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依存と共存

苦戦してた強敵を一撃で倒せるようになった時、積み重ねの楽しさを実感できるでござる

 足は的に向かって、左右に踏み開く。

 弓束を握る手は軽く、指先に力を込めない。

 一旦、顔の横まで持ち上げた弓を、一呼吸の間に静かに引き絞る。


 天幕が掛かった射撃場は迷宮を模してあるのか、昼間でもかなり薄暗い。

 キッシェは、矢先の遙か向こうに浮かぶ白い的を睨みつけた。

 

 弓を押す手は一、弦を引く手は二の力。

 教えられた通り、二の腕に力を込めて肘の角度を調節する。

 力を抜くように息を吐き、合わせて矢筈を摘んでた指を離す。


 真っ直ぐ進んでいく力を感じながら、その流れに逆らわず弓を掴む手を緩める。

 綺麗に弓が返り、矢は美しい射線を描いた。


 鋭い音を立てた矢が狙った部分のやや上に当たったのを見届けて、少女は小さく息を漏らした。

 時間をかければ、ほぼ当てることは出来るようになった。


 だがそれだけの話だ。

 迷宮内で、矢が当たるのをじっと待ってくれるモンスターはいない。

 毎回、教わった手順で矢を構えるような余裕があればいいのに。


 そんな益体もないことを考えながら、次の矢をつがえる。

 今度はやや右上に当たった。



「矢が浮くのは、気持ちが浮いとるからじゃよ」



 不意に掛けられた声に、自分の今の気持ちを見透かされた心持ちがして、キッシェは思わず手を放す。

 弦から解放された矢は気ままに飛び出したのは良いものの、無情にも的に届かず手前の地面に突き刺さる。


「急に声を掛けないでください、お師匠様」

「悩みながら撃ったところで、楽しくはないじゃろうて」

「練習とは自分に足りてないものを考えながら、行うものではないですか?」

「相変わらず固いのう。カチコチの弓じゃ」


 声を掛けてきた人物は、頭が綺麗に禿げ上がった小柄な老人だった。

 少しひねた顔付きをしているが、その眼光は驚くほどに鋭い。

 揶揄するような師匠の物言いに、キッシェの眉が小さく持ち上がる。

 

「そんなこと考えてても、上手くなりゃせん」

「そうでしょうか?」

「弓なんてのは、体で撃つもんじゃ。ほら、頭使わんでもこれくらい簡単じゃぞ」


 話しながら老人の持つ弓の弦が、僅かに鳴り響く。

 目線は一度たりとも、的へ動いてない。

 だが白い的の中心には、いつの間にか五本の矢が生えていた。

 逸る気持ちが削がれたキッシェは、諦めて弓を地面に向ける。


「どうしたら弓が上手くなれますか?」

「ひたすら撃つことじゃな。それしかないて」

「正しい撃ち方でひたすら反復する。ということですか?」

「正しい? 確かにお主の体配は綺麗なものじゃ。じゃがのう、当てる弓と当たる弓は別物じゃ」


 観念的すぎて、理解が及ばない。

 キッシェは心の中で、小さく溜息を吐いた。


 ギルドの弓術技能講習でキッシェの教官にあたるこの老人、お師匠様は元虹色カラーズ級の探求者シーカーである。

 弓聖と呼ばれモルムの先生を務める方と一緒に、かつて迷宮で目覚ましい活躍をされたのだとか。

 

 だが正直、教えるのがあまり上手ではない。

 旦那様とどっこいどっこいだと思う。


 旦那様も毎回、助言をくれるのだが、言い方が曖昧だったり抽象的すぎてよく分からない。

 そもそも旦那様の撃ち方は弓の構え方、足の運びから的の狙いまで全て適当に見える。


 

 それでもキッシェは、旦那様が一度たりとも矢を当て損じたのを見たことがなかった。



「そもそも、巧く撃ってやろうなんて思ってる内は上達せん。何も考えずに撃っとけば、自然と腹に落ちてきて当たるようになるて」



 お師匠様に促されて、キッシェは再び的に向かい合った。

 だが頭を空っぽにしようとしても、却って様々な考えが浮かんでくる。


 査問会のことや、旦那様があの大鬼オーガの女性と決闘すること。

 その要因に自分たちも関係があったこと。

 それなのに何一つ、自分が役に立てないこと。 


 ならば今の自分に出来ることを成すだけだと思い、弓の練習に来てみたのだが……。


 確かに身が入ってない練習なんて、何の意味も持たないかもしれない。

 でもどうしても旦那様のことを考えてしまう。


 一人の男性のことをこんなに思い悩むなんてと、キッシェは驚きを感じていた。

 半年ほど前の自分が見れば、今の有り様はあり得ないと驚くだろう。

 不思議な気持ちに浸りながら、キッシェは気づかぬうちに矢を放っていた。


 的に吸い込まれるように当った矢に、気持ちが少しだけ軽くなった。



   ▲▽▲▽▲


 

