魔力酔い
好条件のパーティに入れた時に限って、お腹が痛くなったり職場から電話が掛かってくる気がするでござる
僕は慌てて少女たちに駆け寄りながら、周囲に視線を走らせる。
モンスターの姿はない。
「どうした?」
「う~ん、わかんない。急にふらふらだよ」
ミミ子から慎重にモルムを受け取り、血が上って赤みを帯びた額に手を当てる。
かなり熱い。
僕の手の感触に気付いたのか、モルムは薄く眼を開いた。
思わず息を呑む。
その瞳孔は大きく開いていた。
「大丈夫か? モルム」
返事をしようとして口を開くが、声が出ないようだ。
代わりに小さく首を横に振る。
呼吸が辛いのかと思い少女の首元を大きく緩め、ついでに顎の下に手を添えて脈を探す。
力強いリズムが指先から伝わってきた。
少し速いが今すぐ命の危機を感じるほどの兆候は感じとれない。
熱中症のようにも思えるが、温度が一定している迷宮では考えにくい。
それに熱中症で瞳孔が開くなんて聞いたこともない。
脳に何か障害でも起きたのか?
「どうかしましたか?」
「何があったんです? 隊長殿」
僕らの様子に気付いたのか、二人が駆け寄ってくる。
モルムをそっと地面に座らせながら指示を下す。
「病気のようだけど、原因がはっきりしない。キッシェは周りの警戒を。リンは水筒を出してくれ」
朝も昼も少女に異常はなかった。
考えられるとしたら、何らかの毒だが三層に毒持ちは居ない筈。
モルムのローブの前をはだけて、出血をしてないか確認する。
噛まれたり刺された痕らしきものも一緒に調べる。
手足は熱を帯びていたが、それらしい傷は見当たらなかった。
リンから手渡された水筒を、そっと少女の唇にあてがう。
モルムの喉がゆっくりと動き、水筒が少しだけ軽くなる。
水が飲めるなら大丈夫か。
「特に何も居ませんでした」
「大丈夫なんですか? 凄い苦しそうですよ」
「どうしてこうなったか分からないな。ここは一回巻き戻そ――」
言い掛けた僕の口元に、モルムの手が伸びた。
「だいじょう……ぶ。戻さないで……おねがい」
「そうはいっても――」
「少し……休めば、治るから……」
少女の手が、僕の鎧の袖をギュッと握りしめる。
そんなに巻き戻しは、して欲しくないのか。
だがこのまま放って置く訳にはいかない。
「一旦、上に戻ろう。リンはミミ子を頼む。キッシェは先行してモンスターが居ないか探ってくれ」
「承知しました」
「行くよ、ミミっち!」
熱を帯びた吐息を漏らす少女を背負い、僕らは暗い通路を走り出した。
▲▽▲▽▲
「彼女の症状はただの魔力酔いですね」
「治るんですか?!」
勢い込む僕の問い掛けに、迷宮組合の専属治癒士さんは静かに首を横に振った。
「魔力酔いに効果的な治療の術は存在しません」
「じゃあ、どうすれば!」
焦った声を上げる僕に、治癒士さんは小さく肩を竦めて唇に伸ばした人差し指を当てる。
「お静かに。しばらく安静にしていれば治まりますよ」
「あ、すみません――って、そうなんですか?」
「もうかなり楽になってる筈です」
言われて見ればベッドに横たわるモルムの息遣いは緩やかになっており、顔の赤みも随分薄れていた。
緊張が解けた僕たちは、ホッと安堵の息を漏らす。
そんな僕らに向かって、白衣のお姉さんは大きめな眼鏡のツルをクイッと持ち上げて呆れたように言葉を続けた。
「魔力酔い如きで、大騒ぎしてここに来られるのは非常に困ります」
「申し訳ありません……」
ここというのは、一層の階段そばの部屋を改装して作られた治療室だ。
怪我をして駆け込んだ場合、それなりの格安お布施で治療をして貰える便利な安全地帯となっている。
お布施が安い訳は簡単で、見習い治癒師の実習を兼ねているからだとか。
と言っても軽く一日の稼ぎの半分くらいは飛んでいくので、ほいほい治して貰うという感じでもないが。
僕もレベルが低い時は、たまにお世話になっていた。
大丈夫と思っていても、次の日に症状が出る場合もあって怪我は本当に油断できない。
探求者用の治療院だと野戦病院のようなイメージがあるが、いつ来てもこの部屋は保健室を思い起こさせる。
