丹』と同じく幻妖の使い手と言えばお判りになる方も多いことでしょう」
限りなく嘘に近いが、黒とは言い切れない。
確かにロウン師匠にちょっとヒントは貰ったし、査問会に引っ張られた時点で注目が集まったのも事実だ。
あとミミ子って有名人なのか?
口上の最後辺りで、観客席が大きくどよめいたし。
「私は彼らが戦う機会に恵まれたことに、大いなる創り手の導きを感じました。そしてそれを見届ける貴方がたにも、創世の祝福があらんことを!」
カリナ司教が優雅に頭を下げて挨拶を締めくくると、観客席からは大きな拍手が巻き起こる。
僕の心臓が早鐘のように脈打ち始める。弓篭手の中が、汗で滑り気持ちが悪い。
ゆっくりと指先を鎧の裾で拭いながら、息を腹の底まで吸い込んで一旦止める。
静かに呼気を漏らしながら、気持ちが落ち着いていくのを感じる。
そして始まりを告げる銅鑼の音が、高らかに鳴り響いた。
▲▽▲▽▲
一戦目。
まずは様子見だと、思い切ってフィールドへ飛び出す。
少しの間が空いて、観客席から大きな笑い声が巻き起こった。
しまった。ミミ子をおんぶしたままだった。
なんか物凄い受けてる。
照れ臭いってレベルじゃないな。首まで赤く染まったのが自分でも分かる。
ってそんな場合じゃない。
気を取り直してフィールドに目を戻したら、ニニさんの姿が消えていた。
高速で石の柱へ移動する姿が見えたと思ったら、あっという間に近づいてくる。
「やばい、ミミ子頼む!」
返答を待つ間もなく、大鬼の巨体が眼前に迫る。
そして返事の代わりに背中から聞こえてきた安らかな寝息に、僕の思考は真っ白になった。
二戦目から五戦目。
ようやく雰囲気が掴めてきた。
大事なことは空気に呑まれないこと。
それとミミ子は事前に背中から降ろしておいて、ちゃんと起こしてから始めること。
あとニニさんの一撃は、受けると本気で痛い。
衝撃が打たれた箇所から広がって、その後で痺れたような痛みが骨の髄までねじ込まれてくる感じだ。
二戦目からは近寄って来られただけで、恐怖が脳裏に蘇って体が竦むほどだった。
ただ『安全人形』のせいか、痛み自体はすぐに引いていく。
同時にその部分の感覚が消えていくのが、かなり気持ち悪い。
それらに慣れるために三戦ほどひたすらサンドバッグになりながら、じっくりと彼女の動きを観察する。
射手のくせに一本も矢を撃ってこない僕を訝しむこともなく、ニニさんは淡々と近寄ってきて容赦なく拳を振るってくれた。
そしてある程度わかってきた六戦目。
今度は僕から動いてみた。
開幕でいきなり二連射を当てに行く。
距離があったので、あっさりと止められた。
次に『縮地』で石柱の間を移動中のニニさんに狙いを定める。
予想よりも速く当てにくい。もう一呼吸ほど速度を上げないと駄目か。
一番近い石柱の影から飛び出してきたニニさんを、四連射で迎え撃つ。
ここで初めて当てることができた。
顔と心臓を狙った二本は防がれたが、足首と膝に矢が突き刺さる。
だが止まらない。
被弾しつつもその速度は全く緩みを見せず、彼女は僕へ辿り着く。
七戦目から十戦目は、当てることに集中してみた。
同時に彼女の速さに目を慣れさせつつ、その動きの癖を徹底的に覚えこむ。
特に足の動きに注意する。そこさえ潰せば、勝機は十分にある筈。
当てやすい石の矢を使い、徐々に精度を上げてその感覚を掴む。
さらに石柱の陰に潜まれた場合は、曲射で上から攻めてみる。
棘亀との特訓の成果でバッチリだ。
狙いも当てやすい箇所、避けにくい場所を探りながら撃ちこむ。
そして分かったことは、十本くらいじゃ彼女は止められないといった事実だった。
予想以上に持久力が高い。さすが高レベルの護法士だ。
十一戦目からは、速度に慣れてきたので技能を本格的に投入する。
やはり普通の攻撃で倒すのは不可能だ。
まずは開幕で『五月雨撃ち』。
これはやはり悪手だった。
物量作戦で押し切れるかと考えていたが、距離が遠すぎて到達する前に動かれてしまう。
迷宮の巨大なモンスター相手なら全弾必中は簡単だが、素早く動きまわる人相手だと半分以下も当たらない。
ここは回避しにくい中距離での使用に絞った方がいいが。
だがその辺りは石柱が少なからず建っており、『縮地』を連発されると大きなチャンスが見い出せない。
『ばら撒き撃ち改』で、移動中の彼女を牽制しつつミミ子の『陽炎』を参戦させる。
彼女がどれか一つに的を絞って飛び出した瞬間、僕の優位が確定する。
ここで予想外だったのが、ニニさんが真っ直ぐに向かったのはミミ子の方だった。
『縮地』と『地壁』を巧みに使いこなして、即座に少し離れて座っていた少女へ距離を詰める。
あのミミ子への可愛がりっぷりで甘く見てたが、彼女はやはり生粋の闘士だったようだ。
真っ向からの強烈な一撃を食らったミミ子は、軽く5メートルほどぶっ飛んで幻影は全て消え去った。
唖然として状況を眺めていた僕も、そのあと同じく宙を舞った。
だがそんなこんなも、十八戦目あたりでようやく形になった。
長距離は確実に当てに行く。
石の柱地帯に入ったら高威力な技能で追い込みつつ、次に彼女が取りそうな戦法を先読みして動く。
近距離の間合いに入ったら、幻影を出して少しでも時間を稼ぐ。
ミミ子は安全をとって、僕の後方に待機させている。
『陽炎』の出現範囲は狭まったが、五秒でも稼げたらそれで御の字だ。
十歩圏内のニニさん相手での五秒は、途轍もなく貴重な時間と言える。
時間と言えばかなり警戒していた『金剛』だが、どうも詠唱に少し時間が掛かるのを嫌ってか、ニニさんはそれまで一度も使って来なかった。
詠唱中はその場から動けず他の技能も使えないリスキーさを考慮してなのか、もしくは僕が使うに足らぬ相手だと思ってのことか。
だが十五回目の巻き戻しで、僕はようやく彼女に『金剛』を使わせることに成功した。
そして今、大方の予想に反して、僕は孤高の闘姫の姿をヤマアラシのように変えていた。
激しい息遣いが聞こえて来そうな距離。
静かに弓を引きながら最後の一本を放とうとして、僕は初めてそれに遭遇した。
『伝播する巻貝』―『過剰』が呪紋された魔法具。端を通して喋ると声が大きくなる