 この街に来た当時の自分は、非常に愚かだったとキッシェは改めて思う。

 


 キッシェは父親のことは殆ど覚えていない。

 賦役に駆り出されて帰ってこなかったと、母に聞いたのみだ。

 その母も外街に流れ着いて、まもなく亡くなった。

 前々から臓腑が少しずつ腐っていたらしい。


 周りで簡単に人が死んでいくので、自分もそうなるんだろうと思っていたがそうはならなかった。


 母の際を看取ってくれた治癒士ヒーラーのメイハさんに引き取られ、彼女を母さんと呼ぶようになった。

 彼女の家には真っ黒な肌の黒長耳族ダークエルフの人と、親を知らない赤毛の大柄な少女がいた。

 丁度、歳が真ん中だったので、キッシェは姉と妹を同時に持つことになる。


 メイハ母さんの家での暮らしは、大変だったが楽しい毎日だった。

 お人好しのメイハ母さんは、すぐにお布施をオマケしてしまい家に殆どお金は残らない。

 そんな貧しい家計を助けるべくキッシェも働こうとしたが、貧民街スラムにまっとうな仕事なんぞ有る筈もない。


 その頃からキッシェは、自分たちの住む街がどんな場所なのか、だんだんと分かってきていた。

 崩れそうな家々のすぐ向こうに見える巨大な壁。

 あの壁の向こう、内側の街はとても煌びやかな人たちが暮らしていて、町並みはとても清潔で、毎日美味しい食べ物が食べられるらしい。


 なぜなら壁の内側には迷宮という夢を叶えられる場所があり、そこへ行って化け物を倒し宝物を勝ち取れば、大金が手に入ってずっと内街で生きていけるのだと。

 そして自分たちが暮らすこの貧しい外街は、夢を叶えられなかった負け犬たちが集まった場所だとも。


 それはキッシェの心の励みになった。

 異形である自分でも、そこへ行けば認められるかもしれない。

 だがまだ準備は出来ていない。

 そのためにも、お金はもっと必要だった。


 溝さらいや便所の清掃、怪しい荷運びやそのおこぼれ。

 皆が嫌がるような場所での仕事も、キッシェは夢の為にえり好みせず引き受けた。

 棍棒の使い方を元探求者だと言っていたおじさんに習い、リンと一緒に大ネズミを退治したりもした。

 外街のネズミは、膝の高さに達するほど大きくなるものもいる。

 迷宮で化け物と戦うなら、今から慣れておく必要があった。


 この訓練は後々、非常に役に立った。

 女所帯だと知ると、直ぐに上がり込みたがる輩の多いこと。

 

 キッシェはそのうちの一人に襲われたことがある。

 ゴミ溜めのような場所へ引きずりこまれて、服を引き裂かれた。

 その男はキッシェの肌を覆う鱗を見た途端、悲鳴を上げて逃げ出した。

 

 追いかける気力もなく泣いていたら、リンが代わりにボコボコにしてくれた。

 あの子は今とちっとも変わっていない。

 でもその時、キッシュは思ったのだ。

 自分はたぶん、人に肌を見せてはいけないんだと。


 その後も色々あった。

 たびたび酷い怪我で運び込まれて来た巻き毛の少女が、妹になったこと。

 元探求者である彼女の父親はどうしようもない人間だったが、最後は溝の中でひっそりと静かに死んでいた。

 ここに住んでる人間は遅かれ早かれ、同じような感じで消えていく。


 妹はその後も順調に増え続け、家はますます貧乏になった。

 