それらしい設備が診察用の椅子と、間仕切り用の衝立が置いてあるベッド三台だけだし。
まあ治癒術を掛けて貰えば短時間で治るし、かなりの重傷なら地上の大きな治療院へ運ばれるからこの程度で良いのか。
「それでその……魔力酔いってなんでしょうか?」
「短期間に魔術を使い過ぎて、魔力の限界を超えると発生する症状です。自分の魔力量をまだちゃんと把握していない新米の方がよくやらかしますね」
「魔力を使い切ったってことですか?」
「いえ魔力はなくなるものではありませんよ」
たぶん僕の頭の上に、大きなハテナマークが浮かんでいたのだろう。
治癒士のお姉さんは、小さく息を吐いてまたも眼鏡をクイッと持ち上げた。
「一から説明しましょうか?」
「是非、お願いします」
お姉さんの話を要約すると、こんな感じだった。
魔術とは混沌神の領域から、魔という存在を呼び込んで発動させる。
この領域に手を突っ込んで魔に耐える力を、魔力と呼んでいるらしい。
つまり魔力が高ければ高いほど、混沌の中へ長く深く手を伸ばすことができ、高い階梯の呪紋が使えるようになる。
使えば減っていくMPのようなイメージだったが、どちらかと言えば耐久力に近いものなのか。
魔術を使用すると精神に混沌からの影響が澱のように貯まるが、これは時間が経つと解消される。
だが短い期間に魔術を使い過ぎるとどんどん蓄積していき、限度を越えると体調に異変が起こる。
それが魔力酔いと言われる反動だ。
悪酔いしたような症状を引き起こすため、そんな名称がついてるらしい。
ただ混沌とはあくまでも混乱が目的であって、死の危険に繋がるような危険性はないとのこと。
酔いも少しじっとしていれば、簡単に治るものだとか。
大騒ぎしてすみません。
そもそも魔術とはどんなものかと言うと、事象に魔という要素を注ぎこみ、その釣り合いを崩すことで異常を引き起こす行為である。
対象の特性を伸ばす場合は『過剰』、逆の場合は『減退』といった感じである。
精神状態に影響する場合は、『恐怖』や『熱狂』と通常時とは違う方向へシフトさせる。
法術はその逆で事象をあるべき姿へ戻し保つこと、護る方向へ発揮される。
物に施すことで劣化しない『保全』や傷つくにくい『均衡』の効果が現れ、人に施すことで迷いや焦りを解消する『自覚』や心が落ち着く『不変』の効果が得られる。
もちろん護法にも法力限界というものがあり、過度に使用すると制限が掛かる。
こちらは法力縛りと言われ、金縛りのような症状になるらしい。
「治癒術にはないのですか?」
「ありませんね。その為のお布施ですから」
常人が神の領域に手を突っ込むのは、それなりの代償を必要とされる。
創世神の場合のそれは奉仕だった。
彼女たちは治癒を行う代償に、お布施と呼ばれる奉納金を神殿に納めるか労働による奉仕行為を強いられる。
それを怠ると、あっさり治癒術が行使出来なくなるらしい。
まるで電気や水道料金のようなシビアさだ。
ご免なさい。いままでちょっとガメつい人達だとばかり思ってました。
「旦那様、宜しいですか?」
お姉さんと話し込んでいたら、横からキッシェに声を掛けられた。
目を上げるとベッドの方へキッシェの視線が動き、僕の視界が誘導される。
ベッドの上には、掛け布団で丸まったダンゴムシのようなモルムの姿があった。
その傍にミミ子がくっついて、スヤスヤ眠っている。
「かなり落ち込んでるみたいなんです」
魔力酔いで狩りを中断してしまったのを、気にしているのだろうか。
僕はベッドに近づいて、そっと布団の裾を持ち上げて覗き込む。
そこに居たのは、親指を口に咥えて丸まって眠るモルムの姿だった。
少しまぶたが腫れているようだ。
僕からすれば経験値なんかよりも、モルムの方が数十倍大事なのだが。
起こさないように優しく少女を抱き上げる。
14歳の体は、とても軽く感じられた。
先生に頭を下げ、僕らは治療院を後にした。
『階梯』―干渉できる事象の段階を区分けしている。一段目は精神。以後は、肉体、物質、空間、時間へ続く。




