四層攻略
死んで戻ったほうが早いなと、あやうく現実世界で謎の飛び込み自殺をしそうになったでござる
暗く長い通路の先は、真っ黒な静寂に包まれていた。
発光石のランタンを高く掲げるが、その光は床に吸い込まれるように輝きを失い、奥の方には全く届かない。
先を見通すことを諦めた僕は、黒一色と化した床へそっと足を踏み入れる。
――――小さな波紋が床の上を走った。
水が滴る片足を持ち上げて、床に目を凝らすが何も見えない。
もう一歩だけ進んでみる。
足首まで一気に沈み込んだ。
深さが判らないと、こんなに歩きにくいのか。
僕はため息を付きながら、背後に控える少女たちに振り返った。
「これが四層名物の水没通路らしいよ」
四層は南北に分かれた構造で、北はその殆どが水に沈んでいる。
特に奥の方は大きな地底湖となっており、その先には湖底神殿が建立されているとか、謎の番人が護る宝物庫が存在するとかの様々な与太話がある。
南は長い通路が時々交わったり分岐したりしつつ、終着点の大小様々なサイズの広場に繋がっている構造だ。
四層で狩場といえば、この行き止まりの広場を指す。
そして問題なのは、その通路に日替わりで現れる大きな水溜りであった。
南の通路は場所によってそれなりの傾斜があり、そこに水が張られると胸元まで達する深さになる。
水溜りが出来る場所に規則性はなく、目当ての狩場へ行きたくても通路が塞がれてしまってはどうしようもない。
まあ探求者ならそんな水溜りくらい我慢しろとの意見もあるが、そうも行かない事情があった。
「キッシェ、どれくらいいるか判る?」
「三匹……四匹はいますね」
コールタールが張られたような黒い水面を睨みながら、キッシェが探り当てた気配の数を教えてくれる。
『気配感知』は、生き物が放つ存在感みたいなものを感じ取る技能らしい。
実は僕も講習を受けたことがあるので、それなりに気配は読めたりする。
なんというか長年、迷宮に通ってるとちょっとした時に違和感を覚える時がある。
それがモンスターを感知するコツらしい。
僅かな差異に気づけるかどうかってとこか。
僕の見立てでは、この水没通路に隠れ棲む海棲毒蛇は六匹以上だ。
水溜りに棲息する海棲毒蛇は、文字通り毒を持つ海蛇だ。
体長は両手を広げたくらいで、体には青と白の横縞の模様が入っている。
海底だと保護色になるのでその色合いも判るのだが、こんな陽の光も届かない地の底では一体どんな意味があるのだろうか。
まあこいつらの問題は、体の柄ではなくその生態だった。
海棲毒蛇は水没した通路に召喚され、水底に潜むようにして獲物を待つ。
そして水路を渡ろうとする探求者の足に噛みつくと同時に、その牙から溶血毒を流し込んでくる。
毒によって止まらなくなった血が、水中に溢れだしあっと言う間に水没死体が出来上がる寸法だ。
始末しようにも光源の乏しい状況に加え、身動きが取りにくい水中だ。
通路が水で塞がっていたら、大人しく引き返すのが無難な選択であった。
「よし、さっきの分岐まで戻ろうか」
僕の掛け声に、息を詰めて水面を眺めていた少女たちはホッと息を吐いた。
もしかして巻き戻し前提で、強引に進むとでも思われたんだろうか。
流石に無駄骨で終わるような特攻に、巻き戻しを消費する余裕はない。
「ミミ子、地図見せてくれ」
「はい、どうぞ~」
「この波マークが水没箇所?」
「そだよ」
今の位置からだと、かなり戻る必要があるな。
このように四層の狩場は、辿り着くまでにかなりの時間がかかる仕様だ。
勿論、すぐに戦闘に入れるモンスターも存在する。
四層降りてすぐの大広場に、少しだけ湧く一角猪だ。
力押し一辺倒な戦闘スタイルを持つ彼らは、硬い装甲もなく魔術も効きやすい相手だがあまり人気はない。
攻撃力が高すぎるため盾役に悲劇が起こる可能性がそれなりにあるのと、数が少なすぎるのがその要因であった。
そういえば一時期、ミミ子と二人で狩っていたがライバルらしき小隊とは一回も鉢合わせしなかったな。
「これだと皿部屋ってところに行くのはかなり大変そうですね、隊長殿」