 キッシェが17歳になった頃、イリージュ姉さんから治療院の立ち退きの話を聞いた。

 壁を新たに作って、迷宮都市を広げるらしい。

 そのためにこの辺りは、全て更地にされるのだとか。


 ただ金を出せば、そのまま残して貰えると。

 それを聞いたキッシェは、リンと二人で以前から計画していた迷宮での金稼ぎを形にすることにした。

 夢を叶える時が来たのだと。

 そこにモルムがいつの間にか加わって、三人でこっそり家を抜け出し内街へと入った。


 貯めていたお金は入街料で呆気なく消えたが、迷宮で宝箱を見つければ直ぐにどうでも良くなると意気込んでいた。

 そんな甘い目論見は、一週間で消え去った。

 迷宮蜥蜴たちは、大ネズミよりも遥かに強かったのだ。

 稼げないので宿に泊まるのを止め、噴水広場で寝泊まりするようになった。

 死んだ元探求者の男が言っていたことが思い浮かぶ。 



「運がない奴は、この先も一生このままだ」



 もはや家を買い戻すどころか、その日の食べものにも困るような毎日。

 憧れていた壁の中の生活は、壁の外と全く代わり映えしなかったという現実。

 自分の居場所は、ここにもなかったのだと思い知らされる事実。


 何もかも諦めかけていたその時に、キッシェは旦那様と出会った。


 突然現れた彼は、なぜかキッシェたちに凄い装備を手渡し迷宮の知識を教えてくれた。

 戦い方と生き延びる方法を、無償で与えてくれた。


 最初は不気味だったし、変だとしか思えなかった。

 でもそれを問い質した時の彼の顔は、凄く不安定で脆く見えた。

 ずっと長い間、何かに耐えて来たような表情。

 

 その後、食事の席で彼が奴隷であるはずのミミ子さんに注ぐ愛情の深さに、キッシェの心は大きく揺れた。

 でもその夜、彼の家についていったのは、まだ打算が残っていたからだ。


 久々の温かい豪華な食事にお風呂。横になって眠れる寝床。

 そのためなら自分が犠牲になって妹たちを守る。

 それに自分の肌を見れば、彼は絶対嫌がって抱こうとはしないはず。


 そんな目論見は、なぜかミミ子さんに見抜かれていた。

 彼女はキッシェたちを集めて、こう言い放ったのだ。


「あの人を信じてほしい。やり方は下手だけど、みんなを心配してるし好きだと思うよ。受け入れるのが無理なら、今の間に荷物をまとめて出て行ってくれるかな」


 そしてミミ子さんは、こう続けて来た。


「もしあなたたちが私たちの仲間になっても良いと思うなら、その秘密を今から晒してきて。多分……それで上手く行くはずだよ~」


 騙されている気もしたが、結果的に彼女の言葉通りになった。

 キッシェは自分の呪われた肌に、初めて異性からの口づけを受け心を簡単に溶かされた。

 そして自分を受け入れてくれた旦那様に、キッシェはその夜、全てを委ね捧げた。


 それからのキッシェの人生は、信じられないほどの変化を遂げた。

 夢見ていたのと変わらない内街での生活、優しい声と心安らぐ笑顔。

 迷宮での探求も、先が見えず絶望しかなかったものが、今はとても楽しいと感じている。


 これも全て、一人の男性に巡り会えたことから始まったのだ。


 彼と彼を取り巻く家族の一員として、皆と一緒に生きていきたい。

 キッシェの望むことは、それだけであった。



「――少しわかってきたかのう」 


 

 お師匠様の声に、キッシェは我に返る。

 気が付くと矢筒は空になっていた。

 撃ち尽くされた矢たちが、綺麗に的に納まっているのが目に飛び込んでくる。



「撃ってやろう、当ててやろうといくら意気込んでも矢には伝わらん」



 その言葉は、キッシェの心を軽やかに射抜いた。

 彼に頼ってばかり、寄りかかってばかりでは嫌だ。

 自分も彼に頼ってほしい、役に立ちたい。

 そう願い、そしてそんな力もない自分に焦っていた。

 認めて欲しいと願い過ぎる気持ちは、時に自分の心を曇らせ歩みを鈍くさせてしまう。

 まずは、身の丈にあったものから始めて行こう。

 ゆっくりでも良い。何時か彼の隣に立ち並ぶことを、諦めなければ良いだけだ。


「ふむ。その顔ならそろそろ良いか。お主、水の精霊使いエレメンタラーを探しておるそうじゃな。わしの知り合いに一人おるが、会ってみる気はあるかの?」

「良いんですか?!」

「何事も、お主次第じゃよ」

「有難うございます……お師匠様」


 頭を下げるキッシェに、老人は声を出さずに笑ってみせた。

 小さなことからコツコツと。

 ならばこれも旦那様のお役に立てるはず。


「お礼に今度の赤曜日に、一緒に闘技場にお出掛けしませんか?」

「ふん、そう来たか。知っとるじゃろ、わしがあの化物小僧を嫌っとることを」


 師匠曰く、あの歳であの境地に到れるのは化物以外に呼び方がないそうで。


「そこを何とか曲げてお願いします」

「ふうむ。分かった分かった。可愛い弟子の頼みじゃしな」

「有難うございます、お師匠様」

 


 キッシェは、顔を上げて晴れ晴れとした顔で微笑んでみせた。


無拍子・五連射サイレントペンタショット』―弓聖と呼ばれたロウン元探求者シーカー特殊技能ユニークスキル。気付かれないうちに五本の矢が刺さっている

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