「まずは地図作りを優先しよう。レベル上げはそれからでも十分間に合うし」
このレベル上げがかなり難しい四層にも、当然人気の狩場はある。
四層最南端辺りにあるらしい飛行器皿の小広場だ。
ただし許容人数が一小隊でぎりぎりのため早い者勝ちになる。
つまり四層のレベル上げで一番必要なのは、水没通路を回避できるリアルラックだとも言える。
そして僕には運はないが、それ以上の武器はあった。
▲▽▲▽▲
通路に響き渡るのは、耳を塞ぎたくなるほどのけたたましい鳴声だった。
水がないと思えば今度は騒音だ。
下へ行くほど面倒な場所ばかりってのが、迷宮のお約束なのか。
「じゃあ練習しとこうか」
僕の言葉に頷いたキッシェが、静かに五本の矢をつがえる。
そして通路に跳びはねるカエルどもに、一気に矢を放った。
『ばら撒き撃ち』。
弱点の目玉を貫かれた四匹のカエルが姿を消す。
なかなかの命中率だ。
キッシェもレベル2に上がって、認識力や制御能力がかなり向上したようだ。
攻撃を受けたことで、通路にわだかまっていたカエルどもは鳴声を止め、一斉にこちらを睨みつけてきた。
そのあまりの不気味さに思わず怯む。
単眼蛙は、四層の通路に現れるモンスターだ。
こちらはなぜか水の湧かなかった通路に召喚され、乾いた床を我が物顔で占拠する厄介な連中だった。
見た目は手のひらよりやや大きいサイズで、オレンジ色の表皮を持つ。
もっともわかりやすい特徴は、頭部から大きく飛び出したその一つしかない巨大な眼であった。
サイズ的に攻撃力はほぼ皆無で、子どもでも上手くやれば踏み潰せるような弱さであるが、そんなことをする愚か者は居ない。
彼らの最大で唯一の攻撃手段が、その背中のイボに蓄えられた大量の麻痺毒だからである。
「リン!」
「はい、お任せ下さい!」
僕の掛け声で、低く盾を構えたリンが前に出る。
それに合わせて直前までリンの前に立ち、呪紋を描いていたモルムが飛び退くように後ずさる。
そしてちょうど盾の高さに合うように、空中に描かれた複雑な模様が小さく光を放った。
熱狂の呪紋が発動し、それに惹き付けられたカエルの群れが一斉にリンの持つ盾に殺到する。
ぶつかる寸前、絶好のタイミグでリンが盾撃を発動した。
連続で水風船を割ったような破裂音が通路に響き渡る。
盾撃から漏れた数匹に、僕とキッシェが矢を放つ。
一分も経たないうちに、通路の掃討は完了した。
「うう、盾がベトベトになっちゃったです」
愛用の盾がカエルの体液でどろどろになったのを見て、リンが泣きそうな声を上げる。
それを見たモルムが、背負い袋から引っ張りだしたボロ布で盾を丁寧に拭い始めた。
一応、平穏の首飾りがあるので毒を無効化出来るとは思うが、それほど万能ではないためちょっとドキドキしながら見守る。
無事、綺麗に拭き終わったのを見てからモルムに声をかける。
「毒だから拭いたらそれは捨てていこうね」
「…………うん」
「そうそう。呪紋描くの早くなったな、えらいえらい」
少女の髪をワシャワシャすると、嬉しそうにモルムは目を細めた。
それを見たリンが無言で頭を突き出してきた。
兜なんか撫でてもただ冷たい鉄の感触だしな。
代わりに胸を揉んでおく。こっちも鉄の感触だった。
「旦那様、いちおうこれ拾っておきましたけど…………」
馬鹿なことをしてると、キッシェが単眼蛙のドロップである毒袋を差し出してきた。
麻痺毒の材料になるらしいが、銅貨12枚と余り高い品でもない。
ないよりましかと思いつつ、背負い袋にしまい込む。
こんな雑魚モンスターなら、レベル上げに便利だと思うがカエルでの取得経験値はかなり低いそうだ。
厳密に一匹の経験値を測る手段がないので、おおよその予想値らしいが一層のトカゲ以下だとか。
本当にこいつらは只の通路を塞ぐだけのお邪魔モンスターでしかないようだ。
だいたいこんな感じで、四層の攻略は進んでいった。
『気配感知』―斥候と狩人の初級技能。視界が有効なだいたいの範囲で、モンスターの位置と数を把握する




